自宅療養中の男性の様子。酸素を吸入するチューブをつけ、酸素飽和度を測っている

 デルタ株の蔓延(まんえん)による「入院難民」。9月6日現在、東京都だけで自宅療養中の人は約1万7千人、入院・療養等調整中の人も4千人近い状態だ。いまコロナに感染し、自宅で症状が悪化したらどうなるのか。医療サービスは私たちを助けてくれるのか。医療ジャーナリストの市川衛さんが自宅療養者の「生命線」として活動する訪問診療医の診療に同行した。

単身赴任でひとり暮らしの男性を訪問

「えいしょ」

 最高気温35℃、猛暑日となった8月26日の都内某所。訪問診療医の佐々木淳(医療法人社団 悠翔会理事長)は、大型の空気清浄機のような機械を車の後部トランクから引き出した。在宅での酸素投与に使用される「酸素濃縮器」だ。重さ20キロはある機械を抱え、エレベーターのないアパートへ向かう。患者の部屋は6階。階段を上っていくうちに息は荒くなり、額から汗が滴り落ちていく。

酸素濃縮器を運ぶ佐々木と悠翔会スタッフ

 目指す部屋の扉は、換気のためわずかに開いていた。その隙間から、控えめに声をかける。「○○さん、内科医の佐々木です。酸素を届けに来ました」

 かすかな応答を確認したのち、佐々木は玄関先で準備を始めた。持参の医療用ガウンやN95マスク、フェイスシールドなどを手慣れた動きで身につけていく。5分もたたずに装備を整え、機械を担ぎ上げた。「ごめんください」と声をかけながらドアを開ける。

 大部分をベッドが占める、ワンルームの簡素な間取りの部屋。年のころ50代に見える男性が、マスクをつけてベッドに横たわっていた。時折、苦しげにせきを繰り返す。診察のためマスクをはずしてもらうと、顔色は青白く唇が紫がかっているように見える。パルスオキシメーターで測定された酸素飽和度は90。コロナ感染による肺炎のため、血液中の酸素が足りない状態が起きていると疑われた(酸素飽和度は血液中の酸素の濃度を示し、健康であれば95~99に維持されている)。

 酸素濃縮器にチューブをつなぎ、一端を男性に渡して鼻に入れるよう促す。スイッチを入れるとブーンという音が響き、高濃度の酸素が運ばれていく。男性の顔色は、少し赤みを帯びてきたようだ。改めて測定した酸素飽和度は95。表情が和らぎ、受け答えの声もはっきりしてきた。

 男性は現在、単身赴任でひとり暮らしだという。10日ほど前に体調の変化を感じ、受診したところ新型コロナ陽性が判明。重症化を防ぐと話題の「抗体カクテル療法」を受け、自宅で療養していた。しかし熱は下がらず、そのうち呼吸状態が悪化していった。自宅でひとりきり、高熱や息苦しさに耐える日々は、ひたすら不安との闘いだったという。

「起き上がっていられないんですね。とにかく、先が見えないのがつらい……。入院させてほしかったけれど、いまはどこもいっぱいで難しいと……。自宅まで診察に来てもらえて、救われる思いでした」(男性)

 この男性は保健所の奔走により、翌日には入院することができた。しかし現在、都内で自宅療養を余儀なくされている人は1万7千人を超え、入院したいけれどできない、いわゆる「入院調整中」の人は4千人近くに上っている(9月6日現在)。

家族が世話しても「家族全員感染」の危険が

 入院と自宅では、療養の日々は大きく異なる。病院であれば食事は必要な量が3食出され、水が飲めなければ点滴が行われる。日々の体調チェックがあり、急変すればその場で必要な治療が受けられる。

 しかし自宅では、食事や飲料の管理は基本、本人任せだ。自治体から支援物資が届くようになっているものの、内容はカップラーメンやレトルト食品など日持ち優先。中には「乾パンが届いた」という話もある。

 酸素濃縮器を使う場合、パルスオキシメーターで酸素飽和度をチェックしつつ、酸素の流量を調整することが推奨されているが、ただでさえ肺炎を起こしている中で、自分自身でそれを行うのは簡単ではない。家族が世話すれば?と思うが、デルタ株の感染力は強く、どれだけ気をつけても「家族全員感染」という危険が伴う。いわば八方ふさがりの不安の中、体調の急変が起きぬよう耐える日々が待っている。

「これはね、災害医療なんですよ」

 男性の往診を終え、別の患者の対応に向かう車中、ハンドルを操作しながら佐々木がつぶやいた。

佐々木淳医師(医療法人社団 悠翔会理事長・診療部長)

 地震や大水害の際、医療や行政のサービスが途絶し、病気で治療中の人などが命の危機に瀕することが少なくない。感染爆発で医療機能の一部がマヒした都内は、それと似た状態になっているというのだ。佐々木が率いる悠翔会グループは失われる命を少しでも減らそうと、コロナ自宅療養者専門の往診ルートを開設。その資金を募るためのクラウドファンディングも実施している(https://readyfor.jp/projects/yushoukai)。

 悠翔会は、首都圏などに18クリニックをもつ在宅医療グループ。コロナ感染拡大に伴い、東京都医師会からの要請を受けて在宅コロナ患者への往診をスタートさせた。各地域の保健所から依頼を受け、通常診療と並行しながら往診対応してきた。しかし要請が急増、多くの対応を迅速に行うために8月24日から「コロナ専門往診チーム」を発足し、自宅療養の患者のもとへ最大3ルートで医師や看護師が回っている。

 9月に入り、ようやく新規の感染者数が落ち着きつつあるが、重症者などは感染がピークを迎えて少したってから増えるので、まだまだ楽観視できない。

 佐々木によれば、自宅療養で状態が悪化した人の場合、「持病なし」と言っていても、調べると高血圧や高血糖などが見つかるケースが少なくないという。定期的な健康診断を受けていない場合、知らないうちにコロナが重症化する要因を抱えている可能性もあるということだ。

 いま医療体制が「災害状態」になっている地域では、感染対策やワクチン接種を進めるのと同時に、日々の健康管理や体調のチェックにも気を配ったほうがよさそうだ。

市川衛さん (社)メディカルジャーナリズム勉強会代表/広島大学医学部客員准教授。'00年東京大学医学部卒業後、NHK入局。医療・福祉・健康分野をメインに世界各地で取材を行う。'16年スタンフォード大学客員研究員。'21年よりREADYFOR(株)室長として新型コロナ対策などに関わる。