検挙件数はここ10年で倍増し、今や痴漢に次ぐもっとも身近な性犯罪である盗撮。そんな盗撮を、「やめたくてもやめられない依存症」として捉える必要があると説くのは、これまで2000人以上の性犯罪者の治療に携わってきた精神保健福祉士・社会福祉士の斉藤章佳氏だ。
上梓したばかりの話題の著書『盗撮をやめられない男たち』(扶桑社)は、15年に及ぶ著者の加害者臨床の経験や、盗撮加害者521人へのヒアリング調査を通して、盗撮の実態に迫った画期的な一冊である(盗撮加害者本人たちの素顔に迫った『「気がついたらスカートの中を…」やめたくてもやめられない、盗撮にハマった男たちの告白』はこちら)。
「異常な性欲」が原因ではない
本書の中で印象的なのは、「(盗撮をはじめとする)性犯罪を性欲の問題に矮小化して捉えると、その本質を見誤る」と何度も繰り返し強調していること。つまり、盗撮加害者は「性欲が強いから」「性欲解消のため」「性欲のコントロールができないから」という理由で犯行を繰り返しているわけではないというのである。
もちろん、きっかけは性的な興味や関心であることも多いだろう。しかし本書によれば、最初は盗撮した画像を自己使用(自慰行為)していた盗撮加害者も、常習化していくにつれて、盗撮行為そのものが目的化していき、盗撮画像を見返すことすらなくなっていくケースが少なくないという(以下、引用はすべて『盗撮をやめられない男たち』より)。
「パラフィリア障害タイプ(編集部注:性依存症のうち、盗撮や痴漢など犯罪化するタイプを分類した名称)は、その法的リスクを冒すスリルや、捕まらずに行動化できた達成感、もしくは逮捕されたとしても“この程度で助かった”という負の成功体験が、脳内の報酬系回路に記憶され、さらにそれを繰り返すことで強化されていきます。それによって脳が快感物質であるドーパミンを放出するようになり、徐々に“条件付けの回路”が形成され、やがて習慣化していくと説明されています」
つまり、気がついたときには性欲とは無関係に、まるで条件反射のように衝動制御ができず問題行動を繰り返してしまい、本人の意志の力ではやめたくてもやめられなくなっているのが依存症の恐ろしさなのだ。
依存症の本質は、快楽ではなく「苦痛」
さらに、性依存症と聞くと、一般的には「性的な快楽にハマって抜け出せなくなっていく」というイメージが強い。だが本書によると、その認識も更新する必要があるという。
「盗撮行為に依存する人は、性欲を満たすことにハマる以上に、一連の行為における“緊張と緊張の緩和”により、ストレスが軽減されることに耽溺していくのです。この“一時的にストレスが緩和・軽減されるからハマっていく”ことこそ、行為依存の本質であると考えています」
要するに依存症は、快感や達成感にハマっていく側面よりも、強いストレスを感じる状況や、悩みや孤独感などの心理的苦痛、「自分はダメな人間だ」といった自己否定的感情を、一時的にでも緩和し紛らわせてくれることにハマっていく側面のほうが強いというのだ。そうすることで、本人の気づかないところで満たされない承認欲求や失われた自尊心を回復しているのである。
もちろん、人は誰しも何らかの悩みやストレスなどの生きづらさを抱えている。それでも大抵の人は、スポーツや適度な飲酒、サウナ、カラオケ、旅行、映画鑑賞など、法的にも倫理的にも健全な方法でストレスを解消し、盗撮や痴漢に耽溺したりはしない。
だが、斉藤氏は本の中で、身なりが整った裕福そうな高齢女性が、愛犬を亡くした喪失感から万引きに耽溺するようになってしまった例を挙げて、次のように述べている。
「このように人は、自分では想像もしなかったものや行為に耽溺し、やめたくてもやめられなくなってしまうことがあります。誰が何にハマるかは、わからない。最近の言葉でいえば“ガチャ要素が強い”とも言えます。その人がいつ、どんな依存症になるかは、当人にすらわからない部分が大きいのです」
言い換えれば、あなたが今、健全な方法でストレスを解消できているのは、もちろん健全な人間関係の要素も大きいが、自分の意志の力ではコントロールが及ばない、運の要素(生まれ育った環境や親、遺伝的要因、災害や事故などの影響)も多分にあるということだ。
例えば、診断名のつくレベルでなくても、スマホやSNSを見るのがやめられなかったり、エナジードリンクをつい何本も飲んでしまったり、激辛フードを食べてストレスを発散したり、自分を見失うほど振り回されるような危険な恋愛やセックスにのめり込んだりなど、あまり適切でない方法で日々の生きづらさをやり過ごしている人はいくらでもいるだろう。
そんな人が、死にたい気分に襲われたとき、自分を消したくなったとき、自暴自棄になったとき、たまたまお酒でその苦痛が一時的に緩和されたら、アルコールや薬物などの精神作用物質にのめり込んでいったかもしれない。仕事で大きな失敗をして落ち込んだあとに、ビギナーズラックでパチンコに大当たりしたら、ギャンブルにハマっていたかもしれない。
では、日常的に続くパワハラで上司に怒鳴られた帰りに、満員電車で女性のお尻に偶然手が当たった感触や、そのときの脳に電撃が走るような興奮が忘れられなくなったら? 職場で孤立していた人が、駅の階段で何となく女性のスカートの中が見えてしまい、周囲に誰もいないので恐る恐るスマホを向けたら隠し撮りに成功し、何とも言えない達成感で満たされてしまったら?
性欲の強さやもともとの性癖に関わらず、盗撮や痴漢にハマってしまう可能性は誰にでもあると考えていいのではないだろうか。
性犯罪に耽溺するのはなぜ男性ばかり?
