細木数子さん

「私が小さいころ、熱を出したり、夜になかなか寝つけないとき、母は仕事で忙しいなか飛んできて、朝まで一緒にいてくれたことを思い出します。たくさんの愛情をもらったなって……」

 涙ながらに母である細木数子さんとの思い出を語るのは、娘のかおりさんだ。

どん底で編み出した『六星占術』

 11月8日、『六星占術』で知られる占い師の細木さんが呼吸不全のため、息を引き取った。83歳だった。

「'04年に始まったTBS系バラエティー番組『ズバリ言うわよ!』やフジテレビ系の『幸せって何だっけ~カズカズの宝話~』に出演し、“あなた地獄に落ちるわよ!”などのストレートな物言いで人気を博しました。番組の中でタレントの『おさる』の芸名を『モンキッキー』に変更することをすすめ、実際に改名……なんてこともありました」(スポーツ紙記者)

 現在は再び芸名を『おさる』に戻したが、訃報を知りブログを更新。改名した最初の仕事で、山川恵里佳と出会って結婚したことを明かし、

《「改名の話題はすぐ消えるから、あなたはもっと見聞を広めなさい」と、厳しくも愛ある一言をいただきました》

 と感謝を綴った。ほかにも多くの芸能人から追悼のコメントが発表された。

 そんな細木さんだが、これまでの人生はまさに波瀾万丈。

「飲食店経営で成功していましたが、騙され多額の借金を背負うことになり、転落……。この、どん底だった時代に出会ったのが占いでした。借金を返済しながら勉強を続けて編み出した“六星占術”で、ブームを起こしたのです」(テレビ誌ライター)

 くじけてしまいそうな状況を乗り越えたからこそ、周囲を気にかけ、愛ある言葉をかけ続けた。

 自宅のある東京・神楽坂の商店街では、こんな声も。

細木さんは地元でよく買い物してくれたし、テレビを呼んで紹介してくれたりと、本当にお世話になりましたよ。こちらの心を見透かしているかのように、相手の気持ちにすごく敏感で、気の回る人でした。スゴイ物言いをするイメージでしたけど、実際は穏やかで丁寧な人。最近はお姿を見かけないから、どうしたのかなって心配していたら……残念です」(雑貨店の店主)

「自然災害・天災が増える」

 引退してからは、どのような生活を送っていたのか。冒頭のかおりさんが、週刊女性の取材に応じてくれた。(以下、かおりさん)

細木かおりさん

コロナ禍で外出は控えていましたが、ひ孫と遊ぶことがいちばんの楽しみでした。1~2歳孫が立てば“立ったよ!!”と喜んで、部屋を走り回る姿を見ては“ヤンチャだね”とうれしそうに目を細めて笑う姿をよく覚えています。

 引退理由も、家族とゆっくりとした老後を過ごしたいという願いがありました。姪だった私が'16年に養子縁組をしてから再び一緒に住んでの5年間。短かったかもしれませんが、いい時間を過ごせたと思っています」

 後継者となったかおりさんに向けて、細木さんが言い続けた“ことば”があるという。

“人にしてあげたことは忘れなさい。しかし、人にしてもらったことは絶対に忘れてはいけない。生涯、感謝の心をもって生きなさい”とよく言っていました。母はたくさんの人との縁やつながりを大切にし、常に感謝の心と謙虚な気持ちを胸に生きていた人でした。私も同じように、感謝を伝えていきたいですね」

 未来について、こんな“予言”もしていた。

「“人が生きるため、便利になるために自然を破壊した。その怒りを買い、今後は自然災害・天災が増える”ということは、懸念していました」

 昨年から今年にかけて、未曾有のパンデミックが世界を襲った。日本では落ちつきを見せ始めているが“安堵はするな”と、私たちに警鐘を鳴らしていたのかも──。