11月6日、川嶋辰彦さんの自宅で行われた家族葬を終えた小室圭さん。長い前髪をしきりに気にしていた

「小室眞子さんと圭さん夫婦は今週末の午前、おふたり一緒に渡米する予定だそうです。当初は、圭さんの就職先であるNY州の法律事務所から“早く戻ってきてほしい”との要請があり、彼だけ先に出国すると言われていましたが、最終的にはご一緒に渡米されることになったといいます」(宮内庁関係者)

 NYで仕事がある小室さんはともかくとして、眞子さんが出国を急ぐ理由は2つあるという。

秋篠宮さまの「総括」

11月23日に行われる、皇室にとって最も重要な祭儀である『新嘗祭』までに、おふたりには渡米していただきたいのです……。これは天皇陛下がその年に収穫された新穀を神に供え、翌年の豊穣を祈願する儀式なのですが、会場には天皇家の親族や、総理大臣をはじめとする三権の長などが参列します。

 例えば'18年の『新嘗祭』には、高円宮家の三女である絢子さんと、結婚した守谷慧さんが出席しており、元皇族の配偶者も参列する権利があります。つまり、眞子さんはもちろんのこと“天皇家の親族”となった小室圭さんも『新嘗祭』に参列することが可能なのです」(秋篠宮家関係者)

 もう1つの理由は、眞子さんの父親、秋篠宮さまのお誕生日が迫っていること。

「11月30日、56歳の誕生日をお迎えになる秋篠宮さまのお誕生会見が公になります。

 今回は婚約延期から3年9か月にわたった眞子さんの結婚騒動に対するお考えを述べられる見込み。結婚当日の10月26日に出された“皇室への影響も少なからずありました”“皇室としては類例を見ない結婚となりました”といったコメントを出されたお気持ちについても、記者から問われるでしょう。

 この会見内容が公になった際に夫婦が在国していた場合、国民の目は再びふたりに集まって批判が巻き起こる……、まさに負の連鎖です。宮内庁としては皇室への影響を危惧していますし“なるべく早く渡米してほしい”というのが本音でしょう」(皇室ジャーナリスト)

 皇室側にとっても、小室さん夫妻にとっても「一刻も早い渡米」という点では、利害が一致していると言えるだろう。

 圭さんの出国時期が「当初より遅れが生じた」とも報じられているが、11月4日に眞子さんの祖父・川嶋辰彦教授が『中皮腫』のために他界されたことが影響したとの見方がある。

「声すら覚えていない」

「10月19日に緊急入院した川嶋さんを見舞うため、29日に小室さん夫婦は病院を訪問しました。11月6日の川嶋さんの自宅で執り行われた家族葬には、秋篠宮ご一家と小室さん夫婦も参列。

 この翌日に最後のお別れのため、紀子さまと佳子さま、そして小室さん夫婦も東京都新宿区の『落合斎場』へ。妻の祖父が亡くなったのですから、圭さんも葬儀に出席するのは当然ですし、そのために出国日を遅らせた可能性は十分あるでしょう」(同・前)

 一方で、小室家とゆかりのある人物は、圭さんにある疑問を感じていた。

「川嶋家の葬儀に参列するのはわかるのですが、なぜご自分のお父さまのお墓参りには行かないのでしょうか……。マスコミの目が気になるのでしょうが、3年ぶりに帰国してすぐにNYに戻るのであれば、眞子さんとの結婚を敏勝さんに報告しに行ってほしかったです。もうしばらくは日本に帰ってくることはないのでしょうから……」

 圭さんがまだ10歳だった'02年、父親の敏勝さんは自ら命を断ち、そのことで精神的に参ってしまった敏勝さんの両親もあとを追って自死した、と報じられている。

11月6日、川嶋辰彦さんの自宅で行われた家族葬を終えて帰路につかれる秋篠宮さま、紀子さま、佳子さま、悠仁さま

「3人が眠るお墓があるのは、神奈川県藤沢市内にある鎌倉時代に建立された由緒ある寺院です。横浜市役所に勤務していた敏勝さんはとても温厚で、いつもにこにこしているような方でした。

 家族で外食に行っても、圭さんの母親である佳代さんが全員分のメニューを勝手に決めることが多かったのですが、敏勝さんが文句を言う姿は見たことがありません、というか彼の声を聞いた記憶すらないほど謙虚な方でしたよ」(同・前)

 しかし、佳代さんと敏勝さんの親族間で起こった“金銭問題”で、敏勝さんは精神的に疲弊していった。

父親が眠るお墓の現状

「一級建築士の資格を持っていた敏勝さんはマイホームを建てる計画を立てていました。そこで、敏勝さんの両親に金銭的な援助を頼んでいたところ、佳代さんが内装などのデザインへのこだわりが強く予算を大きくオーバーし、嫁姑の間で大揉め。間に入って仲裁していた敏勝さんは、仕事のストレスも相まって心を病んでしまったそうです。

 その後、敏勝さんの父親が亡くなったことによる遺産相続でも、佳代さんが“圭にも相続する権利がある”と主張し、さらに揉めて……。それから、敏勝さんの親戚と佳代さんの関係は完全に断絶。ずっと疎遠の状態ですよ」(小室家の親戚筋)

 敏勝さんが亡くなった後、まだ幼い圭さんは毎日のように泣いていたという。

「“夕方になると圭が泣くのよ”って、佳代さんはよく話していました。慕っていたお父さまが亡くなられて寂しかったのでしょうね。10歳の子どもなら当然のことだと思います」(佳代さんの知人)

 3年ぶりに帰国した圭さんが、慕っていた父親のお墓参りに行かないことなどあり得るのだろうか?

’98年冬、長野県にある菅平高原でスキーを楽しむ小室圭さん親子3人。4年後、敏勝さんは自死を選んだ

 敏勝さんとその両親が眠るお墓を記者が訪ねてみると、最近手入れされた様子はなく、献花もない。花器には水がたまっているだけだった。

「少なくとも圭さんは、帰国してからお墓参りには来ていませんよ。たまに親戚の方がいらっしゃって、お線香をあげていかれるくらいだと思います」(寺院関係者)

 紆余曲折を経て眞子さんとの結婚を果たしたことを、敏勝さんは直接息子から報告してほしかったに違いない……。