医者選びにだけは失敗したくない、誰もがそう思っているだろう。歯医者だって同じだ。歯はすぐに命に関わるような状況は少ないとしても、抜いたら最後、二度と生えてはこないのだから絶対に失敗はしたくない。
ヤバい歯医者が増加
ひと昔前は歯医者の数も少なく、患者側の選択肢は少なかったが、いまは選ぶのに困るほど歯医者が増えた。それらすべてが信頼できる歯医者なら喜ぶべきだが、むしろその逆だと指摘して憂えているのは、東京の渋谷で23年前から歯科医院を続けている斎藤正人先生だ。先生は毎日のように、歯科治療のひどい現実を患者を通じて目の当たりにしているという。
「歯医者が増えても、いい歯医者が増えたわけじゃなくて、ヤバい歯医者が増えているんだからどうしようもない。
ろくに説明もなく治療をされたなんて序の口で、どう考えても抜く必要のない、治療で残せる歯を『抜くしかありませんね』と言ったり、どうしてインプラントにする必要があるのかわからない歯を7本もインプラントにして、あげく8本目をすすめたり。
うちにはそんな治療でさんざんな目にあった患者さんが全国から駆け込んできます」
インプラントとは、あごの骨に金属製の歯根を手術で埋め込んで義歯をかぶせる治療のこと。1本数十万円と高額な場合が多い。
斎藤先生はインプラントは最終手段と考え、歯を極力残すことを治療のポリシーとしている。そんな先生から見れば、あまりに雑で、医者としての善意が感じられない治療が横行しているのが、いまの歯科治療の実態なのだ。
危険な歯医者の見分け方
だが、歯科治療の知識のかけらもない素人である私たちが、歯医者の診断結果に疑問を持ち、治療提案に「NO」と言うのはなかなかハードルが高い。診療台の上で口を開けたが最後、まさにまな板の上の鯉。抜くしかないですねと言われたら、なんとなく、そうですかという気になってしまう。
「たしかに、患者が歯医者の言葉を疑うことはなかなかできないだろうなと、私も思います。だからこそ、腹立たしいんです。
きれいなクリニックも、最新の機器もあてにはなりません。ひどい治療のえじきにならないためには、患者も知恵をつけ、見抜く力を持たねばなりません」
では、どうすれば危険な歯医者を回避できるのか。見抜くには「治療方針」と「診療スタイル」の2つの面でチェックすることが大切だ。まず治療方針で最も警戒すべきなのは「抜歯しましょう」という言葉だという。
「もちろん、抜歯するしかない歯も中にはあります。でも、丁寧に歯根の治療をすれば残せる歯はかなりある。それも保険診療内で、です。ところが、この治療は手間も時間も技術も必要で、それなのに保険点数が低い。
歯を抜くのはどんな歯医者でもできるし、そこそこ保険点数が高いので、その結果、安易に抜歯をすすめてくる歯医者が急増しているのです」
それに、抜歯をすればその後に入れ歯やインプラントなど、保険外の高額な自費診療へとつなげられる。
「触診もせず、レントゲンを見せて詳しい説明もせず、簡単に『もうダメだから抜いてインプラントにしましょう。自分の歯のようで快適ですよ』とすすめる。歯医者にとってはそのほうが格段にもうかるわけです」
高齢の患者に向かって、骨がまだあるうちにインプラントを、というのも、危険な歯医者の常套句だが、斎藤先生によると「そもそも土台の骨がやせてもろくなってきた高齢者に、インプラントが適切な治療かどうか疑問です。
高い費用をかけて、期待してインプラントにしてもトラブルが少なくありません。実際、うちにも期待していたほどではなかった、治療にお金も時間もかかってこれ以上は無理、という患者さんがたくさん来ています」
診療スタイルで危険な歯医者を見抜くためには、歯科医と歯科衛生士などのスタッフが、どういう体制で診療をしているのかがチェックポイントだという。
「どんな優秀な歯医者でも、上質な医療を提供するには、適切な助手の存在が必要です。1人きりで診療していたり、反対に歯医者がなかなか出てこず歯科衛生士にまかせっぱなしという体制のところは信頼できません。避けたたほうがいいでしょう」
