左から渡辺隆(錦鯉)=撮影/北村史成、ビートきよし=撮影/佐藤靖彦

 現在放送中のドラマ『じゃない方の彼女』(テレビ東京系、毎週月曜23:06~)でそのタイトルに使われているように、「じゃない方」=「コンビやグループなどで、目立っていない存在」という言葉は、世間一般にも浸透した。

 知名度や収入面などの格差ができやすく、コンプレックスに捉われがちな言葉である。どちらも“じゃない方”ではない漫才コンビのおぼん・こぼんは、お互いが長年、我を張り合い続け、その不仲が話題になってしまった。多くのお笑いコンビに起こる問題だ。

 では、実際の“じゃない方”側の人たちは、自らの立場についてどう感じているのだろう。

 まず、“元祖・じゃない方”ともいうべきツービートのビートきよしに聞いてみた。

『どっちが幸せか?』って言われたら、じゃない方が幸せなんじゃないかなあ。今の相棒は常に仕事に追われてて、何が楽しいんだろう? って思うから。俺の場合は好き勝手なことを人目を気にしないでやっちゃうから、こっちの方が幸せだよなあ……」(きよし)

魅力的な相方を発掘して爆進する

 1980年代に巻き起こった『MANZAIブーム』で天下を取ったともいえるのが、ビートたけしとビートきよしによるツービート。きよしがたけしに声をかけて組んだ2人だ。

“こいつ面白いな”と、俺が気に入ったんだよね。あいつは東京生まれで学があるけど、俺は山形の田舎生まれで世間知らず。そんな2人のギャップも面白いと思ったし。でも、コンビを組んだはいいけれど、相棒は本当に、はちゃめちゃなの

 きよしが取ってきた仕事をたけしは平気ですっぽかし、仕事場に泥酔状態で現れることも。クレームばかりつけられていたという。

「だけど、舞台に立つと本当に面白い。幅の広い知識とか、ガキ大将がそのまま大きくなったような個性とかね。

 あのころ、あいつは人生を模索している途中だったみたいで、芸人は腰掛けみたいな感覚だったと思うよ。でも、とにかくテレビに出るような芸能人になりたくて上京してきた俺とすれば、この存在はなくしたくないわけじゃないですか。怒っちゃうとはじけて終わりだし、『うまくゴマすってなんとか舞台に引っ張り出そう』と思って続けてたね」(きよし)

1981年のツービート (c)共同通信

 一方、2020年の『M-1グランプリ2020』で4位となり、世間に絶大なインパクトを残した錦鯉は、ツッコミの渡辺隆がボケの長谷川雅紀に声をかけて生まれたコンビだ。結成当時、渡辺は33歳で、長谷川はすでに40歳であった。この年齢は気にならなかったのか? 渡辺に聞いた。

まったく気にならなくて、それどころかもっと年をとっていてほしかったです。雅紀さんが年をとるほど面白いので。寿命との兼ね合いでもありますね(笑)」(渡辺)

 きよしも渡辺も魅力的な相方を発掘し、売れた。目利きの能力が証明された形だ。

自分優先ではなくコンビ単位で考える

 初期のツービートでネタ作りを担当したのはきよしだった。しかし、旧来の漫才のスタイルに則ったきよし作の古典的な漫才では、笑いをとることができなかった。そこで途中からたけしがネタ作りを買って出ることに。

 ちなみに、2人が下積み期間を過ごした東京・浅草のストリップ劇場「フランス座」では、きよしが先輩でたけしが後輩だった。後輩にネタの主導権を握られ、きよしに葛藤はなかったのか?

