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 秋はおいしいものがいっぱいです! コロナ禍で他県への移動などが制限されていますが、その分、おうち時間も増えますね。

 ぜひ、こんなときこそ、新しい「習慣」をつけてほしいと思うのです。「音読」の習慣です!

「おうち時間」に音読しよう!

“1分音読”を提唱する大東文化大学教授の山口謠司さん 撮影/齋藤周造

 子どものころ、立って、大きな声で教科書を読んだことは誰でもあるでしょう。覚えていますか?

 あれです! もちろん、座って読んでも構いませんが、自分が小学校の一年生か二年生だったころのことを思い出しながら、両手で本を持って前を向いて、大きな声で読むのです。

 人に読んで聞かせよう、上手に読もうなんて考えることはありません。

 ひとつひとつの文字を、大きなお口を開けて、きちんと発音しながら読むのです。

 慣れないうちは、お口が思うように動いてくれないかもしれません。それは、普段きっとみなさんが、口の先だけを使ってボソボソと話をしているからです。

 大きなお口を開けて、大きな声で、「音読」をやってみてください。ほかの人に聞かせる「朗読」や「読みきかせ」とは違います。「自分のための音読」です。

 効果はてきめんです! スッキリします。歌を歌うのと同じです。大きな声を出して本を読むのは緊張感もちょっとありますが、やってみると心も身体もスッキリします。

 それから、表現を学ぶことができます。

 おいしいものを食べたとき、みなさんは「ヤバー!」や「ウマー♪」などの言葉で終わらせてしまっていませんか?

 作家たちは、おいしいものを見たり味わったりすると、そこから思いをはせて、文章を綴っていくのです。そのためには、「ヤバー」を超える語彙力や表現力が必要です。

 おいしいものを作家がどんなふうに言葉で表現したかも、ぜひ、味わってほしいのです。

『檸檬(れもん)』梶井基次郎

 大正14(1925)年に発表された小説です。大阪出身の高校生であった作者が京都にいたときに書かれました。書店に行って画集を積み、その上に檸檬を置く。その檸檬が爆弾だったらと作者は空想するのです。

梶井基次郎は猫好きでも有名で、小説『愛撫』ではその猫愛を存分に披露している イラスト/長田直美

『檸檬(れもん)』梶井基次郎

 いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具(えのぐ)をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形(ぼうすいけい)の恰好(かっこう)も。

 ──結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終(しじゅう)私の心を圧(おさ)えつけていた不吉な塊(かたまり)がそれを握った瞬間からいくらか弛(ゆる)んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗(しつこ)かった憂鬱(ゆううつ)が、そんなものの一顆(いっか)で紛(まぎ)らされる

 ──あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。

 その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖(はいせん)を悪くしていていつも身体(からだ)に熱が出た。事実友達の誰彼(だれかれ)に私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが私の掌(てのひら)が誰のよりも熱かった。その熱い故(せい)だったのだろう、握っている掌から身内(みうち)に浸(し)み透(とお)ってゆくようなその冷たさは快(こころよ)いものだった。

◯レモンエロウ
 レモン・イエロー、レモン色です。日本ではまだ当時、レモンは珍しい果物でした

◯紡錘形
 糸巻きの心棒に糸を巻いた形です。円柱状で中ほどが太く、両端が次第に細くなっています。レモンの形を作者は紡錘形と言っています。

◯一顆
 果物を数えるときの数詞です。塊になったものを数えるときに使う数詞で、印鑑も実は「一顆、二顆」と数えます。

◯肺尖
 肺の上部。肺結核の初期症状を肺尖カタルともいいます。梶井基次郎は肺結核で亡くなりました。

☆ワンポイントアドバイス
 19歳で死の病を宣告された作者は、やるせなさに満ちていたでしょう。そこに儚く浮かんで見えるのがレモンです。自暴自棄になりそうな自分を今、唯一支えているレモン、ということを思い浮かべて読んでみてください。

梶井基次郎(かじい・もとじろう)●明治34(1901)年〜昭和7(1932)年、大阪出身。19歳のときに肺尖カタルと診断されてから大正期のデカダンスの風潮もあって放蕩と波乱の人生を歩みました。31歳で死亡。残された20編余の短編は珠玉の名作といわれています。

『秋刀魚の歌』佐藤春夫

 春夫が作家として活躍していく端緒として谷崎潤一郎の推薦がありましたが、谷崎の妻・千代をめぐる三角関係から、友人関係にあったふたりの関係は一変します。『秋刀魚の歌』は千代への思慕を綴った作品です。

井伏鱒二、太宰治、遠藤周作といった大作家にも慕われていた佐藤春夫 イラスト/長田直美

『秋刀魚(さんま)の歌』佐藤春夫

 あはれ 秋風よ 情(こころ)あらば伝へてよ

 ──男ありて 今日の夕餉(ゆうげ)に ひとり

 さんまを食ひて 思ひにふける と。

 さんま、さんま

 そが上に青き蜜柑(みかん)の酸(す)をしたたらせて

 さんまを食ふ(くらう)はその男がふる里のならひなり。

 そのならひをあやしみなつかしみて女は

 いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。

 あはれ、人に捨てられんとする人妻と

 妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、

 愛(あい)うすき父を持ちし女の児(こ)は

 小さき箸(はし)をあやつりなやみつつ

 父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。

 あはれ 秋風よ 汝(なんじ)こそは見つらめ

 世のつねならぬかの団欒(まどい)を。

 いかに 秋風よ いとせめて 証(あかし)せよ

 かの一(ひと)ときの団欒ゆめに非(あら)ずと。

◯あはれ
「切ないねえ」という意味です。

◯夕餉
「夕食」の意味です。

◯(男)が(ふる里)
「連体格用法」と呼ばれるものです。受ける体言が下の体言に対して修飾限定の関係に立つことを示します。現代語では「が」の代わりに「の」が用いられます。

