徳本一善監督×和田正人 撮影/渡邉智裕

 第98回箱根駅伝(1月2、3日)の号砲間近。初出場・駿河台大学を率いるのは徳本一善監督。'00年、レース序盤を席巻した法政大学の“オレンジエクスプレス”の立役者で、大会史上初となる茶髪&サングラス姿で箱根路を爆走。ビッグマウスもあいまって、4年時の途中棄権はあまりに劇的だった。

 そんな名物選手だった徳本監督と、大学は違えど同級生なのが和田正人。日本大学時代には主将を務め、箱根駅伝を2度走った経験は、芸能界では激レア。同じとき、同じ大会を駆け抜けた2人の対談は、全メディアを通じて初。学生時代、再会、そして'22年箱根のレース展望……ブレーキなしでお届けします!

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徳本一善(以下、徳本)「箱根駅伝の盛り上がりはすごいですね。10件以上取材を断ったけど、次から次へと来る。初めて秘書がほしいと思った」

和田正人(以下、和田)「僕との取材だったら、そりゃ断らないでしょ?同期ですから」

徳本「まあね」

和田「何げに、仕事として一緒になるのは初めてだね」

徳本「そうだね。毎年バカ騒ぎしてたけど。コロナのせいでそれも'21年はできてないしね」

和田「まあ'22年はやりたいよね。徳が箱根に戻ってきたし。ここ5、6年かな。同期会やってるのよ。大学をまたいで、長距離やってた面々と。きっかけは僕が(徳本監督の所属事務所の代表である)小林渉さん(※注1)と会ってたときに、渉さんが“これから徳と落ち合う”って言って。僕の車に、すっげー久しぶりに会う徳を乗せるっていう(笑)。『陸王』('17年)をやるちょっと前かな?」

徳本「それで同期会をやろうって流れになって。僕が“79年生まれは強制参加”ってバーッと連絡して」

和田「だって僕、陸上界にいるメンバーとほぼつながってなかったから」

ーー徳本監督は孤高のイメージがあったので、同期と仲良くしていたのは意外です。

和田「僕は昔の徳をあんまり知らないから。孤高のイメージはないなぁ。大人になった徳は社交性もあるし、よくしゃべるし。それに、後輩はけっこう可愛がってたでしょ?」

徳本「そうだね。先輩に嫌われて、後輩に好かれるっていう特性があって。坪田さん(※注2)?めちゃくちゃケンカしましたね(笑)」

和田「あはははは」

学生時代は雲の上の存在だった

ーー学生時代、お互いに面識はあったんですか?

和田「徳は高校時代からスター選手で、雲の上の存在だから。僕は大学4年でインカレに入賞するくらいのレベル。現役時代、ほとんどしゃべったことない。僕の存在すら知らなかったんじゃないかってくらい」

徳本「いや、知ってたよ。印象に残ってるのは、NECの陸上競技部が廃部になって。(前出の)小林さんから“俳優を目指している面白いのがいる。和田っていうんだけど”って話を聞いて。“日大の元エースじゃないですか!”っていう

和田「へぇ、そうだったんだ。昨日、思い出してたんだけど、徳とレースで一緒になったのって2回くらい。画像検索したら、写真出てきたよ。'01年の『関東インカレ』1万m決勝」

徳本「本当だーーー!」

和田「よく見て。この中でサングラスかけてるの、徳と僕しかいない(笑)

徳本「正人もサングラスかけてたの!?」

'01年の『関東インカレ』1万m決勝の写真をスマホで見る徳本一善監督と和田正人。懐かしそう! 撮影/渡邉智裕

箱根カムバックはサングラス&茶髪?

ーー改めて、駿河台大学の箱根駅伝初出場、おめでとうございます&おかえりなさい。

徳本「おかえりなさい、本当ですね(笑)。僕ほど箱根に縛られた人生、ないんじゃね?って思いますよ。面白いよなぁ」

和田「予選会はテンション上がったね。僕らの同期で箱根に監督として戻ってきたのは、徳が初めて。卒業して20年っていう節目に感慨深いね。さらには、監督就任10年目」

徳本「だいたいみんな5年で仕留めてるからね。10年はちょっと長いのかなとは思うね」

和田「どうなの、実際?予選会前は“今年は行ける”という感じはあった?」

徳本「行けると思っている自信のある自分と、もしダメだったらという不安。天秤にかかってるわけよ。2週間くらいずっと眠れなくて」

和田「それは珍しいね」

徳本「今までは“他大学がこぼしてくれたら何とか行けるんじゃないか”という感覚だった。今年は僕の中で、よくて9位、悪くて11位だと思ってた(※注3)。だから、発表時にみんなが泣き崩れるシーンも頭に浮かぶわけよ」

