「小室佳代さんに400万円以上のお金を貸したのですが、本人に要求しても一向に返金はなく、とても困っています。弁護士にも相談したところ“借用書がなければ法的にも勝ち目がない”と言われてしまって……」
'17年12月、皇室担当記者だった私は東京・六本木のカフェで、知人から紹介されたある男性と相対していた。
次々と明かされる小室家エピソード
当時は60代後半で上品な小ぶりのハットをかぶり、蝶ネクタイをつけたスーツ姿の男性から切り出された証言の数々は、衝撃的なものだった。
「なぜ、そこまでの大金を貸すことになったのですか?」
そう尋ねると、彼は答えた。
「'10年の9月から2年間、佳代さんと婚約していました。そのときに小室家の生活費や、圭くんの学費から留学費用まで貸してしまって……」
カフェのBGMでかき消されそうになるほどの小声で事情を説明するのは、小室圭さんの母・佳代さんの元婚約者である竹田さん(仮名)。その表情や声から、いかに困窮しているかが伝わってきた。
佳代さんとの馴れ初めや“金銭ヘルプ”の詳細や小室家に関する詳細なエピソード、婚約解消に至った理由など、次々と耳を疑う事実が明らかになっていく–––。
それは、眞子さんと小室さんが婚約内定の会見を終え、翌年の3月には一般の結納にあたる『納采の儀』を控えるタイミングだった。
そんな中、私は竹田さんから寄せられた証言と証拠を基に、婚約が延期される原因となった金銭トラブルを同年末、『週刊女性』で報じたのだった–––。
小室さんの存在が世に知れ渡ったのは'17年5月、NHKが夜のニュースで眞子さんの婚約内定をスクープしてからだ。
しかし、『週刊女性』はその半年前の'16年10月、横浜でのデートを終えた電車内での仲睦まじい様子を、どの媒体よりも早くツーショット写真とともに報じていた。
まじめで明るい小室圭さん
「次はマーちゃんの携帯も見せてよ」
と、スマホを覗き込もうとする小室さんに対して眞子さんは、
「ブサイクだからやだぁ〜」
と嫌がられていたものの、その表情は本当に拒んでいるご様子ではなかった。小室さんは時折、眞子さんの髪の毛やおでこに触れ、おそろいのリングとブレスレットをつけるラブラブぶり。
小室さんはその日、自宅とは反対方面である赤坂にあるお住まいまで眞子さんを送っていった。眞子さんが小室さんへ浮かべていた表情や親密ぶりから、
「そう遠くないうちに結婚されるのかもしれない」
と、感じていたところ、婚約内定報道が出たのだった。
その夜すぐに、神奈川県横浜市内にある小室さんの自宅マンションに向かうと、多くの報道陣でごった返していたのだが、近隣住民たちは、
「圭くんは昔からきちんと挨拶できる子ですし、受け答えもしっかりしていて、眞子さまを幸せにしてくれます!」
などと声をそろえて、小室さんのことを絶賛していた。
その後、小室さんが新卒で『三菱東京UFJ銀行(当時)』に入行後、現在は都内の法律事務所にパラリーガルとして勤務しながら、『一橋大学大学院』で経営法務を学んでいることがわかる。
小室さんが'10年度に『湘南江の島 海の王子』で同期だった男性は当時、次のようなエピソードを明かしてくれた。
「海の王子に就任して間もないころ、『NHKのど自慢』に私が出場したのですが、前日の夜に小室さんに伝えると“そんなことめったにないから応援に行くよ!”と、翌日、本当に藤沢市内の会場まで駆けつけてくれたんですよ」
小室さんの大学時代に同じ寮だった後輩からも当時の話を聞いていた。
「寮のメンバーで飲み会をした際、みんなが2次会に行く流れの中で“ごめん、勉強があるから帰ります!”と、ひとりだけ大学に戻っていて、勉強熱心なんだなって。
うちの寮では、入ったばかりの学生が学内の広場で紺色のハッピを上半身裸の状態で着てダンスをする習わしがありました。小室さんは自己紹介と一発芸も披露するよう言われても、まったく嫌な顔をせずにこなしていましたよ」
まじめで、度胸も持ち合わせていることがわかる。
