秋篠宮家の紀子さまの父で、『学習院大学』名誉教授の川嶋辰彦さんが81歳で亡くなった。
「10月19日に都内の病院に緊急搬送された川嶋教授は、集中治療室に入って“危篤状態”との噂が流れていました。同日には紀子さまと佳子さま、小室眞子さんのお三方でお見舞いに。眞子さんは29日に夫の小室圭さんと、11月3日にはおひとりで連日お見舞いされていたのは、川嶋教授の容体が悪化していたからなのだと思います。
小室さん夫婦が結婚した10月26日に川嶋教授の意識があったのかは不明ですが、初孫の晴れの日を迎えた後、息を引き取られました。上皇ご夫妻とはちがって川嶋教授は民間の方だったこともあり、普段から必要以上に皇室には立ち入らないスタンスだったそうですが、秋篠宮ご一家としては悲しみに暮れておられることでしょう……」(宮内庁関係者)
『週刊女性』は今年8月、川嶋さんからかかってきた1本の電話を受け取っていた。電話を受けた記者への気遣いや、研究者らしいユーモアさも感じられた内容だった。その際、川嶋さんが生前最後に語っていた内容を再掲載する。
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眞子さまの結婚問題に苦慮され続けた紀子さまの“本心”に肉薄するため『週刊女性』は、紀子さまのご両親が暮らす都内のマンションを訪れた。インターホン越しに紀子さまのお母さまらしき女性に取材を依頼するも、一度は謝絶。現場を離れようとしたときだった。
「先ほどの方ですか?」
振り返ると、マスク姿でも気品が伝わる年配女性の姿が。ひと目で紀子さまの母・川嶋和代さんだとわかった。
「インターホン越しに失礼があり、ごめんなさい。困らせてしまったのではないかと気になったもので……。でも、お話できることはないんです。娘がウチを出てからはもうそれほど関わっていませんので……」
翌日、丁寧な対応をしてくれたことへの感謝と再度取材のお願いを記した手紙に、ささやかな菓子折りを添えて送ると、記者のもとに1本の電話が─。
「そちらさまから結構なお品物をお送りくださいました。誠にありがとうございます」
やわらかな口調でそう話すのは、今年81歳になった紀子さまの父・川嶋辰彦さんだった。そして、「お詫びを申し上げないといけません」と切り出した。
「マスコミュニケーションは、社会的に大事なお仕事かと存じます。ただ、私のささやかな“こうしたい”というお気持ちを、もしお許しいただければ、マスコミュニケーション関連の方のお品物は、理由など関係なく、ご遠慮申し上げるようにいたしております。ご無礼をお許しのうえ、ご返送させていただいてよろしゅうございましょうか?」
「今でも木を登りたい」
川嶋さんは「言葉が強く申し訳ございません」と、謝りつつ、返送を提案。記者が“着払い”を申し出ると、
「僕のお小遣いを眺めまして、もしそういうことでしたら、そのようにさせていただきますが、お小遣い箱にはたぶん、入っているかと思います。
1トンくらいの隕石をお返しすることになると、僕のお小遣いでは、重量制限で難しくなりそうです。将来、そういうお見苦しいことが発生しましたら、喜んで着払いでお返し申し上げたく存じますが、今回は、そのお気持ちをありがたく拝聴申し上げて、先のような形で進めさせていただければと存じます」
周知のとおり、川嶋さんは学習院大学の名誉教授。研究者らしいユーモラスな返答が光りつつも、一般的な金銭感覚にどこか親しみを覚える。
20代の記者に対し、懇切丁寧な対応を続ける川嶋さんは、「これだけでお別れのご挨拶というのは寂しゅうございますので」と、自身の趣味について語りだした。
「今はできませんが、少年のころは木登りが大好きだったんです。今でも登りたいと思いながら夢を描いております。枝ぶり次第で、手の位置よりも足の位置が高くなる。そんなことを思うだけでも、僕自身が木登りをしているような楽しみに浸れます」
童心に帰ったかのような声で楽しそうに話し進める。
和歌に思いを込めるのが“川嶋流”
「少し間違えてかなりの高さから落ちても、幸いにして、下に鋭利な石などがあることもなく、多少の痛さですむような墜落でした。それも含めて懐かしい思い出です」
盛り上がること30分。川嶋さんから予想外の提案が。
「取材ではないお手紙であれば、封を開けられます。木登りについての和歌を書いてくだされば、よろこんでご連絡申し上げたいと思います。どういう景色が好きで、その景色について“こんな和歌を詠んだ”“こんな景色が見たい”でもよろしいです」
思いを伝える手段は和歌─。それが紀子さまを育てられた“川嶋家流”なのかもしれない。
《竹籠に熟るる黄色の花梨の実 あまき香りは身に沁みとほる》
今年3月の『歌会始の儀』に出席された紀子さまが披露されたのが、この和歌。
「竹籠の中の熟れたカリンの実について詠まれていますが、カリンの花言葉は“唯一の恋”“努力”“可能性”。実をつけるのは10月から11月にかけてです。
これは偶然とは思えません。紀子さまは《竹籠》を皇室に、《花梨》を眞子さまにたとえられたのでは。唯一の恋を叶えるべく、努力される姿を見た紀子さまは、カリンが実をつける今秋、娘の意思を尊重して結婚を認める……。そんなお気持ちを和歌に託されていたのかもしれません」(皇室ジャーナリスト)
カリンが熟れる季節を迎え、眞子さんは結婚された。川嶋教授も天国で、秋篠宮ご一家や小室夫婦の幸せを祈り、これからもずっと見守り続けることだろう––。