1990年代のトレンディードラマを牽引した「トレンディ御三家」の長男・吉田栄作もはや52歳。そんな彼が再婚を決意した。報道したのは『週刊女性』(9月29日・10月5日号)だった。
「お相手は13歳年下の女優・内山理名。2017年のドラマ『今野敏サスペンス 確証~警視庁捜査三課』(TBS系)で共演すると、翌年には交際が発覚。何でも“40歳までに結婚したい”という彼女の気持ちを汲んだみたいですね。
同誌の取材に吉田の実父は、4月に妻(吉田栄作の母親)が亡くなったことと、お盆に息子が彼女を連れてきたことを明かした上で“1年間、喪に服して来年に結婚する”と話しています。孫の誕生にも期待を寄せていました」(スポーツ紙芸能デスク)
それにしても交際中だったとはいえ、吉田の再婚相手というのが“内山理名”だったことに驚く業界人も多いようだ。“プレイボーイ”と名高かった彼にとって、まさにお似合いの美女の存在があったからだ。
助手席に座る“バブリー美女”
かつて吉田と仕事をしたことがある元ドラマプロデューサーが、街中で彼と偶然会った時のエピソードを明かす。
「代官山から渋谷方面に向かう旧山手通りでタクシー待ちをしていると、たしか真っ赤なオープンカーだったと思うんだけど、目の前に止まって。するとハンドルを握りながら“どーも!”と爽やかに話しかけてくれたのが栄作くんだった(笑)。
その助手席に座っていたのが、ボディーラインを強調するドレスを着て、茶髪に派手なメイクをした“バブリー”な美女。軽く会釈する仕草もすごく色っぽくて、“栄作くん、変わらずバブリーだね〜”って思って。で、その時にはピンと来なかったんだけど、後になって“あ、そうか、奥さんだ。平子理沙だ”って。だいぶ印象変わってたから(苦笑)」
ファッション誌『JJ』や『ViVi』でモデルを務めていた平子理沙と結婚したのが1997年のこと。前出のプロデューサーが夫婦と会ったのは結婚から数年経っていたことから、当時は引退状態にあった平子の存在を忘れていたそう。ところが、後に彼女がブログで発信する美容情報が注目され始めると、奇跡のアラフォーとして芸能界にカムバック。
多くの女性から支持を集める“美のカリスマ”として雑誌やテレビに引っ張りだこになると、“吉田栄作の妻”という立場から一転、吉田が“平子理沙の夫”と報じるメディアも。一方で、恋人のようだった夫婦は次第にすれ違いが多くなりーー。
「2015年に、互いに別の相手との“デート”を報じられたのですが、すでに2人の関係は終わっていたのでしょう。そのまま同年に離婚。
平子の父親は企業の重役で母親はネイル界の第一人者。不自由のないお嬢様育ちでインターナショナルスクールに通い、アメリカ留学も経験している。セレブでオープンな性格な彼女は、いつまでも自分が一番で恋人のように扱ってほしかったのかも。
一方でトレンディーイメージとは逆に、堅実で古風なのが吉田。もちろん夫婦にしかわからない事情があったのでしょうが、彼は妻と家族になりたかったのかもしれない」(芸能リポーター)
なぜ、内山理名ばかり起用される
アラフィフにして別々の道を歩み始めた2人。そして吉田が出会ったのが内山だった。実は彼女に関して、芸能関係者にして“七不思議”とまで囁(ささや)かれた話がある。老舗芸能プロマネージャーによると、
「素晴らしい演技をする女優さんなのは間違いない。ただ失礼ながら、若い頃から飛び抜けた美人というわけでもスタイルがいいわけでもない。所属事務所は今でこそ“女性版ジャニーズ”と形容されるほどに、人気女優を多数輩出するまでに大きくなりましたが、当時は力があるというわけでもなかった」
それでも、女優デビュー後はドラマや映画に起用され続け、また多くの作品で主演を務めている。
「そのため、キャストが発表されると“また内山理名?”と不思議がっていた芸能事務所も少なくはなかった。でも、実際に彼女と仕事をしたら納得なんですよ。すごく自然体で場の空気を和らげてくれるし、共演者やスタッフに関係なくナチュラルに接してくれる。
仕事にも一生懸命だし、内山さんがいれば何となく安心感がもてる。これって、ピリピリする現場ではけっこう貴重な存在なんですよ。それこそ“お相手”役を務めたら惹かれると思いますし、栄作さんもその一人なのでは?」(前出・老舗芸能プロマネージャー)
2019年に吉田が50歳を迎えた年、『週刊女性』は生前の実母に話を聞いていた。交際する内山について、《まだ会ったことないんです。栄作が、料理が上手とか、素直で気持ちがいい子だなんて言っていますので、会える日を楽しみにしています》と印象を語り、
《(孫の顔も見たい?)そりゃそうですよ(笑)。栄作の兄にも子どもがいないので。でも、栄作は何事も深く考えてからやるほうですし、そういうのは親から言うことではありませんから》と、孫に会える日を心待ちにしていた。
今年のお盆に内山を連れて、亡き母にお線香をあげた吉田。結婚報告は何よりの親孝行になったことだろう。