宝田明さん

 映画、舞台、司会者――。長身に甘いマスクで、まさに“スタア”という名称がふさわしいのが宝田明さん。少年期の戦争当時の暮らし、中国からの引き揚げ、病気など、苦労を乗り越えたうえでの輝きは、まさに本物。これからも前進し続ける宝田さんの、次なる目標とは?

「90年近く生きていたら、そりゃガタだってきますよ。車だって2年に1回は車検しなきゃいけないんだから」

 そうちゃめっ気たっぷりにおどけるが、たたずまいはダンディーそのもの。『ゴジラ』、『香港の夜』といった国際的な映画に出演し、『風と共に去りぬ』、『マイ・フェア・レディ』など舞台俳優としても活躍する俳優・宝田明。来年、米寿を迎えるが、ヴィンテージカーのような圧倒的な存在感を放ち続ける。

『世の中にたえて桜のなかりせば』(2022年全国公開)

 事実、宝田さんはいまなお駆け抜けている。2022年公開予定の映画『世の中にたえて桜のなかりせば』では、岩本蓮加(乃木坂46)とW主演を務めるだけでなく、製作総指揮(エグゼクティブプロデューサー)を担当した。

「今回の映画は若い人たちが多く、エネルギーをもらった気分。主演の岩本さんは、長編映画初主演ということだったけど、私と四つに組んで立派にお芝居をしていた。これからハードルの高いお仕事が来ると思うから、その始まりになってくれたらうれしい」(宝田さん、以下同)

 物語は、終活アドバイザーのアルバイトをする不登校の女子高生(岩本蓮加)が、同僚の80代男性(宝田明)とともに、さまざまな境遇にいる人たちの「終活」を手助けしていく、というヒューマンドラマだ。

「いろいろな終活の形が描かれている。オムニバスのように展開されていき、その中の1つとして僕が演じる役の終活も綴られている」と話すように、円熟の境地にいる宝田さんにしかできない、真に迫った演技も見どころの1つだろう。

ソ連軍に撃たれた右腹がうずく

「やっぱり自分の人生を振り返るところがありましたね」。そう静かに口を開く。

 2歳のときに満州へ移住。幼少期から少年期になるにつれ、軍靴の音が大きくなっていったと語る。

「日本の戦況が危うくなると、住んでいたハルビンの街にも火柱が上がるようになった。日本が戦争に負け、満州から離れなければいけない……、死線をくぐり抜けるような日々でした」

 南進してきたソ連兵に右腹を撃たれ、元軍医の手によって麻酔なし&裁ちバサミ(!!)で弾を取り出したこともあった。

「明日の天気が悪いなってときは、右腹がうずくんです。気象庁の発表より、僕のお腹の傷のほうが知らせるのが早い。ソ連兵は僕のお腹に、中央気象台満州分室を作った(笑)」

 引き揚げの途中では、食べるものがなくイナゴを食べた─と思いきや、「苦いバッタだった」と笑い、「僕の身長が高いのは、満州で馬糞を踏みすぎたからだと思う」とユーモアを忘れない。

 戦争の悲惨さを語りながらも、時折、笑い話を織り交ぜる。その軽妙洒脱な姿は、何歳になってもわれわれが知る宝田明のままだ。

ゴジラとの思い出

宝田明さん

 引き揚げ後、新潟県村上市で2年ほど暮らした。学校の発表会で芝居の主役を演じたことを機に、役者への関心が生まれたという。高校卒業後、東宝ニューフェイス第6期生として俳優生活をスタートする。

「山本嘉次郎監督、黒澤明監督、女優の岡田茉莉子さん……錚々たる面子が並ぶ中でオーデイションを受けました。何度も「落ちた」と思ったけど、どういうわけか受かってしまった(笑)。最初は怒られてばかり。ケーブルを踏むと怒鳴られ、踏まないように気をつけていたら「邪魔だ! 」と照明さんから怒られる。居場所がないとは、このことだった」

