“ひとみん”こと恵中瞳

 知る人ぞ知る、いや、もはや知らなくてはいけないアイドルがいる。それが恵中瞳(えなかひとみ 通称:ひとみん)だ。

 6年ほど前、たった数秒テレビに出ただけでネットの話題をさらい、その謎のヴェールに包まれた人物像から、今年7月『アウト×デラックス』(フジテレビ系列)に出演するまでに。人気は国内だけにとどまらず、海の向こうフィリピンでは彼女の楽曲『センチメンタルバースデー』が、11月2日現在、iTunesのJ-Pop部門音楽チャート1位を記録した。

 そんな彼女が“33歳”のバースデーライブを期に、ついに独占インタビューに応じた。
知られざるデビューのきっかけや、美貌のヒミツ、ネット炎上事件、ほろ苦い思い出の初恋に至るまで、彼女の口からついに真実が語られる……!

「小さいころは、牛に乗ってました」

 ひとみんは、宮城県仙台市泉区のごく普通の家庭の長女として生を受けた。父と母、そして弟と妹の5人家族だったという。歌が好きな気持ちは、そんな家族との関わりの中から生まれた。

幼稚園くらいから歌うのが楽しくなって、将来、歌を歌えたらいいなと思ってお風呂場でよく歌っていました。お父さんが好きだったのが伊藤咲子さんだったんです。小さいころはお父さんの海釣りについていっていて、釣りをしているお父さんに伊藤咲子さんの歌や、いろんな歌謡曲、演歌を教えてもらっていました。

 お母さんは西城秀樹さんと、いまは二宮和也さんが好きで……。お父さんは亡くなってますが、今も実家には伊藤咲子さんのポスターと、ニノさんの写真が額に入れられて飾ってあります」(恵中、以下同)

 高校時代にはクラスメイトの男子たちとバンドを組み、ボーカルとキーボードを担当していた。

「周りは酪農家が多くて、その息子さんたちとバンドを組んでいました。牛にも乗せてもらったことがあるんですよ。乳牛でしたけれども(笑)」

「原宿でスカウトされて……」

 倖田來未やいきものがかりに憧れたという時期を経て、地元の企業でOLをしていたという彼女。デビューへのきっかけは、6歳年下の弟の上京がきっかけだった。

「弟が就職して、たまたま宇都宮勤務になりまして。そのとき私もやりたいことがあるから、じゃあ一緒に上京しようって出てきました。今も弟の転勤にくっついて埼玉に住んでいます。生活費が折半できて助かってます(笑)」

 上京して訪れた原宿で彼女に転機が訪れる。もはやアイドルの都市伝説といってもいい「原宿でスカウトを受ける」という事件が、彼女の運命を変えていく。

「ある日、原宿を歩いていたら『モデルをやってみませんか?』って、私のような者でおこがましいんですが……スカウトをされたんですね。靴のモデルとしてその会社に所属することになりました」

 2013年に、芸能活動をスタートする。

「前の会社が運営していたインターネット番組で演歌を歌ったんですが、それを今の事務所社長である南雲社長が見ていてくれて。『歌手としてやってみないか』と誘われて、今の会社に移籍しました。それが本格的な歌手デビューのきっかけでしたね」

 南雲一範社長はもともと「南雲堂」という、70年ほど続く老舗出版社の6代目社長。だが、もともと俳優やお笑い芸人の知り合いが多く、エンターテイメントの世界には造形が深かった。ひとみんとの出会いによって、南雲社長の人生も芸能方面という新しい航路へと舵を切った形となった。

 出版社所属という異例のアイドル歌手。知名度を上げるために「コメディアン」として「R-1」に2度出場したこともあったという。

インタビュー取材に答える恵中瞳

「社長のお知り合いのコメディアンさんともお話して、坂本冬美さんの歌マネで『R-1グランプリ』に出場したんですけど、これが全くウケなかったんですね。2回とも一回戦敗退で……私が歌ったらシーンとしてしまって、ああ、私にはお笑いは向いていないんだな〜って思っていたら、社長が『君はやっぱり演歌に方向を定めるべきだ』と言ってくださって。『おとこはアリャリャ』という歌で、2015年にCDデビューをさせていただきました」

 現在はフルアルバムが5枚を越え、演歌だけではなくポップス・ジャズなど、幅広いジャンルを歌いこなす彼女。平日は朝4時に起きて家事をし、毎日のレッスンやライブをこなしているという。

「弟は本当に、なんにもしないんです。レンジでチンもできないんで……私が全部やってあげちゃってますね。子どものころから面倒をみているんで、もうそれが普通になっちゃっていて。正直、ちょっとお休みがほしいな〜ってときもあるんですが(笑)。好きな歌を歌えるんだから、へこたれていられないなって思います!」

美容の秘訣は「注射」に「点滴」!?

 ぱっちりとした大きな“瞳”、小さな顔……なんでも歌いこなせる歌唱力とはうらはらに、とても30代とは思えない少女のようなあどけなさを見せる“ひとみん”。美容の秘訣はなんなのだろうか?

