日曜劇場『日本沈没―希望のひとー』(TBS系 日曜よる9時〜)が好調だ。
地震が不安な昨今、放送開始前は「日本沈没」などという物騒な題材は避けられるのではないかという懸念の声もあった。ところがふたを開けてみたら世帯視聴率は第3回まで15%を超え続け安定している。
ここから先はネタバレを含むので注意していただきたい。
第3回では「半年以内に関東が沈没する確率70%」と新聞が書きたてたことで人々が衝撃を受けるというなんだか身につまされそうな描写があったにもかかわらず、なお多くの人が『日本沈没』を見続ける理由はなにか。その魅力を複数挙げることは可能だ。
『日本沈没』6つの魅力
1. 日曜劇場が見て間違いのない安心枠として定着したこと。いわゆる「視聴習慣」。
2. 『日本沈没』の原作がレジェンド級のベストセラー小説である安心感。
3. 小栗旬が“持ってる”俳優で主演作に外れがない。
4. 香川照之が出ているから面白いに違いない。
5. 今のところ意外とリアルな災害シーンがない。
6. 人間ドラマが親しみやすい。
5番目に挙げたリアルな災害シーンが意外と少ないことは大事で、その分、“人間ドラマ”に依っていることが『日本沈没』をポピュラーなものにしている。原作になっている小松左京のSF小説やそれをもとに映画化されたときは発想のスケールの大きさが求心力だったが、今回のドラマ化では未曾有の災害をスケール大きい映像で描くことよりも、日本が沈没の危機に見舞われようとするとき、学者は、ジャーナリストは、政治家たちはどうするのか。迫りくる危機の中での人間ドラマが多くの視聴者の関心を引いている。その判断は成功だったといえるだろう。
プライムタイムのドラマでSFは当たらない。そう言われていた時代があった。ところが最近は打って変わって日曜劇場ではタイムスリップもの(『JIN-仁-』『テセウスの船』)や入れ替わりもの(『天国と地獄―サイコな2人―』などSF風味のドラマが好評なのである。
あくまでもSF“風味”であることがポイント。SFがメインディッシュではなく器あるいはスパイスであって中身は極めてオーソドックスな人間ドラマであることが大事だ。視聴者の多くは誰もがわかる身近な題材を好む。
かといって現実的すぎるとしんどい。だからSF風味で違う世界の物語になっているほうが気楽に見ることができる。その点で『日本沈没』はしんどくなさすぎず、ほどよく現実に対するガス抜きができて見やすい。こうなるともはや予算と技術をかけてすさまじい災害風景を製作するようなことはむしろしないほうがいい気さえしてくる。
ほどよいSF風味+人間ドラマになった『日本沈没』は例えるなら『シン・ゴジラ』(2016年)+『半沢直樹』(2013年、2020年)である。ドラマの時代設定は近未来の2023年。地球温暖化阻止のためCO2削減を目的とする「COMSプロジェクト」は東山総理(仲村トオル)の肝いりの計画である。従事する環境省の官僚・天海(小栗旬)は物理学者・田所(香川照之)が力説するCOMSを引き金にして「関東沈没」が起こるという説に一抹の不安を覚える。
ところが政府と密になってCOMSに関わる地球物理学の権威・世良教授(國村隼)はしらを切り、あちこちに手を回して隠蔽を図る。天海も危うく陥れられそうになる。だが1カ月以内に関東沈没が起こりうるという田所の分析をアメリカの物理学の権威が支持したため、にわかに状況は変わってくる。ここまでが第3回までの概要だ。
災害シミュレーションドラマの味わいが濃い
令和の『日本沈没』は関東ひいては日本が沈没するという凄絶な情景について臨場感を伴って描くディザスターものというよりも災害シミュレーションドラマの味わいが濃い。室内での会話劇が多い点から映画『シン・ゴジラ』を意識したのではないかと指摘する声はあった。『シン・ゴジラ』は謎の巨大生物が日本に上陸した場合の対処法がよく練られた脚本で興味深く、多くの観客の心を捉えた。
ただ意識はしたかもしれないが、同じ会議室ものでも政治家や各省庁に徹底的な取材を行ったうえで描かれた『シン・ゴジラ』の危機管理体制と比べると『日本沈没』はそこまでのリアリティーは今のところ見られない。官僚や学者やジャーナリストたちの言動はあくまでも誰もがわかる普遍的な感情を呼び起こすものでしかない。
