事件を伝える当時の報道(『週刊女性』2006年12月5日号)

 男に溺れ、金に目がくらみ、欲望のまま犯罪に手を染めた女たち。人を騙し、“誰か”を殺めてしまった女たち。この世にはさまざまな「怖い女」が存在する。いったい、何が彼女たちをそうさせたのかーー。大きな事件から、あまり知られていない小さな事件まで。昭和から平成にかけておきた事件を“備忘録”として独自に取材をする『事件備忘録@中の人』による「怖い女」シリーズ、第1弾。

「犯人は実母」という衝撃

 2006年4月、秋田県藤里町で起きた9歳の女児と、その2軒隣に住む7歳男児が殺害された児童連続殺害事件。その犯人が被害女児の母親であったことは、世間に強い衝撃を与えた。また、その母親が逮捕前から複数のメディアの取材攻勢を受け、容疑者でもないのにあたかも犯人であるかのような報道が行われたことでも話題となった。

 その事件から半年後。

 同じ秋田県内で、4歳の男児が殺害されて水路に遺棄されるという事件が起きた。そしてこちらの事件の犯人もまた、実母だった。

◆   ◆   ◆

 2006年10月23日、秋田県大仙市の水路で男児の遺体が発見された。

 その後の調べで、男児は近所に住む陽介ちゃん(仮名/当時4歳)と判明。陽介ちゃんは直前に行方がわからなくなったと実母が通報していたが、事件は最悪の事態となってしまった。

 しかし、事件はさらに信じられない結末を用意していた。陽介ちゃんを殺害したとして、秋田県内在住の40代の男と、その交際相手だった陽介ちゃんの実母・美津子(仮名/当時31歳)が逮捕されたのだ。

 裁判では、2人が車中で性行為に及ぼうとしたところを陽介ちゃんに邪魔されたことがきっかけで殺害に及んだという動機も明かされた。

 そして、終始暴行を主導し、遺体の遺棄を実母である美津子にやらせたとし、交際相手の男は主犯として懲役16年の判決を受けた。

 母親の美津子は反省の態度で裁判に臨んでおり、どんな判決も受け入れると話すなど真摯な態度が酌量され、懲役14年の判決が言い渡されている(その後確定)。

 幼子を抱えたシングルマザーが結婚をチラつかされた挙句、男の言いなりになって盲目となり、わが子を殺める片棒を担いでしまった。裁判では概ねそのような解釈のもと判決が下されたわけだが、この2人の人となり、特に母親の美津子のそれまでを辿ると、にわかにその判断がぐらついてくる。現に、主犯と断じられた交際相手の男は捜査段階では認めたものの、起訴後は一貫して否認を貫いた。

 男と女。鬼はどっちか。

交際相手の気を引くために放火

 美津子は秋田県内に生まれた。おとなしそうな外見だったが、美津子は別の一面を持っていた。その片鱗が見え始めたのは、彼女が中学生のころまで遡る。

「彼女とは別の高校へ行ったほうがいい。」

 美津子には中学時代、親友の女子生徒がいた。しかし高校進学の保護者面談の席で、担任の教師はその親友の保護者に対し、美津子と距離をとるようアドバイスした。

 美津子とその女子生徒は一見仲がよく見えたが、実は美津子が“主”となる主従関係だったと言うのだ。

 さらに、高校卒業後には一つの事件を起こしている。

 雑誌の文通欄で知り合った男性と交際するようになった美津子だったが、相手の男性はすぐに美津子と距離を置くようになった。

 それを不安に感じた美津子は、なんと駅舎や酒屋の段ボールなどに火をつけ始める。そして、すぐさま119番通報していた。

「私が火の中で死んでいくのを見れば、私の愛がどれほど深いかわかってくれる」

 そう、美津子の交際相手は現役の消防士だったのだ。美津子は男性に会いたいがために、わざと放火事件を起こしては消防士を現場に急行させていた。

 このような美津子の行動からは、人を思いどおりに操りたい、というものを感じる。そしてその暴走は、結婚後、さらに加速していく。

夫を自殺未遂に追い込んだ「異常行動」

 美津子は出会い系サイトを通じて知り合った男性との間に子どもができたことで最初の結婚をしたが、その結婚は1年も持たなかった。美津子は意に沿わない出来事が起こると突然家出したり、自室で独りごとを言うなど突飛な行動が目についた。

 たまりかねて夫が話を聞こうとすると、美津子は家出しそのまま婚家には戻らなかったという。

 その2年後、再び出会い系で知り合った男性とこれまた子どもが出来た(被害者の陽介ちゃん)ことで結婚。しかしそこでも美津子は、気に入らないことがあれば義母であろうが暴力をふるい、夫の仕事までかき乱した。

 ある日、出勤しようとする夫の車の前に立ちはだかると、鍵を奪った。口論となった末、美津子は夫と義母に対し「離婚してやる! 慰謝料よこせ! 養育費よこせ!」と喚き散らした。