しかし、そうは言っても、ほとんどの男性は「自分は盗撮や痴漢なんてひどいことは絶対にしない」「性犯罪に興奮するような異常な性癖はない」と思うだろう。そんなことをするのは異常な性欲を抱えた、非モテの特殊な変態だけに違いないと、自分とは切り離して考えたくなるのも無理はない。
だが、それならなぜ性依存症、特に盗撮や痴漢といった性犯罪に耽溺するのは男性ばかりなのだろうか。これについて本書は、男性にとって極めて受け入れがたい不都合な真実を突きつけてくる。
本書によれば、盗撮加害者をはじめとする性犯罪者は、自らの問題行動を正当化するための「認知の歪み」と言われる偏った捉え方を共通して持っているという。その言い分は、「相手に気付かれずに盗撮しているんだから、誰も傷つけていない」「スカートをはいているということは、盗撮されてもOKということだ」「痴漢に比べたら、直接触るわけではないから大したことではない」など、呆れるほど自分勝手なものばかりだ。
しかし、こうした考え方は、彼らがオリジナルで生み出したものではなく、日本社会にもともとあった「男尊女卑的な価値観」を学習し内面化した結果にすぎない、と斉藤氏は述べる。
「社会通念として男尊女卑的な価値観が広く共有されている社会では、ただ普通に暮らしているだけで、知らず知らずにその価値観を内面化してしまいます。性犯罪者や依存症者でいえば、彼らの認知の歪みは、社会全体に男女の非対称性が色濃く残る日本社会全体の価値観を反映しているだけ、ともいえるのです」
例えば、「そんな短いスカートだと痴漢/盗撮に狙われるぞ」と、まるで被害に遭う女性に落ち度があるかのような注意喚起や、「痴漢・盗撮に注意!」と女性にばかり自衛を求めるポスターは街に溢れている。
子ども向けの漫画やアニメでは、男子が女子の浴室や更衣室をのぞく行為が「ちょっとした出来心」や「思春期なら当然のこと」として描かれ、のぞかれた女子のリアクションも、顔を赤らめて「もう、エッチ!」といった程度で済まされてしまう。
また、痴漢や盗撮などの性犯罪は迷惑防止条例や軽犯罪法でしか取り締まれないことが多く、その罪状や刑罰の軽さゆえ、時に警察や司法関係者からすらも「しょせん痴漢/盗撮」といった態度で扱われることがあるという。
性犯罪者は、社会のこうした空気を敏感に感じ取って、自らの問題行動を正当化する。しかし忘れてはならないのは、私たちも普段、彼らと同じメッセージを受け取りながら無自覚に生活しているということなのだ。
刷り込まれた「男尊女卑」の価値観
男尊女卑的な価値観が当たり前のように蔓延している社会で生きていると、どうなるか。斉藤氏は、盗撮に限らず強制性交(レイプ)、痴漢、小児性犯罪、下着窃盗などすべての性依存症者に見られる背景として、次のような傾向を指摘している。
「男性の場合、自分の達成感や支配欲、優越感を一時的に満たす不適切なストレス・コーピング(編集部注:ストレスへの対処方法)として、女性を支配する、劣位に置く、モノのように扱う、性的に貶めるという手段を取る傾向が強く見られるのです」
この社会で生きている以上、男性は知らず知らずのうちに女性嫌悪(ミソジニー)や女性蔑視的な価値観をインストールしてしまっている。その結果、無意識のうちに、女性に対して優越感を感じていないとアイデンティティや自尊感情を保てなくなっている男性は多い。
つまり、普段どんなに「女性差別をしないようにしよう」と気を付けている男性であっても、強い心理的苦痛や否定的感情に苛まれて心が弱っているときには、女性に限らず「自分よりも弱い立場にあるもの」を暴力や性的に支配することで、悩みやストレスが吹っ飛んでしまう可能性があるということだ。うっかり盗撮によって心が救われ、そこからハマってしまうことは誰の身にも起こり得るのである。
だからこそ、「自分は盗撮なんかしない」と切り離すのではなく、「他者を傷つけることで自分の傷ついた自尊感情が回復することがある」という自らの加害性を自覚し、日頃からセルフモニタリング(自分を客観的に観察)しておくことが必要なのだ。
「現代の日本社会に生きる以上、私たちはどうしても男尊女卑的な価値観に基づく認知の歪みを学習しやすくなっています。盗撮加害者として生まれてくる男性はいません。盗撮加害者になりたくて生まれてきた男性もいません。この社会のなかで、彼らは盗撮加害者になっていくのです。これまで見てきたとおり、“自分は盗撮なんてしない!”と強く思っていても、ある日ふとしたことで盗撮行為にハマってしまう可能性があるのです」
本書は、盗撮という一見ニッチな性犯罪について521名のデータをもとに詳しく書かれた本だ。しかしこの本を読み終えたとき、私たちは盗撮が自分と無関係な他人事ではないことに気が付くだろう。
私たちの生きる社会全体が、すでに深刻な「認知の歪み」を抱えた男尊女卑という依存症にかかっており、盗撮はその数ある症状のひとつにすぎないのだから。あなたが今、無意識にしている言動は、誰かにとっての盗撮のようなものかもしれないのだ。
福田フクスケ(ふくだ・ふくすけ)
編集者&ライター。週刊誌の編集を経て現在は書籍編集。またライターとして田中俊之・山田ルイ53世『中年男ルネッサンス』(イースト新書)、プチ鹿島『芸人式新聞の読み方』(幻冬舎)、松尾スズキ『現代、野蛮人入門』(角川SSC新書)などの構成に参加。雑誌『GINZA』で連載コラムも。Twitterやnoteにて、恋愛・セックス・ジェンダー論の発信もしている。