アルバイト医師ではない主治医が担当して治療してくれ、歯科衛生士がいてしっかり補助してくれる体制が理想的。ほかに、診療回数や治療時間もひとつの目安になる。
「通院回数の目安を聞いてみて、説明があいまいだったり、相談の余地がないようなら見切りをつけていいかもしれません」
実は厳しい歯医者の懐事情
歯科治療の実態がここまで悪化してしまったのは、医者自身のモラル低下だけではなく、歯科業界の背に腹は代えられない厳しい実情もある。
かつて歯医者は花形の職業だった。戦後、多かった虫歯患者が歯医者黄金時代を支え、歯医者はもうかる職業として長く君臨してきた。ところが、いまは廃業する歯医者が現れるほど懐事情が苦しいのだという。
「歯医者は増えに増え、今やコンビニより多くなってしまいました。片や患者はというと、少子化や口腔衛生環境が整ってきたこともあって減るいっぽう。多くの歯医者で少ない患者を奪い合っているのが現状です」
そのうえ、コロナ禍が厳しさに拍車をかけた。口腔内を診療する歯科では、感染のリスクは低いとはいえない。患者がわざわざいま行かなくても……という気持ちになるのも当然だ。
「患者さんにとって本当に必要な治療なら、キャンセルも出にくいでしょうが、診療報酬を上げるためにたいして必要でもない治療で通院させているところは大打撃です。歯のアフターケアやメンテナンス程度なら、いまはパスしようとなりますからね」
歯科医のこうした窮状は、もとをたどれば、歯科医業界に厳しい国の医療政策から生じている。
「国は医療費を削減しようと必死ですが、そのしわ寄せがきていて、歯科医療費は全体の医療費のわずか10%以下。そのうえ、日本の保険制度では、歯科医療はほかの医療に比べて低い保険点数に据え置かれている。さらに言えば歯医者はきちんとした治療をすればするほどもうからない、という矛盾に苦しんでいるんです」
歯を残す治療は手間がかかるわりに保険点数は低く、抜歯はそれより点数が上。安易に抜歯に流れるのも、こうしたからくりがあるからだ。
「保険診療だけでは経営を続けていけないところまできていますから、生き残るためには自費診療に力を入れるわけです。高級素材の入れ歯や審美歯科、1本数十万円するインプラント治療を患者にすすめ、経営を成り立たせているところも多いのです」
そういった歯医者がすべて悪徳というわけではないが、歯医者も商売である以上、家賃やスタッフの給料を払うためには売り上げを上げねばならず、患者本位の医療ができていない例が多数あるのもまた現実だ。
それでは私たちは、どうやってよい歯医者を見つければいいのだろうか。
「まず、話をていねいに聞いてくれるかどうか。患者の緊張をほぐしながら悩みや希望を聞き出すのがよい医者というものです。そして、歯の現状や治療方針、費用までを説明し、患者の了承を得てから治療に入るのがいい歯医者です」
つまり、医者と患者が対等なコミュニケーションがとれることが、納得できる治療への近道なのだ。
「高額で最新の治療が最良の治療というわけではありません。よい治療というのはとかく地味なもの。決して歯医者まかせにせず、2、3軒回るくらいは覚悟して、信頼できる歯医者を見つけてほしいですね」
80歳で自分の歯を20本残すのが目標といわれるが、その可能性は歯医者選びにかかっていると肝に銘じたい。
実録!「危険な歯医者」
「いちばん大事な小臼歯をあやうく抜かれるところでした」鈴木綾子さん(20代、仮名)
ずーっと頭痛に悩まされていて、もしかしたらかみ合わせが悪いのかと思って、職場の近くの感じのよさそうな歯科医に行きました。
40代くらいの医師で、レントゲンを見せてくれながら「小臼歯がひび割れしているのが頭痛の原因。抜いて治療し、入れ歯にしましょう」と言われたのです。
突然だったので納得できず、帰ってインターネットで検索。「抜かない歯医者のひとりごと」というブログを書いていた斎藤先生の歯科を訪ねました。すると「小臼歯はいちばん大事な歯。ひび割れくらいで抜いたらダメ」と言うじゃないですか!
