ビートルズ来日記者会見時

「8耐」と言えば「鈴鹿8時間耐久ロードレース」のことを指すが、今、別の「8耐」が盛り上がっていることをご存じだろうか。それも、オートバイ・ファンではなく、ビートルズ・ファンの間で。

 11月25日からDisney+(ディズニープラス)で配信が始まったドキュメンタリー映像『ザ・ビートルズ:ゲット・バック』のことだ。第1話が157分、第2話:174分、第3話:139分、トータルで何と7時間50分(470分)、おおよそ8時間!

 驚くべきは、私の周りのビートルズ・ファンたちが、ディズニープラスを月額990円で契約しながら、「8耐」を次々と「完走」していることである。

 それほどに、この映像作品の内容が興味深かったということなのだが、加えて、映画やパッケージ(DVDやブルーレイ)ではなく、ディズニープラスという定額型の動画配信サービスで「公開」されたことも、盛り上がりの背景にあると思われるのだ。

従来のジョンのイメージを変える映像

 まずは『ゲット・バック』の内容について見ていきたい。

 1969年1月に、ビートルズの4人がスタジオにこもって行われた、いわゆる「ゲット・バック・セッション」と、同年1月30日、ロンドンのビルの屋上で行われた、有名な「ルーフトップ・コンサート」の模様を収めたドキュメンタリー作品。

 音楽ファンなら、ビートルズの映画『レット・イット・ビー』(1970年)を見られた方も多いだろう。簡単(かつ乱暴)に言えば、『ゲット・バック』は「あの映画の長い版」である。

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 それでも8時間もあるので、『レット・イット・ビー』で、かなり端折られていた、メンバー同士の生々しい会話が十分に詰め込まれている。

 驚くのは、『レット・イット・ビー』でギスギスしていたメンバーが、あんがい和気あいあいとやっていることだ。特にジョン・レノンが、オノ・ヨーコをずっと横にはべらせながらも、終始ふざけて雰囲気作りをしている姿は、従来のジョンのイメージを変えるのに十分だった。

 逆に第1話で、ジョージ・ハリスンが、主にポール・マッカートニーとの軋轢から、突然スタジオを後にして、自宅に引きこもってしまう姿などは、かなり痛々しい。

『レット・イット・ビー』よりも明るいビートルズと暗いビートルズ。丁寧にレストアされた高精細な画像によって、その両面がくっきり・はっきりと伝わってくるところは、マニアにとってたまらないはずだ。

 また、こちらも『レット・イット・ビー』で端折られていた「ルーフトップ・コンサート」の42分間の映像(第3話後半)はまさに圧巻。ビートルズの演奏だけでなく、突然ビルの上から爆音が流れてきたことに対する市民や警察の反応とミックスされて、臨場感たっぷり。こちらはマニア以外でも十分楽しめるだろう。

 私の周囲のビートルズ・ファンによれば、この「ルーフトップ・コンサート」を見ることが「完走」へのモチベーションとなっているようだ。そんな期待に十分応える42分間である。

 感動したのは、第1話・第2話で、正直グダグダなリハーサルを繰り返しているにもかかわらず、ビルの屋上で「さすがビートルズ!」という感じの完璧な演奏を決めるところ。

 険悪な人間関係があったとしても、ロックンロールへの情熱の下には一致団結する音楽青年たちの姿を、私はとても清々しく感じた(厳密に言えば、「ルーフトップ・コンサート」の成功には、「5人目のビートルズ」=ビリー・プレストンの貢献がとても大きいことも、あらためて感じたのだが)。

動画配信サービスとの親和性が高いワケ

 さて、今回注目したいのは、このような「蔵出し音楽映像」と定額制動画配信サービスとの親和性である。

ビートルズ来日

 最近の動画配信サービスの進化に追い付いていない私(55歳)は、正直に白状すれば、当初「映画で公開してくれたらいいのに」と感じたものだ(事実、当初は劇場公開が予定されていた)。しかし「8耐」を「完走」してみて、その感覚は大きく変わった。