和田「なるほどね。実際、走り終わったタイミングで、だいたいイメージわかるわけじゃん?」

徳本わかる。“行ったな”っていうイメージはあった。ただ、キャプテンの阪本大貴と今井隆生(※注4)はブレーキだった。今井はマスコミに注目してもらって、フワフワしてた。どれだけ力があっても、心理的に乱れていたら本番でブレーキするのがわかるから“(本選で)使わないよ”って言ってる。今井にとってはこの12月が勝負だね」

和田「箱根駅伝の大舞台で緊張しないなんて無理だけど、背伸びせず、走れることの喜びをかみしめながら。平常心だね」

徳本「そう。本番で100の力を出すことは本当に難しい。実際、ウチの選手は全員舞い上がっていますから。“お前ら20番だぞ、浮ついてるから”って言ってますね。

 新庄(剛志)監督じゃないけど、優勝なんか目指してなくて。20番でいいですよ、ウチは。今ある目の前のことを積み重ねていくことしかできないんだから。順位が目的じゃない。ただ、ちゃんと自分たちの力を100出すために、100に近づけるために、アプローチかけるだけ。その結果に、もしかしたら順位がつくっていう価値観でやらないと。

 そして、選手たちには襷を最後まで繰り上げなくつないでもらいたい。これもハードル高いんですよ。だいたい区間14〜15位までで走らないといけないから。駒澤や青山学院の天才どもと、1〜2分差しかない。“お前ら2分差で行けるのか?”っていう話だから」

和田徳にはやっぱり金髪、サングラスで箱根に戻ってきてもらいたいけどね」

徳本「なんか、正人が僕のサングラスを作ってくれていて。楽しみもあるんだけど、怖さもある。“コレ、僕にかけさせるの!?”みたいな(笑)」

和田「もちろん、ちゃんとカッコいいのを準備してるから!」

徳本「僕のセンスが問われるから(笑)。でも髪はこのままで。今年のテーマは“自分に付加価値をつける”。ファッションブランドとコラボしたものを着込んで、大学生たちが“何あれ?カッコいい!”ってなるようなスタイルで出ますよ。箱根駅伝は規定がすごく厳しいみたいですけど。そこをどうやってやるかだから」

「パチンコは卒業してからにしてくれない?」

和田正人 撮影/渡邉智裕

和田「それにしても、もともと監督をやる気もなかったのに、不思議なものだよね」

徳本「3回断ったからね。自分が指導者をやるなんて思ってなかった。現役引退後は起業して経営者になりたかったな、と。でも“なーんか知らないけどまた戻ってきちゃったなぁ”みたいな感じで(笑)。

 今、振り返ってみると箱根駅伝は、本当に自分が成長できる場所だったんですよね。監督になってからも、本当にいろんなことがあって。選手が酒、パチンコ、タバコ、夜な夜な寮を抜け出したりとか……」

和田「これ、弱小校をのし上げた監督、全員言うよね(笑)」

徳本「そう。ウチみたいなイチから始めた大学は、普通の大学生ならよくても競技者としては素行が悪い選手が多かった。プロとして生計を立てていたり。最初は黙認、その後はお願いベース。“パチンコは卒業してからにしてれない?”って(笑)。

 4年目くらいからは“今までのことは水に流す。ただこの先は厳しくする。2回違反を見つけたら退部”って言い渡して。だんだん地域の方に駿河台大学駅伝部が頑張っていると認知されてきたから、応援されるチームになることが必要だった。だから厳しく、バランスよく選手を説得していったんだ」

和田「実際、退部になった選手もいた?」

徳本「パチンコで2人いたね。反発も来た。“監督が無能だ”って僕を引きずり降ろそうするヤツもいっぱいいたし。“いつでも辞めてやるから”って胸ぐらをつかんだことも何回もあったね(笑)」

和田「まあでも、大学駅伝では無名だった大学を、よく箱根に連れて行けるチームに成長させたよね」

優勝争いは青学vs駒澤
1区にブヌカ宣言

ーー'22年の箱根駅伝。その戦局をどう見ますか?

