秋の行楽シーズン到来! 密にならず、手軽に行ける都市近郊の低い山が注目されている。だが、実は高い山よりもたくさんの危険が潜んでいて……。
油断が事故につながる
「もう少し先に進んでいたら遭難していたと思います」
東京都の林康子さん(仮名・37歳)は振り返る。一緒に登っていた姉は登山のベテラン。7年前、長野県・北八ヶ岳の白駒池から1時間ほどの山、『にゅう』に登ったときに登山ルートをはずれた。
「だんだんと道が険しくなり、ほかの登山客も見えなくなりました。おかしい、と思って引き返すことにしたんです。難易度も高くない山なので甘く見ていました」
今年7月には大阪大学の審良静男特任教授(68)が奈良県天川村にある山中で遭難。登山道から800メートル離れた山中で大ケガを負った状態で発見されている。
最近、首都圏など都市部に近い、低い山での遭難や事故が相次いでいる。理由を日本山岳救助機構合同会社の飯田邦幸さんが説明する。
「高い山への登山は、都道府県や山岳団体が自粛を呼びかけています。登山者も“万が一ケガなどをしたらコロナ禍の地元の医療機関に負荷をかけるんじゃないか”と考え、高い山を避ける傾向がありました。ですが、近場の低い山ならいいだろう、と都市近郊の山に人が集まっています。実はそちらのほうが危険だったりします」
東京都の高尾山や、奥多摩地域、神奈川県の丹沢地域、埼玉県の秩父地域も山岳事故が多発するエリアだという。
「高尾山は捻挫や骨折、熱中症で搬送される人は多いですね。道に迷い救助隊が出たこともあります。コロナ禍の外出自粛で体力も落ちていることに気づかず、今までと同じペースで登り、疲労から事故に遭うケースもみられます」(飯田さん)
低い山の場合、トレーニングを怠ったり、“これくらいの高さだから大丈夫だ”という油断が事故につながる。
丹沢・大山など人気の登山スポットのある神奈川県。同県警によると、今年1月1日~8月31日の間、県警察が取り扱った山岳遭難は85件、95人。そのうち死亡者は2人(暫定値)。前年と比べると遭難は10件増加している。
「被害別で見たときに滑落、転落、道迷いは減少している一方で疲労、転倒が増えています。若くて、登山歴が豊富な方でも遭難する事例は少なくありません」(神奈川県警の担当者)
遭難しないために大切な“心構え”
都市近郊の低山はアクセスもよく、自然の中なら3密も回避できるのでは、と行楽を楽しむために訪れる人が増えているのだ。
「山の事故といえば崖から落ちたり、転ぶなどしたケガを思い浮かべるでしょうが、いちばん深刻なのは道迷いです。実は南アルプスや八ヶ岳より低い山のほうが道を間違えやすくて遭難しやすいんです」(前出・飯田さん、以下同)
特に注意を促しているのは1000メートル程度のハイキングや軽い登山で登れるような山だ。
「高い山の登山道には案内板がつき、道に迷わないような工夫が随所にあります。ですが、低い山は登山用でないことも多い。そのため整備がされていないこともあります」
低い山の場合、林業のための作業用の道が縦横に走っている場合があり、登山者はそこに迷い込むと遭難する。探そうと捜索隊が山に入ってもどこをどう探したらいいのかわからないというのだ。
「低い山は台風などで道がズタズタになっても予算がなかったり、登山道でない場合は人があまり通らないため整備が間に合わないんですね。
倒木があったり、地面がくずれたり、そこを人が歩くことで事故が起きる。去年来たから大丈夫、という考えも非常に危険です」
遭難しないためには心構えも必要だ。
「山岳遭難が発生する原因には事前の準備、知識、体力、装備品、これらが不足していることなどいろいろ理由が挙げられます。山岳遭難を防止するうえで大切なのはまず目的とする山を理解することです。
ルートや危険箇所、所要時間などを事前によく調べ、自分の体力と経験などを考慮し、何時に出発すればよいのか、どのような装備品が必要なのかを細かく検討することが必要」(前出・神奈川県警の担当者)
そこで登山時には次の7つの鉄則を守りたい。
(1)ルートの確認
「間違えたら元に戻る。それが鉄則です」(飯田さん、以下同)
みんなが間違えることで間違った道なのに、地面が踏みならされて硬くなっている。そのためそちらが正しい道だと勘違いしてしまいがち。ベテランでも見分けるのは困難なのだ。
(2)早めの救助を要請
「“まずい、下りられない”と思ったらすぐに救助を要請してください」
身体が動けば山の尾根に向かって登ること。尾根に出れば道にぶつかる可能性もある。だが、ふもとに明かりが見えても絶対に下ってはいけない。森が険しくなり、もっと迷うおそれがあるからだ。
遭難するとお金がかかる
(3)持ち物と服装を整える