◯あやしみなつかしみて
「不思議に思って、それでもおもしろがって」という意味です。

◯腸をくれむと言ふにあらずや
「秋刀魚のはらわたをあげるよと言っているよ」という意味です。

◯汝こそは見つらめ
「おまえだけは見ていただろう」という意味です。

◯団欒
「親しい者同士が集まって、楽しく語りあったりして時を過ごすこと」です。

◯いとせめて 証せよ
「せめて頼むから、証明してくれないか」という意味です。

◯ゆめに非ずと
「夢ではなかったということを」という意味です。

☆ワンポイントアドバイス
 友人・谷崎潤一郎の妻への同情が恋心に変わり、ついにその女性を自分のものにした喜びと、反対に声にならない哀しみと切なさを歌ったものです。でもちょっと自虐的に笑ってしまっていますね。

佐藤春夫(さとう・はるお)●明治25(1892)年〜昭和39(1964)年、和歌山県生まれ。詩人、小説家。詩と小説のほか、戯曲、評伝、随筆、評論、童話、翻訳など、文学のありとあらゆる分野に足跡を残しています。代表作に小説『田園の憂鬱』、詩集『殉情詩集』などがあります。

『平凡』二葉亭四迷

 明治40(1907)年に『東京朝日新聞』に連載されました。39歳になる下級官吏が、自分が幼かったころに飼っていた愛犬ポチが殺されてしまったこと、著名な文学者となったこと、父親の死とともに人生とは何かという問いにぶつかるという小説です。

口語体を用いて文章を書く“言文一致”の先駆者でもある二葉亭四迷 イラスト/長田直美

『平凡』二葉亭四迷

 前にも断って置いた通り、私は曾(かつ)て真劒(しんけん)に雪江さんを如何(どう)かしようと思った事はない。それは決して無い。

 度々(たびたび)怪(あや)しからん事を想(おも)って、人知れず其(それ)を楽しんで居たのは事実だけれど、勧業債券(かんぎょうさいけん)を買った人が当籤(とうせん)せぬ先から胸算用(むなざんよう)をする格(くらい)で、ほんの妄想(ぼうそう)だ。

 が、誰も居ぬ留守に、一寸(ちょっと)入(い)らッしゃいよ、と手招(てまね)ぎされて、驚破(すわ)こそと思う拍子(ひょうし)に、自然と体の震(ふる)い出したのは、即(すなわ)ち武者震(むしゃぶる)いだ。

 千載一遇の好機会(こうきかい)、逸(はず)してなるものか、というような気になって、必死になって武者震いを喰(くい)止めて、何喰わぬ顔をして、呼ばれる儘(まま)に雪江さんの部屋の前へ行くと、屈(こご)んでいた雪江さんが、其時(そのとき)勃然(むっくり)面(かお)を挙げた。

 見ると、何だか口一杯頬張っていて、私の面を見て何だか言う。言う事は能(よ)く解らなかったが、側に焼芋(やきいも)が山程盆(ぼん)に載っていたから、夫(それ)で察して、礼を言って、一寸(ちょっと)躊躇(ちゅうちょ)したが、思(おもい)切って中(うち)へ入って了(しま)った。

 雪江さんはお薩(さつ)が大好物だった。

                ◆

 と雪江さんが不審そうに面を視る。私は愈(いよいよ)狼狽(ろうばい)して、又(また)真紅(まっか)になって、何だか訳の分らぬ事を口の中で言って、周章(あわ)てて頬張ると、

「あら、皮ごと喰べて……皮は取った方が好(い)いわ。」

「なに、構わんです」、と仕方が無いから、皮ぐるみムシャムシャ喰(や)りながら、「何(なに)は……何処(どこ)へ入(い)らしッたンです?」

◯勧業債券を買った人が当籤せぬ先から胸算用をする
 取らぬ狸の皮算用

◯驚破
 びっくりすること

◯勃然
 いきなり

◯お薩
 サツマイモのこと

☆ワンポイントアドバイス
 憧れの女性が焼き芋を頬張っている。そんな姿を見た主人公があっけにとられていると、女性が一緒に食べようと誘うのです。二葉亭四迷の胸の高鳴りを想像しながら読んでみてください。

二葉亭四迷(ふたばてい・しめい)●元治元(1864)年~明治42(1909)年、江戸市ヶ谷(現・東京都)の尾張藩上屋敷に生まれました。外交官を目指し、東京外国語学校(現・東京外国語大学)でロシア語を学びます。坪内逍遥を訪ねて「新しい小説」に目覚め、『浮雲』『平凡』など、それ以降の小説に大きな影響を与える、写実的な言文一致体を生みだしました。ロシアから帰国途中、ベンガル湾で亡くなります。

 いかがでしたでしょうか。もっといろんな話を読んんで見たい人は、ぜひ『1分音読』をお求めになってみたくださいね!

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お話を伺ったのは……●山口謠司(やまぐち・ようじ)● 1963年、長崎県生まれ。大東文化大学文学部教授。中国山東大学客員教授。博士(中国学)。大東文化大学卒業後、同大学院、フランス国立高等研究院人文科学研究所大学院に学ぶ。ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。『1分音読』(自由国民社)ほか著書多数。