世の中の常識を打ち破り続け、天衣無縫な言動でおなじみの高須クリニック院長、高須克弥さん(76)。全身がんを公表し、治療風景も配信するなど、度肝を抜く行動は相変わらず。そんな院長の野望、死生観、パートナーである西原理恵子さんへの思いとは―。
常識は、みんなが勝手にそう思い込んでいるだけ
「がんって、いちばんハッピーな病気だと僕は思うの。見つかったからといって、すぐに死ぬわけじゃない。早期発見なら、治る可能性だって高まる。突然倒れて、そのまま死んでしまうよりも、計画性を持って病と向き合うことができるんだから、最高じゃない?」
弾んだ声で、あっけらかんと笑う。目の前にいる人間が、全身がんに侵された闘病中の人間だとは思えない。ふくよかな見た目も、悲壮感とは無縁のよう。素直にそう伝えると、
「だって、やつれた顔にならないように整形してるんだから!(笑)この後も、時間が空くから、ちょっと頬を膨らませてふくよかな感じにしようと思っているの」
思わず、「その手があったか!」とひざを叩きたくなる。顧客すべての要望に対して「YES」と応えていくという意味が込められたキャッチフレーズ『YES、高須クリニック』。やつれた姿を見せたくないという自身の要望をも整形に生かし、われわれを驚かせる。
「僕のモットーは、人生劇場。正直言うと、体調は最悪! でもさ、苦しい顔をしている舞台裏なんか見せても、誰も面白くない」
日本でもっとも有名だろう美容整形外科ドクター、高須克弥。話を聞けば聞くほど、がんとの闘いを楽しんでいるように聞こえてしまうから、恐るべしである。
振り返ると、高須院長の歴史は、未開の地を開拓する─、その連続だ。美容医療が、まだ日陰を歩んでいた時代、1976年に美容整形の専門クリニック『高須クリニック』を設立。
包茎手術を定着化させたかと思えば、院長自ら名づけた“プチ整形”、すなわち二重まぶた・目元・たるみなどの整形手術、若返り術を幅広い層に浸透させ、美容整形ブームを作り出した。非常識を常識に。なぜ、こうも覆せるのか?
「覆しているつもりはないの。常識って、みんなが勝手にそう思い込んで、常識と呼んでいるだけ。だって、僕らは民主主義が常識だと考えているけど、タリバンから見たらそれは常識じゃない。
Aさんから見た常識は、必ずしもBさんの常識だとは限らない。常識というのは、あくまで不特定多数だったりマジョリティーがそう呼んでいるものでしかない。そこに合わせないからこそ、新しいカルチャーが生まれたり、ビジネスチャンスが生まれる」
思い込みを再設計してきたからこそ、『高須クリニック』は美容整形の印象を刷新した。だからこそ、がんに対しても一家言がある。
「がん=かわいそうみたいなイメージがあるけど、それって世間が勝手に決めつけているだけだよね」
自らが実験台になれるのが楽しい
高須院長に、尿路系がん細胞が見つかったのは2015年。精査の結果、腎臓と膀胱にまで拡大していた。その3年後、全身がんであることを自身のツイッターで公表し、大きな話題を呼んだ。
「いつからか、がんって克服しなきゃいけないもの、闘って勝たなきゃいけないものになってしまった。僕は、浄土真宗の僧侶でもあるから“受け入れること”こそが大事だと思うの。
受け入れたうえで、どう向き合うかが大切なのに、『勝つ』とか『克服する』が前提になっているのはおかしいよね。高齢者に、『病気に負けないで! 頑張って!』って、無理があるだろって」
そう笑い、「だから僕は受け入れたうえで、実験台になろうと思っている。いまいちばんやりたいのは、がんの治し方を探ること」と言葉に力を込める。闘病の様子を、Twitterやインスタグラムなどを駆使して発信するのもそのためだ。
「がんの標準治療をしながら、みんなが眉をひそめるような治療もひと通りやっている。例えば、僕の血液を特殊な治療器具で体外循環させ、そこからリンパ球に含まれる“がんを攻撃する細胞”を取り出し、その細胞を培養して増やして点滴で再び身体に戻すという免疫治療もやってみた」
効果が保証された治療ではないから、保険は利かない。自己責任となるが、「恐怖よりも興味が勝っちゃう」と淡々と語る。
「死ななければいいんだから、とりあえずやってみる。ぼーっとして死ぬよりも全然いい。うまくいったら僕の利益になるし、うまくいかなかったら後学のためになる。どっちに転んでもメリットはある」
美容整形は、もともと生まれ持った自分をさらに美しくするという幸せ追求医療─「サーチ・オブ・ハピネス」とも言われている。高須院長は、がん体験の中にあっても幸せを探している。
読者の中には、こういった高須院長の行動を「強がりでは?」と考える人もいるかもしれない。だが、高須院長は、47年間連れ添った妻で医師のシヅさんが転移性肺がんで亡くなった際も、夫婦二人三脚で計画的に病と対峙している。
シヅさんは、'99年、世間を驚愕させた若返り手術『ハードケミカルピール』を日本で初めて成功させた人物だ。高須院長自らが実験台となり、妻の手によって顔を20歳若返らせた。彼女は、過去のインタビューでこう述べている。
「うまくいかなかったらいかなかったで、すごく財産になる。成功したら、高く評価されるのだからやりなさい」
シヅさんにがんが見つかった際、余命は「よくもって3年」と宣告された。積極的に自らが行動し、闘病の身でありながら夫婦そろって旅行にも出かけた。韓国旅行では万馬券も当てた。3年どころか9年の月日が流れた後、シヅさんは息を引き取った。「充実していた。漫然と生きているのはよくないと思い知った」、そう高須院長は述懐する。
「この世に生きている間は、この世の中で解決できるはずなの。だったら、やりたいことはやったほうがいい」
Uber 整形を実現したい!