徳本「予選会からの出場でシード権を取りそうなのは明治と中央。駿河台としては専修、国士舘、山梨学院を目標にしたい」

和田僕は創価に注目してる。なんだか、昔の青学みたいなところがあって。要するに、トラックの記録がそんなになくても、駅伝の20キロになるとしっかり走ってくる。出雲駅伝、全日本大学駅伝に出場してないからこそ、戦力が未知数で何をしてくるかわからない面白さがある」

ーー優勝争いについては?

徳本一善監督 撮影/渡邉智裕

徳本駒澤、青学は戦力的に互角。箱根駅伝の魅力を世に広く伝えた功績を考えると、青学の復活優勝を見たい気持ちもあるかな」

和田「エースの存在力でいけば、駒澤が有利?」

徳本田澤廉選手(3年)と鈴木芽吹選手(2年)はめちゃくちゃ強い。ただ、総合的な選手層の厚さを見ると、青学が勝てる要素は十分にある」

和田全日本6区の安原太陽選手(駒澤2年)の走りが素晴らしかったから、駒澤にもまだまだ隠れた戦力はいそうだね。青学は'21年は4位だったけど、原(晋)監督は今大会のほうが自信ありそうな感じがする。

 その2校に続くのは東京国際、明治、早稲田、順天堂かな。東京五輪入賞の三浦龍司選手(順天堂2年)、個人的な願望として2区はあんまり走ってほしくないな。3区がいい」

徳本「負担になるから2区は走らせないって話だけど。3区が適任だろうね。僕だったら3区で使いたい。あと、東京国際の近年の活躍はとても気になる」

和田東京国際は2区でヴィンセント選手(3年)でぶっち切らせるのは想像できるけど、ブヌカ選手(駿河台4年)も2区?」

徳本「ブヌカは僕らの唯一のカード。今のところは1区で使おうと思ってる」

和田「1区!?かつて徳が逃げたように?面白いね」

徳本「ブヌカでかき回したいのよ」

和田「でもブヌカ選手は単独走で20キロ、ガンガン行けるの?」

徳本「あいつは行け……ないね(笑)」

和田「行けへんのかい!」

徳本「ただ、ブヌカが1区に行くかどうかで、全大学の1区のメンツはガラッと変わってくると思ってる。たとえ20番予想がついている大学でも、この1枚はデカいんですよ。あと、ウチでいったら清野太成(3年)と永井竜二(3年)はイケメンだから注目してやってください

和田「イケメン枠だったら、東京国際の丹所健選手(3年)もモテそうだよね」

徳本「いや、僕は丹所選手よりイケメンだと思ってる」

和田「さすが、選手への愛があるね(笑)」

徳本「(笑)」

和田「僕らの代表である徳が率いる駿河台、応援してますよ。そして箱根が終わったら、徳の監督初陣を同期のみんなで労います!」

徳本「ありがとう!(笑)」

和田正人

 '79年8月25日生まれ。日本大学卒業。2年時(第76回大会、'00年)は9区区間9位。主将を務めた4年時(第78回大会、'02年)は9区区間5位。NEC陸上競技部をへて、俳優として活躍中。'17年より『NHKラジオ箱根駅伝』のゲスト解説を務めている

徳本一善監督

 '79年6月22日生まれ。法政大学卒業。1年時(第75回大会、'99年)は1区10位。2年時(第76回大会、'00年)は1区区間賞。3年時(第77回大会、'01年)は2区2位(日本人トップ)。4年時(第78回大会、'02年)は2区途中棄権。日清食品グループ、モンテローザをへて、'12年より駿河台大学駅伝部監督

【注1】中央大学の選手として箱根駅伝に2度出場。ロンドン五輪では藤原新選手の専任コーチ。アスリートを中心に所属する事務所『クロスブレイス』代表取締役。

【注2】法政大学時代、徳本監督とともに“オレンジエクスプレス”を巻き起こした。現在は法政大学陸上部駅伝監督。

【注3】予選会の上位10チームが本選に出場できる。

【注4】駿河台大学4年生。31歳。自己啓発等休業制度を利用し、中学校体育教師を2年間限定で休職中。