小室さんの報道が落ち着いてきた'17年の秋ごろ、小室さんが銀行員だったころの同僚からも話を聞くことができたのだが、私が抱いていた“周囲から愛される”彼のイメージとは少し異なっていた。
「彼は会社の中でも少し浮いていて、ほかの行員たちも“あいつはいつもぼーっとしてる”ってぼやいていました。あるとき、部内でクライアントとの重要書類が紛失したことがあったのですが、その担当者が小室さんでした。
彼はその書類を女性行員に“渡しましたよ”と慌てる様子もなかったんです。でも、女性のほうは“見つからない”とパニック状態で大泣きしていたのに、小室さんがまったく取り乱さなかったことには驚きました」
父方の親戚は「ずっと疎遠」
一方で、これまでに関係者から聞いてきた“小室さんらしさ”を感じるエピソードも。
「2か月に1回くらいのペースで、行員が5分ほどの朝礼の挨拶をする機会があるのですが、小室さんの普段とは違うギャップに驚きました。キラキラした笑顔、大きくハキハキした声、内容も支社内の売り上げ成績などを織り交ぜるなど、素晴らしい挨拶だったんです」
人前では明るくまじめで優しいキャラクターと、ともに働く同僚たちに見せた“覇気が感じられない”2つの顔を感じた瞬間だった。
ほかにも、佳代さんの夫・敏勝さんとその父親である善吉さんの自死、過去にあった敏勝さんの実家との遺産相続に関する交渉問題など、小室家の生々しい報道が相次いだ。
私は少しずつ小室さんへの違和感を抱き始めていた。最大の疑問は、
「小室さんの学費はどこから捻出されていたのか」
ということだった。なぜなら、小室さんは私立の『国立音楽大学附属小学校』、中・高は『カナディアン・インターナショナルスクール』、大学も眞子さんと同じ私立の『ICU』を卒業している。大学時代にはカリフォルニア州に留学もしており、小室さんの学費は相当かかっていたからだ。
一般的なシングルマザーの収入でまかなうのは大変な額だと考えたため、敏勝さんの親戚から援助を受けているのかと思っていくつか尋ねても、
「敏勝さんのご両親が亡くなった後に実家も取り壊してから、あちらの家とはずっと疎遠ですよ」
とのこと。小室さんの親戚がサポートしていないのであれば、いったい誰が─。
ちょうどそのころ、竹田さんから佳代さんにたびたびお金が送金されている明細や、彼女が借金だと認識していたことがわかるメールなどを入手し、金銭的援助の話を聞いたことで学費の謎が解けた。金銭トラブルの内容は、これまでも散々報じられているとおりだ。
秋篠宮ご夫妻との話し合いの末に
取材を通じて竹田さんに感じたのは、とても穏やかで優しい性格だということ。一方で、強く主張はせず、人に頼まれると断ることができない人柄であるとも感じられて、佳代さんはその優しさに甘え続けてしまったのだろう。
金銭トラブルの事実確認を行うため、佳代さんへの直撃取材を試みたときのことは強く印象に残っている。
'17年12月7日の朝7時すぎ、洋菓子店に出勤するため自宅を出た佳代さんに話しかけると、これまで受けてきた報道陣からの取材と同じように軽く会釈。
しかし、私が竹田さんとの金銭トラブルについて話を振ると、途端に歩くスピードが上がったのだ。
「秋篠宮家の方々は、金銭トラブルのことをご存じなのでしょうか?」
と問いかけると「取材にはお答えできません。申し訳ありません……」と答え、最寄り駅へと足早に去っていった。
同年の12月12日に金銭トラブルの記事が世に出た直後、小室さん母子は秋篠宮ご夫妻へ事情説明のため、何度も秋篠宮邸を訪れていたという。
「小室さん側は“借金ではなく贈与”であることを主張。竹田さんが発した“(お金を)返してもらうつもりはなかった”という録音テープがあったことで、小室さん側は強気に出ていたのかもしれません。
しかし、ご夫妻は借金自体が悪いとではなく“お世話になった方に対する誠意が感じられない”ことがいちばんの問題だと受け止められていた節がありました」(宮内庁関係者)
