まるでハリウッドスターのようだった……。
10月30日に開催された日本ハムのファンフェスティバル。新監督に就任した新庄剛志が真っ白なランボルギーニのカウンタックで登場。7歳のころから憧れ、現役時代もよく乗り回していた車種だった。
ビッグボスからネタの提供
挨拶では「かわいい選手と長い船旅に出る。みなさん、乗ってくれますか? 来年からヒーローは僕ではない。可愛い選手とみんなです」と話したが、派手な出で立ちと耳目を集める言動の数々は間違いなくチームの主役。
ビッグボスの初仕事となった秋季キャンプでは、伸び悩む清宮幸太郎に減量指令を出したり、午前と午後で服装を“お色直し”した際には、「カメラマンさんもいたので、絵的に」と笑った。
「人を惹きつける天才」は、自身のSNSもフル活用。持論や現役時代の思い出を投稿し、率先してプロ野球界に話題を提供している。
ある球団関係者は「ビッグボスはやり方がうまいですよ」と言ってこう続けた。
「SNSの浸透で些細なひと言や記事が大炎上に発展することも少なくない。そのため、“火元”を規制しようと、各球団は記者の取材や報道に神経を尖らせている。
そんな中、新庄監督が自ら話題を提供することで、選手への取材攻勢は減り、マイナスな話題や揚げ足取りのような記事もある程度は抑制できる。
一方で、コロナをきっかけにマスコミ側も取材がしづらくなっていて、自らネタを提供してくれるビッグボスはありがたい存在。『ウィンウィン』というやつです」
「野球に集中できない」
ネタを探すマスコミへエサを垂らせば池の鯉のごとく食いつく。そのエサをおとりに、チームに水を差す危険性を下げるというのだ。
現役時代はヴェルサーチのスーツを身にまとい、札幌ドームの天井からミラーボールに乗って登場するなど、目立ちたがり屋そのもの。しかし、そのビッグボスには意外な過去があった。
「プロ野球人生が始まった『阪神タイガース』時代は、マスコミのことを極端に避けていたんですよ。プロ3年目から頭角を現し始め、人気も急上昇。関西マスコミからの取材攻撃は毎日続き、辟易していたといいます。
試合のない休日はどこで何をしていたとか、いちいちそんな質問にも答えないといけない。雑誌の取材でも“おねしょは何歳まで?”とか“好きなファミコンのソフトは?”とくだらない質問の数々。
メジャーに挑戦する年のオフ、球団幹部のひとりに“阪神にいるとプライベートのことも大げさに書かれるし、野球に集中できない”と漏らしたこともあったそうです。自宅や行く先々でマスコミに追いかけられ、精神的に参っていたと聞きました。メジャーに挑戦したのも、阪神から出るためだったかもしれません」(球界関係者)
あのビッグボスがまさか“マスコミ恐怖症”だったとはーー。
'00年のオフに海外FA権を行使してメッツへ移籍。3年間の米国生活を経て、日本ハムで日本球界に復帰した。それからの「新庄劇場」は、阪神時代のトラウマを活かしたものだったのだ。
自分から話題を与えることでマスコミをコントロールしてきた新庄監督。マスコミを手玉に取るビッグボスは、シーズンも緻密な作戦でチームを優勝に導くかもしれない。