 ポイントの1つは『ゲット・バック』の持つ「長尺性」だ。そもそも、このコンテンツの価値は、「ゲット・バック・セッション」と「ルーフトップ・コンサート」を合わせた約8時間の長尺という点にある。

 これを映画用に2時間にまとめると、それは、50年以上前に公開された『レット・イット・ビー』と変わらなくなってしまう。逆に、凝縮しないと3本立て映画という大層なことになる。

 この段階で、映画での公開は簡単ではなくなる。では、動画配信サービスとDVDやブルーレイなどのパッケージ化、どちらがいいか。ここは、人によって意見が分かれるところだろう。

 ただ、私が思ったのは、約8時間という長尺になると、テレビだけでなく、PC、スマホというマルチスクリーンで見られる動画配信サービスのほうに分があるのではないかということだ。リビング、自室、ひいては移動中にもチラチラ見ながら、「完走」に少しずつ向かっていくべきコンテンツだと感じたのだ。

 ポイントの2つ目は「部分性」(チャプター性)である。ドキュメンタリーなので、普通の映画のようにストーリーがあるわけではない。なので、最初から最後まで通して見続ける必要がなく、あるパート(例えば「ルーフトップ・コンサート」)だけを、何度も「つまみ食い」できるような視聴形態が求められるということだ。

 つまりはこの視点からも、映画よりもパッケージ、ひいては、思ったときにいつでもどこでも「ルーフトップ・コンサート」が見られるような動画配信サービスが『ゲット・バック』に似つかわしいということになる。

 例えば、私自身にとっては第3話の「ルーフトップ・コンサート」の前半、『ドント・レット・ミー・ダウン』の歌い出しの3人のコーラスが良く(具体的には「1時間35分45秒」あたり)、電車の中で、スマホを使って繰り返し見た。

 あと、もう1つだけポイントを付け加えれば、それは動画配信サービスという場で映像を配信する「新規性」である。コード進行、歌詞世界、録音技法、ファッション……全方位的にイノベーションを推進した、あのビートルズのドキュメンタリーなのだから。

 以上、「長尺性」「部分性」「新規性」、すべての点において、『ゲット・バック』は、「蔵出し音楽映像市場」の未来を指し示したと考えるのだが、どうだろうか。

「蔵出し音楽映像」の可能性

 そう言えば、今年話題を呼んだ音楽映画、『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』や『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』も「蔵出し音楽映像」というカテゴリーに入るものだ。この市場への需要は、確実に高まっている。

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 ということは、カメラを回しっぱなしにした「蔵出し音楽映像」の掘り起こしが始ま(ってい)るのではないか。モントレー・ポップ・フェスティバル(1967年)、ウッドストック・フェスティバル(1969年)あたりの長尺映像に加えて、個人的には『レッド・ツェッペリン 永遠の詩』(1976年)の8時間版があれば、死ぬ前に一度は見てみたいと思う。

 最後にビートルズに話を戻せば、これから私含むビートルズ・ファンは、『ゲット・バック』をずっと見続けるために、ディズニープラスに月額990円をずっと払い続けるものだろうか。

 現実的に、私含めた多くは1~2カ月で満足してしまうと思うのだが、それでも、ディズニープラスで満足した人の多くが、「ルーフトップ・コンサート」の感動よもう一度と、パッケージが発売されたら、また買ってしまうのではないだろうか。少なくとも、私は買いそうだ。

 言わば、配信で回収し、その配信が盛り上げの呼び水となって、パッケージでまた回収のチャンスが戻ってくるという、言わば「ゲット・バック回収モデル」。ビジネスとしての「新規性」も含めて、さすがビートルズである。


スージー鈴木(すーじー すずき)Suzie Suzuki
評論家 音楽評論家・野球評論家。歌謡曲からテレビドラマ、映画や野球など数多くのコンテンツをカバーする。著書に『イントロの法則80’s』(文藝春秋)、『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)、『1984年の歌謡曲』(イースト・プレス)、『1979年の歌謡曲』『【F】を3本の弦で弾くギター超カンタン奏法』(ともに彩流社)。連載は『週刊ベースボール』「水道橋博士のメルマ旬報」「Re:minder」、東京スポーツなど。