ハイスペックなひとりの男性を、約20人の女性が奪い合う超肉食系の恋愛リアリティー番組『バチェラー・ジャパン』(アマゾンプライムビデオ)。11月25日から、待望の「シーズン4」の配信が始まる。毎回、熾烈(しれつ)な駆け引き、ライバルを出し抜く修羅場が繰り広げられ、20~40代の視聴者を中心に熱烈なファンも多い。
「一般人の恋愛模様を描くバラエティー番組は、1970年代から存在します。形を変えつつ、今も根強い人気を誇り続けています」
と語るのは、生活情報サイトAll About「お笑い・バラエティ番組」ガイドでコラムニストの広川峯啓さん。今も昔も、恋愛バラエティーはテレビにおけるキラーコンテンツ。他人の恋愛事情を追う番組が、なぜこんなにも愛されるのか? 歴史を振り返りつつ、検証してみた。
大阪から始まった黄金時代
恋愛バラエティーの元祖ともいえるのが、1973年〜1984年に放送していた『パンチDEデート』(関西テレビ)。司会の桂三枝(現・文枝)と西川きよしが「ひと目会ったその日から、恋の花咲くこともある──」とかけあうオープニングが懐かしい!
「もともとこの番組は、関西ローカルの深夜番組『ナイトパンチ』の1コーナーにすぎませんでした。大変な人気だったことから、コーナーを30分番組に独立。その後全国ネットにまで昇格したのです」(広川さん、以下同)
番組では、一般人の男女がひとりずつ登場。前半は男性と女性のあいだが幕で仕切られ顔が見えないなか、質問を投げ合い印象を探る。
三枝ときよしの「ごたいめ~ん!」のかけ声で幕が上がり、顔を合わせ短い会話を交わす。お互いに気に入ったらハートの電飾が点灯し、カップル成立♪ シンプルな作りながら視聴者に長く愛され、放送は10年以上続いた。
「ここから、恋愛バラエティーの黄金時代が始まります。同時期に朝日放送で始まった『プロポーズ大作戦』は、当時爆発的な人気だった横山やすし・西川きよしを司会に起用。こちらも10年超えの長寿番組となりました」
40代以上の読者なら、“浪速のモーツァルト”こと、キダ・タロー氏が手がけたオープニングテーマがすぐに頭に浮かぶはず!
「男女10人による“フィーリングカップル5vs5”の印象が強烈ですが、実は番組は2部構成。前半は、視聴者の依頼で人探しをするコーナーでした。痴漢から助けてくれた人、電車で見かけた素敵な人など、少ない情報から番組スタッフが該当者を探し出し、スタジオで依頼者と対面させるものでした」
『パンチDEデート』『プロポーズ大作戦』(1973年〜1985年 朝日放送)と並び、恋愛バラエティーの3大人気番組だったのが『ラブアタック!』(1975年〜1984年 朝日放送)。“アタッカー”と呼ばれる5~6人の男性が“かぐや姫”となったひとりの女性とのカップル成立をかけ、過酷なゲームに挑む。
「司会の横山ノック、上岡龍太郎の素人イジリが見事で、有名になったアタッカーも少なくありません。作家の百田尚樹さんは大学生のときにアタッカーとしてこの番組に参加。のちにテレビ業界で構成作家となり、『探偵!ナイトスクープ』というお化け番組を生み出しています」
この3番組には2つの共通点が。まず、すべて関西ローカルの深夜番組から始まり、のちに全国ネット放送に昇格していること。さらに、大阪収録が基本であったことだ。
「綿密に企画を立てる東京の放送局と違い、当時の大阪の放送局には『一か八かまずはやってみたらええ』といった柔軟さがありました。ものは試しと、深夜放送の1コーナーで始めた企画がうまくハマり、その後全国ネットへと出世した形です」
また、大阪収録だったからこそ、「素人参加型」のよさが十分に発揮できたと広川さんは分析する。
「それまでもオーディション番組など、素人参加型の番組は存在していました。ただし一般人にとっては、決められた歌を歌うより、テレビで普通のおしゃべりをするほうがずっと難しいもの。でも生まれたときから笑いの英才教育を受けてきた大阪の人は、それを難なくやってたんです」
思い返せば、「テレビで目立つ」ことが目的だった男性も多かったような?
「特に『プロポーズ大作戦』と『ラブアタック!』は、男性参加者のほとんどが関西の大学生。彼女をゲットするより、テレビで笑いをとって大学で有名になることのほうが、彼らにとってははるかに名誉だったんです。実際に『ラブアタック!』では、かぐや姫に見向きもされないなか、ひたすら笑いに走ったアタッカーを集めた“みじめアタッカー大会”もたびたび開催されていました」
参加者イジリから見守りのスタイルに
漫才ブームと、浪速っ子のおもしろさがうまくマッチして大ヒットしたこれらの番組も、約10年で人気に陰りが出始め、1985年までにすべての番組が終了。その2年後に『ねるとん紅鯨団』(関西テレビ)の放送が始まる。
「司会者は、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったとんねるず。生放送の『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)では、満員の観客をあおったりしずめたりと、素人を自由自在に扱う才能を発揮していました」
大勢の男女が参加するロケ形式が当時は斬新に映った。「ツーショット」「タカさんチェック!」など、数々の名ゼリフも生まれる。
「演出はテリー伊藤さん。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)で名を轟(とどろ)かす、注目のテレビマンでした。ねるとんは30分番組ながら、ロケもスタジオ収録もあり、とても凝った作り。最後の“告白タイム”は、いつも真っ暗な時間帯でした。20分ほどの放送時間のため、ほぼ丸1日カメラを回していたのではないでしょうか」
広川さんは『ねるとん紅鯨団』が恋愛バラエティーの大きな転機となり、この潮流が今も続いていると話す。
「司会者と参加者が一緒にワイワイやっていた恋愛バラエティーのスタイルが、ねるとんを境に“参加者を見守る”形に変わりました。とんねるずのふたりは要所で仕切りつつも、フリータイムではモニターを見ながら参加者の動きを実況するのみ。参加者の行動を制限しないことで、よりリアリティーが生まれ、視聴者は他人の恋愛をのぞき見しているようなおもしろさが味わえたんです」
その後、1999年に放送が始まった『あいのり』(フジテレビ系)から、恋愛バラエティーは「リアリティーショー」へと昇華していく。
「流行(はや)りのJポップをBGMに、司会は加藤晴彦さんやウエンツ瑛士さんなど人気タレントを起用。笑いの要素は限りなく控えめです。ラブワゴンに乗りながら地球一周を目指すという壮大なプロジェクトのもと、連続ドラマのように毎週物語が続いていくのも画期的でした」
『あいのり』は深夜帯にもかかわらず最高視聴率20.4%を記録。リアリティーショーの先がけに。その後『テラスハウス』(フジテレビ系)などのヒットを経て、現在は『今日、好きになりました。』『オオカミくんには騙されない』(ともにAbemaTV)など、10~20代をターゲットにした番組も人気を集める。
「ネットテレビやVODに場を移しても、手を替え品を替え、恋愛バラエティーは生き残ってきました。いわゆる恋愛小説は、神話の時代から存在します。色恋沙汰への人間の関心は、太古の昔から不変だということでしょう」
リアリティーショーの本場・アメリカでは、カップル成立にいたるまでに、参加者同士のセックスも当たり前だとか……。あぁ、なんだか大阪のコテコテ恋愛バラエティーが無性に恋しい!
(取材・文/植木淳子)
初出:週刊女性2021年11月23日号/Web版は「fumufumu news」に掲載