12月11日にフジテレビ系で放送された2時間超の特番『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ』(以下、細かすぎて)で『スクールゾーン』というお笑いコンビの俵山峻が初優勝を果たした。
「『細かすぎて』は2004年から『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナーとして放送され、番組の終了に伴い特番化。阿佐ヶ谷姉妹の“玄関を開けたらいる人”など、細かすぎて周囲に伝わりづらいけれど秀逸なモノマネが披露されます」(テレビ誌編集者)
俵山は、この大会で複数のネタを披露。1度目の登場では先輩芸人『スカチャン』の2人と共に披露した“大技を決めそうで絶対決めないシブがき隊”。黄色い衣装で布川敏和役を担当し、司会を務めていたアンタッチャブルの柴田英嗣は「安定感あるなあ、この3人は」と、評価。
2度目は、ピンネタの“友達からの電話で地元の重大ニュースを知らされる地元から一生出ない女”。
「マジ!? ジャスコにひょっこりはん来るって」
のフレーズで一同大爆笑。
その後、すでに登場した芸人のネタを“おかわり”するコーナーに再びシブがき隊で登場すると、“大技を決めそうで絶対決めないシブがき隊とバックバンドのシブ楽器隊”をモノマネ。
さらに、ピンネタでも“おかわり”されると“ベリーショートの国語教師”としてクセの強い話し方の女性教師に。
デビュー時から若い女性ファンがいた
見事、勝ち進んだ決勝戦では、ピンネタの“ラーメン二郎で緊張している男”を披露。人気ラーメン店『ラーメン二郎』で店員にトッピングを尋ねられた際に、
「ニンニクマシマシアブラカラメ……」
と、早口でまくしたてる“いそう”な男に。
最後に披露した優勝ネタは、
“バイトの子を狙っているこの後すぐ潰れるイタリアン居酒屋の店長”だった。
俵山はテレビでの活躍こそ少ないが、コンビのYouTubeチャンネルの登録者数は8万人を超す。
「芸歴は11年目。デビュー当時は相方の橋本稜さんのビジュアルに定評があり、俵山さんも今より痩せていたので、若い女性ファンがいました。お笑い養成所時代からセンスにも定評があり、同期たちに“面白いのに評価されない”と思われていたそうですが、劇場に出るようになると徐々に評価も上がっていきました」(お笑いライター)
そんな俵山の『細かすぎて』優勝後、かつて俵山と関係を持ったという女性たちから、こんな声が集まってきた。
「彼がまだ芸歴2年目くらいのころで、芸人として若い女の子にキャーキャー言われて調子に乗っていただけかもしれませんが……」
と、振り返るのはAさん。俵山には、さんざん振り回されたという。
「いつも突然、呼び出されていたんです。終電間際にメッセージが来たり、“始発で来て”と早朝に電話があったり……。こっちの都合はおかまいなし。飲み会や稽古が終わった後なのか、朝8時ごろに呼ばれることも。たまに誘いを断ることもありましたが、彼はあっさりした感じでしたね。私が断っても、次に連絡する女の子がたくさんいたんだと思います(笑)」(Aさん)
多い時は一晩で5回以上
待ち合わせ場所は、いつも西武新宿駅だったそう。
「カラオケか居酒屋に行ってからラブホに行くのがいつもの流れ。俵山さんが一晩の間に複数回したがるのは当たり前で、多いときは5回以上なんてことも。なので、ほとんど眠れず翌朝そのまま仕事に行くこともありました」
それでもできる限り誘いに応じていたというAさんだが、俵山はいつもつれない態度だった。
「私から誘うと、いつも来てくれなくて。わかってはいたものの、都合よく扱われていたんだなと改めて思いました」(Aさん)
一方で、Bさんが悩まされていたと話すのは金銭面。
「たまにお金を出してくれることもありましたが、基本的には“お金ないから”というのが口ぐせ。私は当時19歳で、俵山さんが22歳。彼のほうが年上でしたが、いつも“お金ない”と言われ続けるとどうしても“私がお金を出さなきゃ”って思ってしまって、なけなしのバイト代を……」
なんともダサい一面も。
「お金を出すのは私なのに、連れていかれるのは宿泊5000円前後の安ラブホ(苦笑)。私も若かったし、彼なりに気をつかっていたのかもしれませんけどね」(Bさん)
どれだけ人気が出ても、一寸先はどうなるかわからない芸能界。スキャンダルには“細かすぎる”くらい慎重に……。