 生粋の映画人が集う東宝のスタジオを知っているからこそ、今の環境に疑問を唱える。

「今は少し優しすぎると思う。僕がお芝居の提案をすると、監督でさえ腰を低くして、『それいただきます! 』なんて言うんだよね。こっちは差し上げたつもりなんかないんだから、遠慮しなくていい。もっとぶつかってきてもらって構わない。やはり厳しさがないと成長は伴わない。少しくらい慇懃無礼なほうがいいんだよ」

 デビューから1年後、3作目にして主役として白羽の矢が立つ。赤い台本を手渡され、カタカナで『ゴジラ』と書かれていた。「私が、このゴジラ……になるんですか? 」。わけがわからず、思わずそう聞いたと振り返る。

「ゴジラが何だかわからないんだもの。ただ、1つだけわかったのは、主役に決まったから『これで新宿の焼き鳥屋のツケが払えるな』って(笑)。気持ちも大きくなって、現場で『主役の宝田明です!』と元気に挨拶したら、『馬鹿野郎! 主役はゴジラだ! 』って怒られたのを覚えている」

 当時、米国によるビキニ環礁の核実験が社会問題化していた。特に1954年3月1日に行われた実験では、日本のマグロ漁船・第五福竜丸をはじめ約千隻以上の漁船が、死の灰を浴びて被ばくした。

撮影現場での苦悩

「『世界に向けて核廃絶を宣言できるのは日本しかない。その思いを込めて作る』と、東宝から下知が下った。ゴジラは、単なる怪獣映画ではないんですね」

 撮影時には、こんなエピソードもあったと明かす。

「目の前にゴジラがいる──と言われても、後から編集で合成するわけだから、ゴジラがどれくらいの距離感で迫っているのか、どんな雰囲気なのかわからない。生意気にも本多猪四郎監督に伝えると、監督も悩んでいた。前例がないから、みんなわからない。それでできあがったのが、絵コンテ。僕のひと言がなければ、この時代に絵コンテは生まれていない(笑)」

 また、生身だからこそのよさもあると語る。

「監督が、『あの雲があるところにゴジラの頭があるって想像して』と指示を出すわけ。その後、エキストラの演技指導をするんだけど、戻ってきてカメラを回そうとしたら、さっきの雲が流れてなくなっている! (笑) みんな、どこを向いていいかわからなくなったり、試行錯誤の連続。CGにはないモノづくりの醍醐味があったから、記憶に残るんだよね」

 試写の後、宝田さんは号泣したという。製作時の苦労が蘇ったというよりも、こんな理由からだ。

「ゴジラがかわいそうで仕方なかった。ゴジラ自身も、人間のエゴイズムによる被害者だからね」

 そんな『ゴジラ』は、1作で観客動員数961万人を誇る大ヒットを記録した。

 ゴジラの立場にも心を寄せ続けた宝田さんは、その後、ゴジラシリーズに欠かせない存在となった。

 ゴジラと宝田さんは、世界に誇る名タッグといえるだろう。

国際人としての使命

 だからこそ、「今じゃ僕より人気者になって! 生意気ですよ」と一笑する。

「僕はアメリカへ行くとゴジラのことをマイクラスメートと呼ぶんです。実は、欧米にはたくさんのゴジラファンがいて、ゴジラや怪獣関連のイベントが大々的に開かれている。世界がコロナ禍になる前は、シカゴやボストン、ヒューストン、ダラスという具合に招待されてはサイン攻めにあっていた」

 なんでも2022年は、すでにボストンのイベントに出演することが決まっているというから驚きだ。米寿を前にして、映画の主演のみならず、国際的な橋渡し役までやり遂げる。行動力とバイタリティーは、見習うほかない。

「ゴジラを通じて世界各国のファンと交流できるのは幸せなこと。活力につながりますよね。ただ……アメリカ版『GODZILLA』はお粗末だったなぁ(笑)。飛んだり跳ねたりするのはゴジラじゃないよね」