しっかり治療すれば抜かずにすむとのこと、診断のあまりの違いに驚きました。ひび割れを治療し、頭痛は肩こりや食いしばりが原因とわかったので対策をして改善しました。最初の歯医者の言うとおりにしていたら、20代で入れ歯になっていたかと思うとゾッとします。
こんな歯医者に行ってはダメ!
■「親知らずは抜きましょう」と言う
親知らずをすぐに抜こうとする歯医者は信用できない。歯磨きが行き届いていれば、虫歯になっていない親知らずを急いで抜く必要はない。
■「まだ骨があるうちに」とインプラントをすすめる
高齢者にかけられることが多い脅し文句のようなひと言。歯槽骨があっても、その下の下顎骨がやせてもろくなっている高齢者にはインプラントは適さない。
■ 歯科衛生士ばかりで先生がなかなか出てこない
歯科衛生士にまかせっきりで、歯科医は治療のときだけ出てきてすぐに別の患者へ。これではゆっくり相談することも説明を求めることもできない。
■ 何回にも分けて歯の清掃をする
上下2回に分ける程度ならいいが、何回にもわたってクリーニングや歯磨き指導に通院させるのは、保険点数稼ぎかも。
■ 歯や歯肉の触診をしない
歯肉の状態や歯のぐらつきは、外から見ただけではわからない。触らないで正しい診断は決してできない。
■ 担当医がコロコロ変わる
誰が主治医なのかわからない状態は、患者に不安を与え、また、コミュニケーションもとりにくい。アルバイト医師が担当している可能性も高い。
■ 1人ですべてやっている
助手も歯科衛生士も不在だと、治療の手際がガクッと落ちる。会計まで1人でやっていたら、人件費削減のためでしかない。
■「いずれダメになる」と抜歯をすすめる
いずれとはいつのことなのか具体性が乏しいうえに、歯を少しでも長持ちさせる努力を放棄しているかのような言動には要注意。
■「やってもいいが時間とお金がかかる」と言う
「この治療はお金と時間がかかりますよ」という説明は、ラクで簡単にできる抜歯への誘導の可能性あり。
いい歯医者は知っている!「歯科治療の新常識」
【1】高齢になったら奥歯はなくても大丈夫
80歳を過ぎたら奥歯といわれる大臼歯がなくても、その手前の小臼歯さえ残っていれば問題はない。「かむ力も弱ってきて、かたいものを食べる機会も減っているのも理由のひとつです。高齢で骨が弱ってきているのに、インプラントをしてまで奥歯を残そうというのは、むしろリスクのほうが高いと思います」
【2】歯は磨きすぎより、マッサージが大事
歯磨きが大事なのは当然だが、回数が多いほどいいというわけでもない。年齢が高くなってくると、虫歯よりも歯周病のリスクが高くなるので、むしろ歯肉のマッサージを習慣に加えたい。「ブラシで磨いたあと、指で歯肉をマッサージします。血管が刺激され、歯周病菌が嫌う酸素が歯肉のすみずみに運ばれて予防と改善に」
【3】実は入れ歯には多数のメリットあり!
入れ歯は合わない、かみにくい……というイメージがありますが、それは歯科技工士の技術の問題。「残念ながらいい技工士は減っているのですが、きちんと作ればいい義歯は快適です。手術のリスクもなく、インプラントと違ってはずしてメンテナンスができるのは高齢者にとってはメリット。介護の現場でも歓迎されています」。インプラントだけでなく、入れ歯も大事な選択肢のひとつだ。
(取材・文/野沢恭恵)