普通のみなさんとは違うかも知れないんですけど……声というか喉が弱くて、かすれたりして声が出ないときがあるんです。だから、行きつけのクリニックで、にんにく注射とか疲労回復点滴、美白点滴など、あらゆる注射や点滴を打ちまくってます(笑)

 やっぱりダイレクトに身体に効く感じがしますよね。『一週間は空けなきゃだめだよ! 打ちすぎだよ』ってクリニックの先生に言われたこともあるので(笑)一週間は空けるようにしてます

 身体の中からキレイを目指すひとみん、では、化粧品は?

ほんとに私、雑なんで、お高いものは使ってなくて……。ちふれとか、ニベアとか、そんな感じです。シンプルなんですよね。普段は髪もボサボサで……シャンプーはパンテーン、せっけんはビオレのボディソープを使ってます

 様々な注射や点滴を受けている反面、驚くほどシンプルなケアによってそのキュートさは支えられているのだ。

「炎上しても、社長がそばにいてくれる……」

 前述のテレビへの登場は、「バズった」ものの、彼女にとってはつらい経験にもつながった。

ある番組の街頭インタビューを受けたんです。本当に偶然通りかかってお答えしたんですけどね。ほんの数秒程度の映像だったんですけど、それがSNSで大炎上しまして……。『おばけ』とか『ブス』『地底に潜れ』……そういう書き込みがいっぱいあって。その後も人と会うと『この人もおばけだと思ってるんだ、ブスだって思ってるんだ』と思ってしまい、外に出るのが怖くなった時期があったんです

 人前で出ることもかなわず、失語症にすらなったという彼女を救ってくれたのは、南雲社長だったという。

ライブで舞台に立つのも辛くなってしまって。でも、社長が『俺も一緒に舞台に立つから』と言ってくれたんですね。それからはいつも隣で、MCをしていただくようになりました。その後、だんだんと嫌な書き込みもなくなってきて私も落ち着いてきたので、今はなんとか以前のように歌えていると思います。ここまで続けて来られたのは、ほんとに社長のおかげですね」

 ネット上の心ない声にもめげず、大好きな歌をただ歌いたいと活動を続けてきた“ひとみん”。今後の展望は?

“33歳”のバースデーライブを開催した“ひとみん”こと恵中瞳

「やりたいことが止まらないんです! 実は“お天気お姉さん”になりたくて……いま、気象予報士さんの勉強をしているんです。“歌えるお天気お姉さん”を目指しています。あと、文章を書くことも好きなので、いつかはミステリー小説も書いてみたいな、なんて思っています。もちろん歌手ですから、紅白にだって出たいです! 

 私はもう30過ぎちゃってますけど、それでもまだこんな格好をして歌っていますし、夢を追いかけています。皆さんも一度きりの人生、好きなことをやってほしいと思います!

 ひとみんの恩人である南雲社長はこう語る。

「ひとみんは、本当に巨大なダイヤの原石でしたね。最初はやっぱり“見た目”に惹かれました。とにかくこれまで見たことのない存在感にも引き込まれました。ボイトレはほぼ毎日、ライブも月に数本こなしているほどで、歌唱力はピカイチです。みなさんも“ひとみんワールド”に必ずハマるはずです」

「やりたいことを全部やる」。そんな姿勢からも元気をもらえる“ひとみん”の活躍から、今後も目が離せない!

“ひとみん”に一問一答!

Q.身長・体重・年齢を教えてください
A.身長158cm、体重は41.5kg。1988年生まれで33歳になりました。

Q.好きな色は?
A.ピンクです。

Q.好きな言葉は?
A.「努力」。

Q.好きな食べ物は?
A.フルーツです。いちごと、梨が好き。幸水派です。

Q.自分の身体のパーツで自信のあるところは?
A.自分で言うのもおこがましいんですけど、笑顔と足です。

Q.目標にしている歌手は?
A.昔は倖田來未さんやいきものがかりさんに憧れていましたが、今は演歌歌手の丘みどりさんです。

Q.ライバルは?
A.大きく言って(笑)、マライヤ・キャリーさんです!

Q.今の悩みは?
A.特にないですね。欲を言えば、ちょっとお休みがほしいかな……(笑)

Q.初恋の人は?
A.中学時代のFくん。学年1位の成績だった彼に振り向いてほしくて、がんばって2位になりました。お付き合い寸前までいったのですが、受験間近だったこともあり彼のお母さんに反対されてしまいました。で、それっきり……。

 地元の同級生から聞いたのですが、今は、新宿二丁目のお店にいるらしいんです……。私の活動を見てくれて、また再会できたら嬉しいな、なんて思ってます。

Q.ズバリ、今恋をしていますか?
A.しています……!

【プロフィール】
恵中瞳 えなか・ひとみ 宮城県出身。歌手、モデル。2013年にデビュー、現在の事務所である南雲堂に移籍後、2015年に『男はありゃりゃ』でCDデビュー。ライブや動画配信番組などで活躍中。Twitterアカウント: @t75147828

取材・文/高松孟晋 撮影/渡邉智裕