『死ぬまでに行きたい世界の絶景』にも選ばれた茨城県内にある国営ひたち海浜公園。そこからほど近い場所に店を構える人気食堂が、ひっそりとのれんを下ろしていた。
「店名に食堂とついていますが、店内の雰囲気は喫茶店に近かったですね。最寄り駅から徒歩20分ほどの場所でしたが、森三中の黒沢さんの実家が経営しているとあり、県外からのお客さんも多く訪れ、にぎわっていましたね」(テレビ局関係者)
“体当たり系女性芸人”の先駆けとしてブレイクを果たした森三中で、ネタづくりを担当する黒沢かずこ。これまで実家が経営する食堂をたびたびテレビで紹介するなど、家族愛が強いことでも知られる。
「黒沢さん自身が考案し、番組でも紹介されてきた『ポタージュラーメン』が看板メニュー。550円という安さにもかかわらず、ポタージュスープとラーメンという意外な組み合わせはクセになると評判でした。TBS系の『A-Studio』で司会を務める笑福亭鶴瓶さんなど、人気芸能人もよくロケで訪れていました」(制作会社関係者)
遠方からの客には娘のエピソードを話して
地元では知らない人はいない人気店だったものの、今年に入りSNSで閉店を報告する投稿が増え始めていた。
《森三中の黒沢さんの実家がすぐ近くだったんですけど閉店したみたいですね……》
《森三中の黒沢の実家の食堂、店閉めた。コロナの影響なんだろうな》
確かにグーグルマップの店舗情報でも、“閉業”と表記されている。
飲食業界は、昨年から新型コロナウイルスの影響で苦境に立たされていただけに、黒沢の実家も同様の可能性はある。実際に店のあった場所へ行き、周囲に話を聞いた。
「旦那さんが厨房を担当して、奥さんがほかの従業員と一緒に接客をしていたね。かずこさんは自慢の娘だったようで、番組を見て遠方から来たお客さんには率先して娘のエピソードを話していましたよ。もともとリーズナブルな値段なのに、お会計のときに駄菓子をくれたり、サービスもよかったです」(近隣住民)
そんな人気店が閉店を余儀なくされたのには、切実な理由があったようだ。
「旦那さんが体調を崩してしまったようで、泣く泣く閉店を決めたと聞いています」(近隣住民)
父親の体調は快方へ向かっているのだろうか。自宅から出てきた母親に話を聞いた。
店を閉めたあとも光浦・大久保のふたりは
「2年前の暮れに主人が倒れて、それを機に店を閉めたんです。(夫は)倒れてからは、高齢者施設にいます」
─かずこさんは、お店を閉めることについて何か言っていましたか?
「“お母さんたちは十分働いたんだから、あとはゆっくり暮らしたら”って。だからもう、お店をやろうとは思ってないです。従業員も続けましょうと言ってくれたけど、お店の備品も全部業者に買い取ってもらっちゃったのよ」
オープン当時は40人ほどが座れる広い食堂だったものの、近年は店舗の規模を縮小して営業を行っていた。
「オアシズの大久保(佳代子)さんや光浦(靖子)さんはロケで来てくれましたし、『A-Studio』でも(笑福亭)鶴瓶さんが、娘の話を聞くために足を運んでくれましたね」
鶴瓶が来店したのは'18年の秋。このころにはすでに閉店を考え始めていたのか、母親は鶴瓶にこんな悩みを打ち明けたという。
「“お店は大変だから、もうやめたいわ”と愚痴を言ったら、鶴瓶さんは“お店は続けなあかんよ、頑張って”と励ましてくれましたね」
ロケで訪れた芸人たちとは閉店後も交流が続いている。
「店を閉めてからも、大久保さんや光浦さんは“お母さん大丈夫? 元気でやってる?”と連絡をくれましたよ。娘もこのあたりでロケがあるときは泊まっていきます。コロナ以降も5回くらいは来たんじゃないかな?」
と、娘に会えることがうれしいようで、これまで以上の笑顔に。最後に娘さんのおめでたい話はある? と聞くと、笑いながらこう答えた。
「もう、全然ダメ! 親戚が紹介したり、森三中の大島さんのお母さんには3回くらい縁談を取り持ってもらったけど、全部ダメでした。本人は、一生独身って言っていますね(笑)。どうも男性が苦手みたいで……」
突然の訪問にもかかわらず、最後は笑顔で記者を見送ってくれた。
「実は今年3月に、レギュラー出演していたテレビ埼玉のバラエティー番組『#いたくろここなのオンとオフ』で、実家の食堂が閉店したことを明かしていました。番組内で“報告することがある人は名乗り出てください”と、出演者たちがプチ暴露をするくだりがあったんです。そこでサラッと“バレたか~。実家の飲食店、閉店しました!”と黒沢さんが告白したのですが、地方局の番組だったためか話題になりませんでしたね」(お笑いライター)
最後まで実家を心配していた黒沢。44年間食堂を切り盛りしてきた両親のために、今度は黒沢が名物のポタージュラーメンを振る舞ってあげる番かも……?