加藤浩次氏はどのように場をさばいているのか、古舘伊知郎氏が分析します

 時代とともにテレビの中で役割が変わってきた司会者・MC。活躍している人々はどのような場のさばき方をしているのでしょうか。フリーアナウンサーの古舘伊知郎氏が「後世に伝えておきたいMCの歴史」として上梓した『MC論 昭和レジェンドから令和新世代まで「仕切り屋」の本懐』より一部抜粋・再構成してお届けします。

大衆を半歩先回りする「予知能力」

 加藤浩次君は、あの人しかできない司会を、『スッキリ』で身につけましたね。古い言い方ですけど、「大衆が、どんなモヤモヤを抱いているか」を一番敏感に語れる人じゃないでしょうか。

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 芸人さんの闇営業問題が起きたときも、いち早く番組内で、自分が身代わりのように、「俺はヨシモト抜ける覚悟がある」って風を起こすじゃないですか。

「会社を辞めたいけど、組織にいなきゃ食っていけない」ってストレスを溜めている視聴者がいる中で、あんな発言をされたら、それだけで代理満足を得られる。加藤さんはその役目を一手に引き受けています。

 多少きつい言い方をするときもあるけど、必ず芯食ったことを言って、「ここがいかんのだと僕は思うわけですよ、僕の考えですけどね」っていうのが、偉そうに説教しているわけでもなくて、観ている人の多くがモヤモヤと思ってたことを言語化してくれた感覚になるんですよ。

「僕の考え」っていうのが、加藤君の考えでもあるけど、同時に一般人代表の意見にもなっているからだと思います。「このニュースって、何なの?」とか、「この政治の事件って?」とか、そういうもろもろの事象に対する声を、ドンピシャで同時通訳してくれる感じが心地いい。

 加藤君は半歩先回りする予知能力を持っている。だから、あんなふうに言語化できるんですよ。それから、あのハスキーボイスがいい。もし、あの声が中尾彬さんのように野太くて響きのある美声だったら、重すぎるんですよ。加藤君は、ハスキーだけど響きのない声、乾いたパーカッションみたいな声で、「そういうとこないっすか、僕はそう思いますよ、少なくとも」って言うから、民衆の意見という感じでちょうどいいんですよ。

 ハスキーボイスって、聞いているほうにうるさいって印象を与えない。ダメージを与えにくいんです。

 あの何とも言えない佇まいも、いいです。別に色男でもないんだけど、立ち姿がスッとキレイ。なんか『スッキリ』で司会をはじめた頃よりも大きくなっている感じがしませんか? 年齢的に身長が伸びているはずはないけど、どんどん大きくなっている感じがする。それだけ貫禄がついてきているとも言えるし、「僕の意見だけどね」が全然僕の意見じゃなくてみんなの代弁者になっているところも、彼を大きく見せている一因だと思います。

 加藤君はよく、「これ僕の意見ですけどね。どうなんすか。ねえ、どう思います?」って問いかけるじゃないですか。あれは、アナウンサーが、「皆さんはどうお考えでしょうか」って言うのとはまったく違います。

 アナウンサーは、文字どおり「皆さん」に問いかけるけど、加藤君は、「どう思います?」って番組を見ている「あなた1人」に問いかける。問いかけられたほうは、そんなにすぐに自分の意見を言語化なんてできないから思わず、「ああ、俺? わかるよ。そういうことだったよ、俺が言いたかったのは」って同調しちゃう。だからハーメルンの笛吹き男のように、みんなが加藤君についていっちゃうんですよ。

白でも黒でもない。ライトグレーな存在だからいい

 加藤君は、ツッコミながらも相手に合わせますよね。相手を限界までは追い詰めない。これは加藤君に限らず、MCや司会者なら必ずあります。

「逃げどころをつくる」

 そうじゃないと務まりません。殺し屋じゃないんだから、一撃必殺なんて思ってないですよ。『スッキリ』でボクシングの山根会長と対峙したときも、相手が怒るんじゃないかってこともちゃんとツッコむ。司会として豪腕です。

 加藤君自身、真っ白が一番いい、一点も汚れちゃいけないっていう正義原理主義者ではない。

「自分は聖人君子ではないけど、それでも人間って、真っ黒になっちゃダメですよね。ライトグレーで生きないと。どう思います?」って感じがありますよね。真っ白だと本当のケンカになる。「あんたの黒を許さない」ってことになりますから。

