ここ数年、乗客によるタクシー運転手への暴行、というニュースが取り沙汰される機会が増えたように感じる方も多いのではないか。これはドライブレコーダーの浸透により、これまで表沙汰にならなかった事件が認知されるようになった面も大きい。
都内のタクシー会社幹部は、「それでも表面化されているものはまだまだ一部でしかないです。特に深夜帯はアルコール摂取した乗客の方とのトラブルは日常茶飯事。時短要請が空け、年末にかけてトラブルは増えていくでしょうね」と明かす。
暴行に限らず、タクシー従事者にとって“ヤバい客”に遭遇することはままある。本稿では、ドライバーたちが経験した、恐怖体験と珍客たちを取り上げていく。
運転手が遭遇したヤバい客
小さなトラブルは男女を乗せた際に起こりやすい、と言うのは新宿を拠点とする歴30年のベテラン、山田さん(仮名・60代)だ。ここ4、5年で数自体は随分減ったというが、車中で情事が始まるといったことを度々経験してきた。そんな時に難しいのは、いかに注意を促すことだというが……。
「注意すると逆ギレされることも珍しくないんですよ。男女間の性行為というのはどこまでで注意するか、という判断が非常に難しいんです。私の中で一つ決めているのが、性器を露出したら覚悟を決めて『車中なのでやめて下さい』と声をかけます。キスや胸を触る、といったところまでは我慢しますが、性器までいくとその日の営業に影響が出る。
タクシーで一番嫌なのは、匂いや汚れ。一度性行為寸前までいった女性客が車中で失禁したことがあり、その後は営業が出来なかった苦い経験をした。それ以来気をつけるようにしています。
どんな方が多いか、ですか。意外に思われるかもしれませんが、若い方でそういう客はほとんどいません。ほとんどが40代を超えた中年の方です。明らかに不倫という人も多くて」
新宿・歌舞伎町エリアで乗客を拾うことが多い山田さんが、もっとも気をつけるのは深夜帯に派手目の服装をした女性を一人で乗せることだという。なぜなのか。
「車中で眠ってしまって、目的地に着いても起きないという方がすごく多いんです。男性なら身体を揺らしたり出来ますが、女性に触るとセクハラで訴えられかねないご時世でしょ。そういうときは警察を呼ぶようにしてますが、いずれにしろ時間をかなり取られて営業的には大きなマイナスです。
だから“ヤバい客”かは、乗車の際に見極めるようにしています。10年くらい前は『タクシー代がないから、身体で払う』という方も2、3人当たりましたよ。嘘のような本当の話です。もちろん断りましたが、土地柄もあるんでしょうね」
一方で近年増加傾向にある女性ドライバーたちは、男性とは違った視点で煩わしさを感じることがある。これまで聞いた話では、『女性というだけで乗車拒否された』『車中で言葉のセクハラを受ける』といったものは、多くの女性ドライバーが経験している。
10年前にタクシー業界に転職した高山さん(仮名・30代)は、乗客から「また呼ぶから連絡先を教えて」と声をかけられることに辟易しているという。これは体のいいナンパともいえるが、タクシードライバーにとっては売上げにも繋がり、当初は判断に困ったと振り返る。
「新橋や丸の内といったエリアで営業すると、エリートビジネスマンの方に当たる機会が多くて。それで連絡先を聞かれてまた利用はしてくれるんですが、だいたいがその後飲みに誘われるんです。
おじさんは注意するとあっさり引いてくれるんですが、若い人は違って。最初から上から目線で、プライドが高いから誘いを断ると、『もう呼ばない。タクシードライバーのくせに』といった言葉をかけられたこともある。そういったモラハラに苦しむ女性ドライバーも多いと思いますが、なかなか声を上げられません」
乗せても乗せなくても“地獄”
まったくベクトルが異なる迷惑客もいる、と言うのは、大阪を拠点とする秋山さん(仮名・40代)だ。秋山さんがいうヤバ客とは、料金に細かすぎる客だという。大阪特有ともいえる文化だが、価格競争が激しかった大阪のタクシー業界では、極端に料金に敏感な乗客も少なくない。
「数日前に同じ場所から自宅に戻った際は、500円も安かった! あんたの運転が下手だからこんなに差が出る、というような指摘を受けたことが何度もあるんよ。ただね、信号や交通状況によって500円くらいの差は出てしまう。だいたいそういう人は降りる際に、暴言を吐くので嫌な気分になりますわ」
それゆえに、道をすべて指定される客を乗せることも珍しくないのだとか。
「トラブルにならないように、だいたい最初に『どの道で行きますか?』と確認するけど、道は全部こっちで言うからそのとおりに行け、という命令をする人が結構おる。ただ渋滞事情などはドライバーの方が詳しいから、結果的に遠回りになったりするんやけど。それで逆ギレする人もいたりで、めちゃめちゃ理不尽な客もおるからたまらんわ」
最後に、ドライバーの恐怖体験についても紹介しよう。一日に何十人という客を運ぶ仕事のため、時には明らかにその筋の人間を乗せることもある。六本木周辺で営業を行う小川さん(仮名・60代)は、そんな筋者の逃走に利用されたことがあるという。
「大きなボストンバッグを持ち、顔に傷がある男性に突然、車を止められたんです。嫌な予感がしましたよ。どちらまでと聞くと、『とにかく早く出せ!』と言われて、バックミラーをみると明らかなヤクザたちが私のタクシー目掛けて大勢で走ってくる。これはヤバい、と冷や汗をかきました。
捕まっても、拒否しても地獄なので、思考停止してとにかく夢中でアクセルを踏んだ。千葉の船橋まで乗せましたが、5万円を渡されて、足早に去って行きました。もしあの時捕まっていたら……私もどうなっていたかは分かりませんね」
こういった不良関係の送迎に伴うトラブルは少なくない。小川さんは同じく六本木から千葉方面への乗客を乗せた際に、「トイレに行きたいからコンビニに車を寄せてほしい」と言われたこともあった。
全身をブランド品で固められた服装の男性は、車中ではいかに大きなビジネスをしているか、というような自慢話に終始していたというが、
「会話の内容からも、『コイツは怪しい』と思っていたら、表からはわからないように出口が両方あるコンビニの裏手からトンズラをこかれました。気がついたときには後の祭り。そういった“勘”は当たることのほうが多いですね」
この職種につく人々は、乗客からのクレームや理不尽な攻撃にさらされることは誰もが経験している。だが、運転手も人間であり、時に弱音を漏らしたくなることもある。狭い車中で過ごす空間は、タクシードライバーの視点に立っても常に不安と隣り合わせだ。
100人乗れば、95人はまともな客だというが、時に例外もある。そして、そんなトラブルや恐怖と向き合うのもタクシードライバーという仕事でもあるのだ。
栗田 シメイ(ノンフィクションライター)
1987年生まれ。広告代理店勤務、週刊誌記者などを経てフリーランスに。スポーツや経済、事件、海外情勢などを幅広く取材し、雑誌やwebを中心に寄稿する。著書に『コロナ禍の生き抜く タクシー業界サバイバル』(扶桑社新書)。『甲子園を目指せ! 進学校野球部の飽くなき挑戦』など、構成本も多数。南米・欧州・アジア・中東など世界30カ国以上で取材を重ねている。