 売り言葉に買い言葉で離婚に応じた夫が通帳を投げつけると、「こんなんじゃ足りねぇ!」と要求が上がり、しまいには1000万円を要求したという。

「そこまで言うなら保険金で払ってやる」

 心身ともに疲れ果てた夫は、そう言うと灯油をかぶり、火をつけた。

 幸い、家族が周りにいたことからすぐに火は消し止められ、夫の命に別状はなかったというが、美津子は自身の言動を省みることなく陽介ちゃんを連れてさっさと実家へ逃げ帰っていた。

 陽介ちゃんを手放したくなかった夫は必死に親権を求めたが、結局親権は美津子のものとなった。

 美津子の対人関係を見ると、確かに消防士のことは感情もあっただろうが、それ以外の関係は損得勘定、金である。子どもを盾に搾り取るだけ搾り取って、相手がパンクすると用済みとばかりあっさり手を引くのだ。

 対象者を取り込むと途端に本性を現し、ありとあらゆる手段で支配する。しかもそれが叶わないとなると豹変。暴力や無理難題をおしつけることで相手を疲弊させ、我を通そうとする。うまくいかずにイラ立つと極端な行動に出る傾向もあった。

 そして、その行動は幼い陽介ちゃんにも向けられる。

◆   ◆   ◆

 一時期暮らした母子寮では、美津子による陽介ちゃんへの深刻な虐待が報告されていた。

 職員らの目があるにもかかわらず、陽介ちゃんに睡眠薬を飲ませたり殴るといった虐待を行っていたのだ。

 母子収容施設などでも暮らしたあと、美津子はまたもや出会い系サイトで知り合った男性と同居し始める。

 そして、あの事件が起きたのだった。

 しかし逮捕されたのはこの同居していた男性ではなかった。そのずっと前から複数いた交際相手の一人が、あの男だったのだ。

揺らぐ「哀れなシングルマザー像」

 ひとつ、この事件を語る上で避けて通れないことがある。

 今でも当時の報道写真がネットで出回っているが、正直、美津子は化粧気もなく、自分の身なりに気を遣わないタイプの女性だったと思われる。大人しそうな外見に、終始反省した態度。だからこそ裁判では、冒頭のような「結婚をチラつかされた哀れなシングルマザー」という図式がピッタリとはまった。

 しかし実際の美津子は男を切らすことなく、言葉を選ばず言えばとっかえひっかえ状態だったのだ。

 一方の共犯の男はどうだったか。

 これまた女性にはあまり縁がなかったようで、交際した女性はいたというものの、独身だった。

 山間の実家で暮らし、高校の用務員として勤務する傍ら、趣味はマラソン。性格は温厚で、まじめすぎるくらいと男を知る人は口をそろえた。ましてや、子どもに暴力を振るうなど有り得ない、むしろ止めに入る側だ、そんな評価ばかりだった。

 逮捕されたときも、動揺する母親に対し「何かの間違いだ」と落ち着いた様子で話しており、なにより事件前日、旅先で陽介ちゃんと親子と見間違われるほど親し気に寄り添う姿が目撃されてもいた。

 だが男は、懲役16年の刑が確定した。裁判では美津子も罪に問われはしたものの、あくまで従犯、との位置づけとなった。

 そこで改めて思うことは、本当にあの男は陽介ちゃんを殺害したのかということ。

 男は一貫して否認、しかも検察が主張するような午後の比較的混雑する道の駅での犯行状況は極めて不自然という見方もある。男の車からは血痕は一滴も出なかった。

 捜査段階での自白は一部強要があったと本人が主張しているが、その自白と「すでに自分の罪を認めている」美津子の証言で裁判は進められたといってもいい。

◆   ◆   ◆

 それにしてもこの美津子の過去から見えるものだけでも少なくとも「男に縋りつくしかないか弱い女」という印象は、ない。2度の結婚を自らぶち壊したことからも、結婚をチラつかされてという理由も相当とは思えない。

 むしろ他人を操るためには手段を選ばない、たとえ暴力や犯罪行為であってもという姿が見える。

 私だけが痛い目を見ることは許せない。少しでも刑を短くすることを考えなかったろうか。どんな手を使ってでも他人を操るという美津子の筋書きは、そこにはなかったのだろうか。

 刑期を終えた今、美津子は何を思うのだろうーー。

事件備忘録@中の人
 昭和から平成にかけて起きた事件を「備忘録」として独自に取材。裁判資料や当時の報道などから、事件が起きた経緯やそこに見える人間関係、その人物が過ごしてきた人生に迫る。現在進行形の事件の裁判傍聴も。
サイト『事件備忘録』: https://case1112.jp/
ツイッター:@jikencase1112

【参考文献】
『週刊朝日』(2006.12.1 p.34~36)、『サンデー毎日』(2006.12.3 p.30~33)
『何が彼をそうさせたのか』(あきた北新聞)