例えば、思いがけない出来事に対する驚きと狼狽、政治家や大学教授の出世欲、国民を心配する正義感、真実を書きたいジャーナリスト精神、仕事に没頭するあまり妻子と別居することになってついには離婚を切り出される家庭問題などはいささかドメスティックすぎるように感じる。だがそれこそが『日本沈没』が多くの人に見られ続けている要因といえそうなのだ。
SF的な世界観の中で極めてリアルな人間たちの判断と行動を描いた『シン・ゴジラ』のように見せながら、実のところ『日本沈没』が目指すもの、それは近年の日曜劇場の最大ヒット作『半沢直樹』である。金融の世界を舞台に野心あふれる人物たちが互いの裏をかきあいながら出世の道を歩んでいく、あの痛快なドラマだ。
まるで「半沢直樹」のような1コマ
『日本沈没』第3回で、どちらかというと経済優先の考えに賛同する官僚仲間の常盤(松山ケンイチ)に「あのビルのひとつひとつにたくさんの人がいて、そのひとりひとりに大切な家族がいるんだ」とそびえ立つ東京のビル群を見つめながら語る天海の言葉はまさに“半沢直樹”だった。『半沢直樹』(2013年)のシーズン1第5話で半沢(堺雅人)が街の灯を見ながら言った言葉は「あの小さな光のひとつひとつのなかに人がいる。おれはそういう人たちの力になれる銀行員になりたい」とそっくりではないか。
この世のすべての生きづらさは人々の上に立つ者たちの愚かな行為によるものであり、それを変えようと主人公・天海は立ち上がる。この流れが気持ちいい。『日本沈没』のキャッチコピーは「信じられるリーダーはいるか」だ。選挙の時期にこのコピーは印象的だった。選挙が終わった今もわれわれはヒーローやリーダーを求めている。生きづらい世の中を変えてくれるリーダーを。
多くの官僚たちが「経済が止まったらこの国は死ぬ」と言う里城副総理(石橋蓮司)の考えに従うしかない。迂闊に日本の危機を公表できないという上層部の迷いもわからなくはないが刻一刻と迫る危機を国民が何も知らされないということは国の危機に犠牲は致し方なしという考えに等しくはないだろうか。
里城は財界の要人に機密を漏らし秘密裏に首都圏の土地が売られ始める。権威とは誰か犠牲にする権利を持つものなのか。現実世界にもこれに似た不安をわれわれ国民は何度も経験している。
天海は言う。
「過去にも初動の遅れで危機を大きくした例を皆さん見てきているはずです」。視聴者の既視感をくすぐるセリフ。今、ドラマで語られている焦り、いら立ちや不安はわれわれの感じていることそのものだ。「地球温暖化」「地震」「経済」……私たちが日頃よく見聞きする問題に登場人物たちは右往左往している。
そんな彼らに対して天海は「俺たちには国民を守る責任がある」と力強く断言する。官僚ではあるが庶民寄りの視点をもった天海は、日本の危機に際して、人命よりも経済優先、かつ、総理と副総理の権力争いや世良の己のポジションを守りたいがためだけの振る舞いを冷静にジャッジしていく。
これまで変わり者として軽視されていた田所の研究が価値あるものに見えてくるにつれて、仲間と思っていた常盤とは意見がすれ違っていく。真実を公表したいとジャーナリズム魂に燃える週刊誌記者の椎名(杏)と手を結び、天海と椎名ふたりは裏の裏をかいくぐって新聞に関東沈没説を掲載することに成功する。ここも気持ちいい流れだった。あとは常盤が副総理派につくのか動向が気になる。
ファミリーでも見られるような間口の広さ
「日曜劇場」には日曜の夜、ファミリーでも見られるような間口の広さが大事なのである。金融の世界のリアリティーを土台にして、人間の出世欲のぶつかりあいを赤裸々に描いた『半沢直樹』はその一方で、主人公を支える妻の内助の功なども手厚く描いていた。令和の『日本沈没』もまた天海の離婚間近の妻と娘への捨てきれない愛情を手厚く描いている。
第4話以降、災害シミュレーションを緻密に描いていくのかもしれないし、ものすごい映像が見られるかもしれないし、『シン・ゴジラ』で描かれたような目覚ましい作戦が発動するかもしれない。だが今のところは、愛、正義、努力、知恵、友情……というような人間の心の持ちようで問題に対処しうると描くことは、よくもあり悪くも“エンタメ(フィクション)”なのである。
海で亀を助ける天海や、話し方が昔話の老人みたいな田所などのどこか童話みたいな雰囲気や、なにかといえばボイスレコーダーで重要情報を盗録することが効果をもたらすことも親しみやすさ向上に寄与しているのであろう。
木俣 冬(きまた ふゆ)Fuyu Kimata ◎コラムニスト
東京都生まれ。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。