 警察の取調官だって、がんがん追い込んだら黙秘権使われるだけなのを知っているので、左右に揺らしながら、ぶらしながら自白させるようにもっていくんです。MCもそう。

 万が一MCが相手をノックアウトさせるようなパンチを入れちゃったら、慌てて抱き起こします。抱き起こして介抱してから、また軽くジャブを打つ。マッチポンプをしないと、相手から本音は引き出せませんから。

プロレスとMCの共通点「合わせ」

 先日、アントニオ猪木さんが静養している湯治場に会いに行きました。猪木さんはだいぶお年を召して、ちょっと元気がなかった。そんな猪木さんの今の顔を見て、「猪木さんが現役でプロレスをしていた頃の凄味や強さって何だろう。分析せざるを得ない」と思いながら、帰宅後にプロレス関連のYouTube を見ていたら、前田日明さんのチャンネルで前田さんと藤波辰爾さんが対談していたんです。

 前田さんが、「藤波さんがすごいのは、相手がこう来るからこう受けようとか、こうくるからこうかわそうとか、いちいち考えない。相手に合わせて体が反応している。だから俺も信頼してミドルキックもハイキックもできた」と言ったんです。

 この「合わせ」って、プロレスではとても大事なんです。プロレスって、ものすごい攻撃を受けたときに「受け身」を取って受けてあげる世界がある。カウンターパンチをよける「かわし」の世界もある。

 そして、受け身でもかわしでもない「合わせ」の世界もある。相手が仕掛けた攻撃に対して合わせるんです。ガチンコの戦いとまた違う、舞いみたいなものです。相手の攻撃を際立たせ、こっちがやられていることも際立たせる。二重奏によって、見ている人の興奮度が倍になる。

 すると、前田さんが、「猪木さんは、それで言ったら究極ですよね」と。前田さんは、ハイキックで思い切りアントニオ猪木のあごにヒットさせようとしたら、向こうがジャンプしてあごを伸ばしてのどの急所以外に当てさせたと話していました。まさに「合わせ」です。

 猪木さんは、相手の技を立てるために合わせていったんです。前田さんは、「猪木さんが、合わせてグッとジャンプしたとき、信じられなかったですよ」と。前田さんを立てるわ、逃げないわ、逆にジャンプしてのどに受けた。最悪の場合をかわしながらも、合わせにいった。

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どんな相手にもツッコミながら合わせる

 能で、相舞(あいまい)っていう、2人で舞うことを指す言葉があります。

 2人で舞うときは、リハーサルはしないそうです。リハーサルしちゃうと、リハーサルどおりにやろうとしてぎこちなくなって、「その瞬間」を舞って見せることがきなくなってしまうから。

 それに、リハーサルをして相手の動きを熟知すると、相手に合わせようと意識しちゃう。合わせすぎると自分が出ないし、相手も殺す。だからリハーサルをあえてせず、本番でお互いにその瞬間を探りながら、舞うんです。

 ちょっと相手に合わせてみる。次は相手が合わせてくれるかな? いや、ここは悪いけどやらせてもらおう。やっちゃったあとは悪いから、またちょっと相手に合わせる。

 このお互い様というか、相身互いの相に舞うっていう「相舞」が、のちに曖昧模糊の「曖昧」に字が変わったという説があります。

 この相舞の話を聞いたとき、これってプロレスの「合わせ」と同じだと感じました。加藤君はどんな相手にもツッコミながらちゃんと合わせますよね。相舞している。だからこそ相手も踊ってくれる。MCには合わせや相舞が必要。加藤君はその名人なんですよ。


古舘 伊知郎(ふるたち いちろう)Ichiro Furutachi フリーアナウンサー
立教大学を卒業後、1977(昭和52)年、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。「古舘節」と形容されたプロレス実況は絶大な人気を誇り、フリーとなった後、F1などでもムーブメントを巻き起こし「実況=古舘」のイメージを確立する。一方、3年連続で「NHK紅白歌合戦」の司会を務めるなど、司会者としても異彩を放ち、NHK+民放全局でレギュラー番組の看板を担った。その後、テレビ朝日「報道ステーション」で12年間キャスターを務め、現在、再び自由なしゃべり手となる。2019年4月、立教大学経済学部客員教授に就任。