 そうかと思えば真顔に戻って、

「僕がゴジラ誕生の背景や意図を話すと、原爆を落としたアメリカ、そのファンたちがきちんと耳を傾け、頷いてくれる。あのときの東宝の願いが、今に続いているのだとうれしくなる。一方で、核兵器禁止条約に参加しない日本の政治家たちに失望する。この国を明るくするために奔走してほしい」

 表情や話し方、引き出しの多さに圧倒される。“俳優”を前にしているのだと実感する。

これからの若者にむけて

「いろいろな体験をさせてもらってきましたから。映画だけではなく、ミュージカルまでさせていただいた。まさか文化庁芸術祭の大賞を受賞するなんて夢にも思わなかった。僕は満州で育ったから、半分日本人で半分中国人。ロシアとも近かったからロシア人の子どもたちともよく遊んだ。コスモポリタンなんです(笑)。

 それに加えて、引き揚げ時に壮絶な体験をしている。人生のワクチンではないけども、生きる抗体がついているから、この年になってもトライしたいことがあるんだろうな」

 ゴジラのクラスメートであり、国際人だからこそできることがある。若い世代へのエールも忘れない。

「若いときは、叩かれて叩かれての連続。昔、ある俳優さんから、『出る杭は打たれる。出る杭だからこそ、我慢しなきゃダメだぞ』ってアドバイスをいただいた。若い子たちは能力があるからこそそう思う。僕もまだまだ仕事をしていく。一緒に仕事をする中で、何かを肌で感じてくれたらうれしい」

 主演作のタイトル『世の中にたえて桜のなかりせば』とは、平安時代に編まれた「古今和歌集」に収録されている在原業平の和歌から引用したものだ。

「世の中に桜の花がなかったら、こんなに待ち遠しい気持ちになったり、ドキドキと胸が騒がしい思いになったりすることはない──。それなのに、桜よ、あなたはなんて素敵なんだという歌です。人生とはそういうもの」

 たとえ老樹であっても、桜の花の美しさは変わらない。宝田明は、自らそれを証明し続けている。

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“ゴジラの同級生”として俳優人生を歩んできた私だから語れることがある。満州からの過酷な引き揚げの旅を詠んだ「送別歌」に込めた、コスモポリタンとしての流儀を語る。

宝田明講演会「俳優として人間として~満洲の歴史から平和を学ぶ~」
日時:2021年12月2日14:00~16:00(開場13:30) 
場所:高知市文化プラザかるぽーと2階
小ホール 料金:無料(定員100名) 
問い合わせ:高知市文化プラザ共同企業体 TEL088-883-5011

『世の中にたえて桜のなかりせば』(2022年全国公開)
 ​70歳の年の差コンビが終活アドバイザーとして働く日々を描いたヒューマンドラマ。宝田さんと乃木坂46の岩本蓮加がW主演。宝田さんはエグゼクティブプロデューサーも務めている


PROFILE●宝田明(たからだ・あきら)●1934年朝鮮・清津生まれ。2歳のころ、満州のハルビンに移り、「五族協和」「八紘一宇」の精神のもとに育つ。ソ連軍の満州侵攻による混乱の際、右腹を銃撃され死線をさまよう。1953年、東宝ニューフェイス第6期生として俳優生活をスタート。代表作は『ゴジラ』『美貌の都』『香港の夜』『放浪記』など多数。『アニーよ銃をとれ』『風と共に去りぬ』『マイ・フェア・レディ』など舞台俳優としても活躍。2012年に『ファンタスティックス』で文化庁芸術祭の大衆芸能部門大賞を受賞。2015年、自らの戦争体験をもとにした音楽朗読劇『宝田明物語』を企画し、公演回数は50ステージ以上に及ぶ。

(取材・文/我妻弘崇 撮影/佐藤靖彦)