「そんなのないよ。だって、それがプラスに転じていけばいいじゃないですか。よくコンビでいるけど、2人ともが『俺が俺が』になると、絶対うまくいくわけないんだよ。ツービートというトータルで見て、『どうしたらうまくいくかな?』というのを俺は第一に考えていたから」(きよし)

 渡辺は錦鯉を組む前に2つのコンビを経験しており、そのときはボケ担当だった。しかし、今はツッコミに回っている。

前のコンビのときにボケだったのは、こだわっていたわけじゃなくて『この2人なら俺がボケた方がいいな』ぐらいの考え方ですね」(渡辺)

錦鯉

 やはり、自分が目立てばいいという視点ではなく、コンビとしてトータルで考えた結果のようだ。

「相棒が書くのは差別的で変態っぽいネタばっかりで劇場から怒られたけど、客にはウケたよ。あと、舞台に立ったらしゃべりが止まんないんだよ。そこに俺がかぶせるったって言葉数が多すぎると何言ってるかお客さんがわからなくなるから、端的にツッコむとしたら『よしなさい』『やめなさい』しかない。俺が余計なこと言って、そのせいでウケなくなったら意味がないからね」(きよし)

 錦鯉は長谷川と渡辺の2人でネタを作っているが、その際は「長谷川に何をさせたら面白いか」という観点で考えるという。『M-1』で結果を残した、錦鯉のパチンコを題材としたネタが、まさにそうだ。

「ネタを作っているとき、雅紀さんに『パチンコ台になって』ってやらせたら面白かったので作ったネタです。だから、錦鯉のネタは雅紀さんありきですね。ツッコミをする際に気をつけていることですか? できるだけ邪魔をしない(笑)。こっちのタイミングに関係なく雅紀さんはどんどんネタを進めていくので、合いの手くらいで」(渡辺)

『M-1グランプリ2020』に出場した際

 きよしもこう語る。

「コンビって陰と陽で一対でしょ? これをプラスとプラスにするとおかしくなるんだよ。例えば、うちの相棒が(島田)洋七と組んで漫才をしたけどイマイチだった。それは食い合いをしちゃうから。いかにボケを乗せて盛り上げるかがツッコミで、俺はそういう役割を背負ったんだから。そりゃあね、誰だって目立つ方をやりたい。でも、コンビでやるってことはちゃんとした分担があるわけじゃないですか。なのに、相手の領域まで入っていったら、そんなの存在自体を壊すのと一緒でしょ?」(きよし)

たけしみたいなことはやらない

 たけしは自著『Kitano par Kitano: 北野武による「たけし」』(早川書房)で、きよしについてこう綴(つづ)っている。「二郎さん(きよしの本名)は猛獣使いで、俺は猛獣。二郎さんのような相棒でなけりゃ、ふたりの漫才はあれほど長続きしなかっただろうね。(中略)二郎さんは優秀な調教師だったよ」と。

ビートたけし

「俺は競馬でいう騎手なんですよ。最初に飛ばしすぎたら馬が途中でくたびれちゃうでしょ? 『今は行きすぎだから引っ張ろう』『ここは前に出よう』ってやるのがツッコミなんです」(きよし)

 ある意味、プロデューサー的視点ともいえる。錦鯉も渡辺が長谷川をプロデュースする関係性だ。錦鯉結成前の長谷川にはピン芸人だった時期があり、彼はそのころについてこう振り返っている。「この世界はセルフプロデュースできる人間が強いけど、僕は自分のことがわからなかった。そして、それをしてくれたのが隆だ」と──。

 こんな証言もある。

所属事務所で渡辺は重宝されています。同じ事務所所属のバイきんぐやハリウッドザコシショウが単独ライブを行う際は、必ず渡辺にネタの相談をする。ザコシショウからは『じきにオードリーの若林みたいになる』と、バイきんぐ小峠からは『事務所の羅針盤』と呼ばれるほどです」(放送作家)

それ、言いすぎだろって話なんですけど(苦笑)。僕、錦鯉を組んだときは、雅紀さんに道を切り開いてもらって、その道の中で自分のやりたいことをやるという思惑でした(笑)。でも、そろそろ存在が世間にバレてきているというか、これからは僕も前に出て仕事しなきゃいけないかな? という気はしています」(渡辺)