「“すぐ帰ってこられる”と、日帰り登山では十分な準備をしていない人が多いのですがこれは危ない。必ずヘッドランプは持っていってください」
もしライトを持たずに森の中で暗くなってしまったら下山は不可能、その時点で遭難する可能性は高くなる。
服装も重要だ。中には薄着にサンダルで富士山を登る人もいるというが……。
「雨で服が濡れると夏でも低体温症になります」
(4)エスケープルートの確保
孫と一緒に登山を考えている中高年もいるだろう。
「子どもたちは最初、元気ですが、途中でパタリと動けなくなってしまいます。なんとか頑張らせようとしても動けなくなってからでは対応できなくなってしまう。そのため、エスケープルートを確保しておくことが大切です」
どこまで行けば安全に休憩をとれるのか。頂上まで登ったら下りる手段がある、ケーブルカーやバスが通っているといったようにいざというときのルートを確認しておく。大人だけの登山よりも入念な下調べをする必要がある。
子どもたちからは目を離さず、走ったりふざけたりしないように伝えることも重要だ。
(5)遭難するとお金がかかることも知っておく
消防や警察の山岳救助隊は公的な機関のため救助の費用は発生しないが……。
「ただし、公的な救助隊だけでは捜索できないことがあります。そのときは各都道府県の山岳連盟などにある捜索対策協議会のメンバーが仕事を休んで捜索にあたります」
メンバーの日当、交通費、保険代など1人当たり1日5万~10万円ほどかかることもある。
「人数と日数をかけた金額を請求されます。高い山には公の救助隊があるんですが、低い山は地元の団体にお願いをするケースが多いので遭難して救助をお願いした場合はお金がかかります」
遭難は「人を選ばず、時を選ばず、山を選ばず」
(6)救助隊機能を低下させない
「低山ではないですが、槍ヶ岳で8人パーティーが遭難。1人が滑落し、亡くなった事故がありました」
実は滑落をした人が新型コロナに罹患、無症状だった。
「パーティー全員と救助隊、ヘリコプターの救助隊も濃厚接触者になりました。そうなるとその数人は何日間かの救助活動はできないので、ほかの隊員たちに負荷がかかるんです」
ワクチンを打ったから、と登山をする人も増えているというが、山中で副反応で動けなくなった人もいた。
「この時期、山に行くこと自体がリスクになるんです」
コロナではなくても、体調が悪い状態で山に登ることはそもそものNG行動だ。
(7)動物に遭遇する危険
クマやシカが登山道に現れることもある。
「シカは大声を出せば逃げていきます。ですが、問題はクマです。絶対に近づかないようにしてください」
心がけや事前の準備で遭難や事故のリスクは減らせる。
「私たちは“3ず”という言葉を使っています。遭難は“人を選ばず”“時を選ばず”“山を選ばず”。高い山だから危険で低い山なら安全というわけではない。そうした意識が根底にあるから事故が起こります。
山はとても魅力的ですごく楽しいんですが、危険も多いんです。気軽に訪れられる場所であってもリスクがあることを知っていただきたい」
●登山に行く前に~
□登山計画書の提出、もしくは行き先、帰る時間を書いた紙を家族や職場に残しておく(メールなどで送っても可)
□体調を整えておく
□十分な睡眠をとる
□前日、当日は炭水化物中心の食事を
□前日は生ものは絶対に食べない
●絶対に必要な装備品
□底が滑りにくい靴と替えの靴紐
□雨具(レインウエア)
□ヘッドランプと予備の電池
□防寒具
□水分
□登山地図やGPSなどのアプリを入れてあるスマートフォンと充電器
□非常食(カロリーが高く日持ちするもの)
□薬類(ばんそうこう、消毒液や鎮痛剤など)
□健康保険証のコピー
日帰り登山での飲酒は自殺行為
◆特にやってはいけないNG行動
・発熱などの体調不良
「休みが取れない」などの理由から体調が悪くても強行する人がいる。病状が悪化し、事故につながるおそれがある。新型コロナの場合、症状が軽かったり無症状で発症に気づかず登ると周囲の感染リスクが高まる。
・間違ったルートから引き返さない
目印に気づかずに間違ったルートを進むことはよくあること。ただし、間違えた場合は必ず地図を確認し、元の道に戻ること。低い山だから、そのうち登山道に出ると思いそのまま進むと帰れなくなるので要注意!
・ヒールやサンダルなどの服装
低い山でも短パン、サンダル、スカート、ヒールなどの軽装はNG。薄着では雨が降って濡れたら夏でも低体温症になるおそれがある。転んだときにひざやひじをケガしたり、マダニや毒を持つ昆虫に刺される危険も。
・日帰り登山での飲酒
山頂や見晴らしのいい場所で飲酒している人を見かけるが絶対にダメ。キャンプをしたり、山小屋に泊まらない日帰り登山での飲酒は自殺行為。車の飲酒運転と一緒だ。下山時、転倒したり、迷ったりするおそれがある。