そして'18年2月、宮内庁から眞子さんと小室さんの婚約が'20年まで延期されることが発表された。金銭トラブルが原因というのは明白だったが、小室さん母子は一向にトラブルを解決させるための動きを見せることはなかった。
しかも、小室家に対する国民の批判の声が強まる中で、小室さんは同年8月に3年間のアメリカ留学に旅立ってしまったのだ。
眞子さんとの結婚が延期されている中での渡米は「金銭トラブルを放置してアメリカに逃げた」といった印象を国民に強く植えつけた。
金銭トラブルが報じられた直後、小室さん母子が解決のために行動を起こしていたなら、事態はこれほどまでに悪化していなかったことだろう。むしろ、母親が抱えている問題を小室さんが早急に解決へと導くことができれば、秋篠宮ご夫妻からの信頼は厚くなっていたとも考えられる。
「'18年11月、秋篠宮さまはお誕生日会見で金銭問題を整理してクリアするようにという趣旨のおことばの後、“多くの人が納得し喜んでくれる状況になること”が『納采の儀』を行う条件だと示されました」(皇室担当記者)
このご発言を受けた小室さんは'19年1月、代理人弁護士を通じて文書を公表したが、金銭トラブルの経緯説明と「解決ずみの事柄と理解していた」という文言を盛り込んでしまったことで火に油を注ぎ、国民からの批判は増大した。
この文書が公表された際、竹田さんは、『週刊女性』に胸の内をこう明かしている。
「『週刊女性』で報じられてから、1年以上も小室さんは沈黙し続けていました。いったい、どういうつもりだったのか。文書に私が“返してもらうつもりはなかった”と言ったと書かれていますが、そのような覚えはありません」
問題解決への“最大の障壁”
その後、小室さん母子と竹田さんが双方の代理人を立てるも交渉すらまともに始まらず、'20年11月に婚約の再延期が宮内庁から発表された。
金銭トラブルに関しては今年4月、留学中の小室さんが、以前よりも詳細な経緯などを綴った28ページに及ぶ文書を公表するも、対応が遅すぎたためか、納得できた国民は多くなかった印象だ。
文書公表の直後、小室さん側が「解決金の用意がある」との意向を示すも結局、『週刊女性』が金銭トラブルを報じてからおふたりが結婚されるまでの3年10か月、トラブルが解決することはなかった。
初めて会ったときから竹田さんの一貫していた主張は、
「圭くんのことは息子のように思っていましたし、眞子さまとの結婚を邪魔したい気持ちはまったくありません。金銭トラブルは、あくまで私と佳代さんの間でのことです。とは言っても、佳代さんを恨んでいるわけでもありません。ただ、私は誠意を見せてほしい。月に1万円、2万円でも返済してくれるような努力を見せていただきたいんです」
と繰り返していたこと。竹田さんは400万円の返金はもちろんだが、それ以上に小室さん母子から「その節はお世話になりました」と、ひと言でいいから感謝の言葉が欲しかったのではないだろうか。だからこそ、今でも「佳代さん本人と会って話したい」と訴えているのだと思う。
一方の小室さんは今年4月の文書の中で「借金でなかったものが借金だったことにされる事態を受け入れられなかった」と綴り、借金を踏み倒そうとした人間であると認識されることを恐れていた。「切実に名誉の問題だ」とも記述している。これまで母子2人で必死に生きてきたという自負とプライドが、金銭トラブル解決への“最大の障壁”になっていたのかもしれない。
竹田さんから小室家にわたった400万円に対する認識のズレに関して、双方が歩み寄ってしっかりと話し合ったうえでお互いの誤解を解き、それぞれが抱いている疑念を晴らすことで、長きにわたって燻り続けている金銭問題を解決させることはできないのだろうか。
10月26日、眞子さんと小室さんは晴れて結婚された。しかし、金銭トラブルが解決しない限り、本当の意味でおふたりの結婚問題が終わることはないだろう。
(取材・文/綾部和也)