 “世界の北野”を相棒に持ったきよしは今、じゃない方という存在だからこそ望みどおりの芸能活動を謳歌(おうか)してきたという。

「念願だった歌手デビューもしたし、プロデューサーの久世光彦さんに可愛がられてドラマでよく使ってもらえたし、五社英雄監督もよくしてくれて、映画『吉原炎上』(1987)に出たし。

 MANZAIブームが終わったころ、みんなから『なんでたけしみたいなことやらないの?』と言われたけど、俺がやってもうまくいくわけがねえんだ。相棒とは個性が違うんだから。俺は昔から、やりたいことだけやってるし、嫌な仕事だったら平気で断っちゃうしね。反対に、昔はあんなに自由にやってた相棒が今、きちんと仕事を引き受けてるだろ? 偉いと思うよ」(きよし)

あの相棒じゃなきゃ、売れてなかった

 7歳の年齢差があるものの、錦鯉のコンビ仲は悪くない。大勢がいる飲み会では隣同士の席に座るし、楽屋はもちろん一緒だ。

「別に意図して隣に座ってるわけじゃないんですけどね。ちょっと遅れて行ったらそこしか空いてないくらいのノリですけど(笑)」(渡辺)

 つまり、お互いが空気みたいな存在といえる。ツービートもベタベタした関係性ではないが、良好な間柄だ。

今でも相棒からゴルフに誘われるよ。あいつ、『俺が誘ったんだから』って、俺の分も払ってくれるんだよね。うれしいよね。

 2人で漫才やってたころはよく、相棒の前の奥さんから『うちの人知らない?』って電話がかかってきたけど、『ディレクターと会ってたから飲みに行ったんじゃない?』って俺は随分ごまかしてたの(笑)。

 自分の役割をきっちりやっていれば、仲は悪くならないって。だって、相手に何かを感じてコンビを組んだわけでしょ? そいつを尊敬してあげればいいんだよ。俺なんか、相棒に便乗したようなもんだよ。それで、全盛期のときはある程度まで行ったし」(きよし)

 冒頭でも話題にした、おぼん・こぼんのコンビ仲について、きよしはこう語る。

「(しみじみと)あれも仲悪いんだよなあ……(苦笑)。“俺の方が”“俺の方が”になっちゃってたからね。でも、うちは相棒が認めてくれるから、それがいちばん最高じゃないですか。俺はあの相棒じゃなきゃ、絶対売れてなかったと思う。それに、俺が引っ張ってきた男が“世界の北野”になったんだもん。それは自慢できるよね。俺に先見の明があったってことだから」(きよし)

 “じゃない方”であることに幸せを感じられているのは、相手にも、自分にも、適材適所の才能を見いだせたからなのだろう。

(取材・文/寺西ジャジューカ)

※初出:週刊女性2021年12月21日号/Web版は「fumufumu news」掲載

《PROFILE》
ビートきよし ◎1949年、山形県出身。’80年代、相棒のビートたけしとともに漫才コンビ「ツービート」で一世を風靡する。その後、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)『スーパーJOCKEY』(日本テレビ系)をはじめ、ドラマやラジオなど多方面で活躍。

渡辺隆(錦鯉) ◎1978年、東京都生まれ。東京NSC5期生。2001年「ガスマスク」でデビュー。解散後、「桜前線」を経て長谷川雅紀と2012年「錦鯉」結成。『M-1グランプリ2020』で第4位に輝き、ブレイクする。

『くすぶり中年の逆襲』(新潮社刊 税込み1430円)。49歳と42歳でブレイクした遅咲きのコンビが、幼少期、若手時代、ブレイク前夜、ブレイクのきっかけ、これからの目標などを、2人の漫才形式で明かした一冊 ※週刊女性PRIMEのサイトで記事内にある画像をクリックするとアマゾンの紹介ページにジャンプします