現役時代の新庄剛志('04年・沖縄キャンプ)

「監督ってみなさん言わないで。“ビッグボス”で」

 就任会見に集まった報道陣に、そんな本気とも冗談ともつかない“お願い”をしたのはプロ野球・北海道日本ハムファイターズの新監督に就任した新庄剛志。阪神タイガースでプロデビュー後、「どうせ通用しない」という反対の声を押し切ってアメリカへ渡り、メジャーリーグで活躍。’04年、「札幌ドームのスタンドを満員にする」と弱小チームだったファイターズに電撃入団すると、3年でチームを42年ぶりのリーグ制覇&日本一に導いた“記録よりも記憶に残る”選手だった。

現役時代の新庄剛志('04年・沖縄キャンプ)

元祖“二刀流”

「敬遠のボールをサヨナラヒットにしたり、ピッチャーとの“二刀流”に挑戦したり、オールスターゲームでホームスチールを成功させたり、とにかく誰も想像しないような華やかなプレーをやってのけるんですから。奇抜なパフォーマンスもあいまって、北海道で一大フィーバーを巻き起こしました。札幌で行われた日本一の優勝パレードには新庄見たさに14万人もの大観衆が集まったのは、今でも語り草。まさに入団時の宣言を有言実行したんです」(スポーツ紙記者) 

 今回の電撃就任は、その新庄人気にあやかりたかった球団側の思惑が働いた格好なのだが、監督就任の一報には番記者ですら当初は半信半疑だったという。

「いや、正直“まさか”でした。7月ごろから“新庄監督”の噂はあったんですが、いくら人気者とはいえ、コーチの経験すらいっさいない人をいきなり監督にするのはありえないだろう、と。それ以前に“宇宙人”とまで呼ばれた球界一の変わり者の新庄さんに、監督が務まるのかっていう……」(別の記者)

 そう苦笑いするのも無理はない。新庄のこれまでの言動はあまりに破天荒すぎるのだ。

エアブラシを使って描かれた新庄剛志の自画像

「引退後、ファッションデザイナーやタレント業をしていたかと思ったら、元モデルの奥さんと離婚してバリ島で“モトクロスレーサーになる”“画家を目指す”とか言って隠遁生活。とんと音沙汰がなくなったと思ったら“22億円失って無一文になっちゃった”と言いながら、整形して全然違う顔になって帰国。あげく、去年は“現役復帰したい!”とトライアウトにも挑戦したり。とにかく無軌道というか無謀というか……」(情報番組スタッフ)

 冒頭の就任会見でも開口一番、「優勝なんて目指しません」とまさかの宣言。およそ、これまでのプロ野球の監督像とはかけ離れているのだ。

代打、福山雅治!

「3年前、ある週刊誌のインタビューでも“監督なんて何もしなくていい”“僕が監督になったら開幕戦はジーパンで行く”“友だちの福山雅治をベンチに入れて、代打、福山雅治! ってやったら見たい人がバンバン球場に来て球団もホクホク”“もう勝たなくてもいい”なんてブチ上げていましたからね。もちろん新庄さん流のリップサービスでしょうけど、でも実のところ球団側も、そういう規格外なことを有言実行してくれそうな新庄さんに期待しているんです」(前出・記者)

 野球の実力はもちろん、こうした発想力やサービス精神の規格外っぷりは福岡で過ごした子ども時代から。小中学校時代の同級生が振り返る。

「地域の少年野球チームを作ることになったとき、率先してメンバーを集めたのが新庄。小学生のときにもう100キロを超えるボールを投げていて、キャプテンでエースで4番。でも野球を離れるとお調子者でね。不良グループとも付き合ったりしていて、誰とでもすぐに仲よくなるんです。“俺が中学で急に身長が伸びたのはタバコを吸ったからだぜ!”とみんなを笑わせたり、みんなに乗せられて学校の廊下でバク転をするハメになって、頭から床に落ちてみせたりね。みんなの期待を受けるとやらずにはいられない性格というか、サービス精神旺盛なヤツやったよ」

 中学校の野球部監督は厳しい人だったという。

「時代も時代だったから、ミスした部員を殴るなんてのは当たり前。でも新庄はそのころからもう“ああいう監督は違うな。野球はもっと楽しまなきゃ”なんてよく言っていたの」(同・同級生)

中学3年生の新庄剛志。このときすでに、身長は180センチ近くあったという

 プロ野球選手になることが夢だった父親のすすめで、あえて野球強豪校ではない高校に進学すると、3年時には県大会の決勝に進出。

「その試合で新庄はヒット、3塁打、ホームランと大当たり。その次の打席でも、足の速い彼なら余裕で3塁打になるような特大ヒットを打ったのに、なぜか2塁で止まっちゃったんです。あとで“あれはサイクルヒット狙ってわざと止まったんか?”と聞いたら“バレた?”と笑っていました。目立ちたがりなのもまったくブレとらんですね(苦笑)」(同・同級生)

 “新庄節”は10年前に父親が亡くなったときですら。

「親父さんが亡くなったとき、剛志くんはバリ島に住んでいてね。通夜も帰国する彼のために何日か遅らせたんですよ。でも、帰国当日も悪天候の影響で飛行機が遅れてね。予定よりも1時間過ぎてやっと帰ってきたんです」(新庄家の古くからの知人)

 斎場に到着するなり、新庄は参列者にこう言った。

「“しんみりしないでください! 父はこういうの嫌いでしたから、にぎやかにやりましょう!!”って。そのひと言でお通夜の空気がパッと変わったんですよ」(同・知人)

 3年連続Bクラスに沈んでいるチームの空気も新庄なら変えられる……かも。