10万部ヒットの初エッセイから2年、第2弾エッセイを発売したお笑いコンビ、ハライチの岩井勇気。新刊には初めて書き下ろした小説も収録。“本嫌い”という芸人作家の本音に迫る。
初エッセイ『僕の人生には事件が起きない』が10万部を超えたお笑いコンビ、ハライチの岩井勇気が第2弾『どうやら僕の日常生活はまちがっている』を発売。前作に続くベストセラーに期待が高まる。
「(前作の)10万部に手放しでは喜べないですね。自分では何で売れたのかわからない。エッセイがおもしろいのかどうかも疑わしい。(読者から)おもしろかったと言われましたが具体的なことは知らないです。ユーモアを入れて書いていますが、大爆笑できるほどじゃない。
“クスリと笑いました”という声がエッセイとしてはいい評価だったとしても、お笑い芸人でネタをつくっている立場からすると“クスリと笑う”は傷つくし、うれしくない評価です。だからといって“大爆笑しました”“涙を流して笑いました”と言われたら“そんなことあるか”って。
漫才のようにリズミカルに書いているつもりなので“読みやすかった”“あっという間に読めた”と言われたほうが納得できたかな」
相方の澤部佑やエッセイにも登場する母親の反応も気になるところ。
「どっちも読んでないし、渡してもいません。
母親はいっぱい買って親戚や知り合いにあげたりしています。でもあるとき“まだ読んでないのよ”というので理由を聞いたら、“熟成させているの”って。意味がわからないですよね。
磯野貴理子さんと島崎和歌子さんからは、おもしろかったと言われましたけど俺のエッセイを買って読む人って、あのくらいの年代の女性なのかなって(笑)。うれしかったけど俺のエッセイにたどり着くには相当、活字が好きじゃないとたどり着かないだろうから解せなくて“何で読んでいるんですか? ”と逆に聞いちゃいました」
自分から書きたいとは言ってない
エッセイは月刊誌とブックサイトでの連載をまとめたものだが、新作には初めての小説を書き下ろして収録した。
「そもそもエッセイは出版社にやってくれと言われたからで、小説も自分から書きたいと言った覚えはないです。
もともと本は読まないし、活字を読むと頭が痛くなる。俺のような活字が嫌いな人でもスラスラ読めるように書いているつもりです。もしかしたら、純文学とか好きな人には物足りないかもしれないけど……。出版社の方はいろいろな本をくれるんです。ちょっと読んでみたけど本好きがすすめる本だなって(笑)。そういう本にはしたくないと思って書いています」
エッセイみたいな小説を心がけた。
「エッセイの延長線上にあるような内容です。小説と謳うとワンランク上、崇高なものにとらえられるのにちょっと腹が立って(笑)。創作においては一緒なのにエッセイのほうが低い評価をされる印象で、何が違うのかと思う。俺が書いたエッセイは小説じゃないのか。垣根を取っ払い、警鐘を鳴らしてやろうと思います」
本嫌いだが中学生のときに読んだライトノベル『ブギーポップは笑わない』(上遠野浩平・著)は印象に残っている。
「当時のライトノベルに多かった男の願望を詰め込んだような作品とはまったく違って、視点をいろいろ変えて書かれているのがおもしろくて何回も読みました。何であんなにうまく書けるのか、いまでも思うほど。自分には無理ですね」
相方・澤部に発言権はないです
前作から2年を経て執筆作業に変化は?
「書く時間が早くなりました。最初のころは(一編に)5時間ぐらいかかったけど、いまは2、3時間。内容を無理に誇張することが減って、思ったことをそのまま書いたほうがおもしろいと思うようになり肩の力が抜けました。
書くのはリビングかベッドの上です。ゲームに飽きて食事をして、エッセイが暇つぶしと思えるくらい何もやることがなくなったら書くモードに入ります」
ネタづくりとも並行する。
「エッセイはネタづくりより楽です。ネタは確実に笑いをとらないといけないので緻密さが必要です。文章はダラダラ書いて何か言われても、ダラダラ書いていることに意味があると後づけして言い逃れができる。でもネタはその場で結果が出るものなので難しい。気をつけないと笑いもとらないダラダラ話すだけの内容になるのでネタづくりに支障をきたしています(笑)」
快活な印象の相方・澤部とは対照的なコンビで、自身はひねくれキャラのイメージが強い。
「学生のときからリア充だったし、自分が暗いと思ったことはありません。友達も多いし、人への垣根もなく人見知りや物怖じしないタイプです。
コンビにおいては俺のネタで売れたし、ネタをつくらない澤部に発言権はないので、俺に100%従うようになりましたね」
2冊目が発売されたばかりだが、早くも3冊目が計画されている。
「1冊目を書いたときに“出版社のゴリ押しで何か賞をとらせてくれ”と言ったんです。でも“エッセイの賞はないです”って。小説は賞がいっぱいあるのに、目指すものがない状態で書かされている。
でも文章を書けるようになりたいと思って始めた部分もあります。例えば声明文とか遺書をしっかり書きたい。思っていることが伝わらず、内容がまとまっていないのは嫌だしカッコ悪い。俺のパブリックイメージのためにも(笑)文章はうまくなりたいです。
小説家として名をはせることはできないだろうから、エッセイを小説と言い張っているやつになってやろうかと思います」
文学界の新星として注目されるかも。
恋愛エッセイは薄味?
35歳、独身。その日常を綴ったエッセイには“恋愛”めいたことが登場しない。
「恋愛を書く予定は、ないですね。書いてもいいけど薄味になると思います。理由は優先順位が低いから。人生において仕事、お笑いがいちばん。恋愛はだいぶ下です。好きな女性のタイプは、俺のことを好きな女性ですね。俺が好みだと思っても相手が俺のことを好きじゃなかったら興味がなくなる。需要と供給で成り立っているような関係は疲れちゃう。無償の愛をくれる人がいいですね。マザコンだけど、母親を理想と思ったことはないです」
(撮影/齋藤周造)