興味の矛先は、がん治療だけでなく、コロナ禍の美容整形業界にも及ぶ。あるアイデアが浮かんでいると喜々として話す。
「コロナ禍は、新しいビジネスチャンスの機会でもあると思うの。僕がいま考えているのが、Uber EatsならぬUber 整形! 往診や悩みを聞いて提案するだけだったら、出張整形が可能。
ボトックスとかヒアルロン酸を打つだけならUberみたいな感覚でできると思うんだけどなぁ。スマホに、あと何分で到着しますと表示されて、『お待ち!』って伺うの(笑)」
このアイデアも特許を取らないと! ころころと笑いながらおどける姿を見ると、“かっちゃん”の愛称で親しまれている理由がよくわかる。そうかと思えば、「常に新しいアイデアを生み出していかないと企業って生きていくことができないからね」とあらたまる。
「Uber 整形みたいなアイデアは、僕なんかより若い世代から出てこなきゃいけない。でも、息子たちは、僕よりも全然頭が固いし、孫たちも地道なんだよね。若い子たちに話を聞くと、『食べていくために勉強をする』って言うの。
それはそれで大切なことだろうけど、“食べていく”ことが究極の目標になったら成長はない。勉強をするのは、技術を身につけて、信用を生み出すため。僕はかつて100億円の借金があったけど、技術を身につけていたから返済できた。そこに信用が加われば、鬼に金棒」
誰もが知るスーパー美容整形外科医師。だが、本人は「いろいろなことをやりたいし、やってみたけど、いちばん自分に向いていたのが美容整形外科医師だっただけ」と笑う。
たしかに、高須院長のTwitterのプロフィールには、篤志家、教育者、売れないものかき─といった肩書が並び、最後に申し訳なさそうに「医者もできる」と書かれている。そして、その中ほどには「全身癌」とも。
人生が物語だとしたら、こんなにも豪快かつ珍奇なエピソードにあふれた人はそうそういない。全裸監督ならぬ全身整形─。「Netflixでドラマ化、あるんじゃないですか?」、そう尋ねると、「西原(理恵子)は絶対狙ってる!」と事実婚の関係にあるパートナーの名を口にして破顔する。
「朝ドラかNetflixかわからないけど、彼女しか原作が作れないもん。でも、『原作者の取り分は安い!』って、今からぼやいている(笑)。僕には何の利益もないけどさ、僕が残せる最後の遺産だと思うから、西原には書いてほしいな。全裸監督より僕のほうがスケールが大きいと思わない!?」
お金は飛行機の燃料みたいなもの
過去、本誌がインタビューをした際、高須院長は、
「人生の終着点が見えているときに、お金を大量に持っていたら遺産相続などで親族が大ヤケドをする。だからこそ僕は、お金を使い切って死ぬことが夢。
お金って飛行機の燃料みたいなもの。自分が飛翔するために必要だけど、着陸するときに燃料がありすぎると、もしものときに大爆発する。一生飛び続けることなんてできないんだから、使うときに使わないと!」
と吐露している。だが、人が生きたとき、残るものはお金だけではない。
美容整形業界を開拓し、包茎の価値観を変えたプチ整形の生みの親。国税局に脱税を指摘され重加算税20億円、バブル崩壊で借金100億円。2度の大震災では、被災者への治療を1年間無料にし、全身がんの実験台を自ら買って出る。
何より、整形前と整形後で演じる役者が変わってもおかしくないくらいの物語性。たしかに、スケールが大きすぎる。
「来年6月に、いま高須クリニックが入っている赤坂のビルが再開発でなくなっちゃうの。だから、移転しなきゃいけないんだけど、新しい場所として銀座の商業施設の最上階が空いていたから、そこにした。コロナの影響で、銀座からみんないなくなっているからこそ、僕は逆張りをする(笑)」
自らが実験台となり、世間をアッと言わせ続けてきた男の辞書に、悲壮感の文字はない。
高須クリニック https://www.takasu.co.jp/
〈取材・文/我妻弘崇〉