それはあまりに突然で、あまりに若すぎる死だった。
18日、女優の神田沙也加さんが札幌市内のホテルで倒れているのが見つかり、搬送先の病院で亡くなった。35歳だった。札幌には主演ミュージカルの公演で訪れていた。
「沙也加さんは、22階建てホテルの14階にある屋外スペースで倒れていたところを発見されました。前日の17日から18日にかけて、札幌は記録的な大雪でした。沙也加さんが倒れていた屋外スペースには30センチほどの積雪があり、沙也加さんの上にも雪が積もっていたそうです」(スポーツ紙記者、以下同)
20日、札幌中央署は司法解剖の結果、死因は外傷性ショックと発表した。ホテルの安全管理上の問題はなく、同署は沙也加さんが自殺を図り、高層階の自室窓から転落したとみている。
最期に話した相手は
「亡くなられた18日の午前10時に、父親である俳優の神田正輝さんに電話をしていたと一部メディアで報じられています。沙也加さんから正輝さんの誕生日の前祝いの電話だったとしています」
最期に話した相手は父だったのか。
「亡くなる前に電話をしていたという報道には、“聖子さんとは話さなかったんだ”の声が少なからず上がりました。それはこれまで幾度となく沙也加さんと母である松田聖子さんの間で“不仲節”が取り沙汰されてきたからでしょう。どれも憶測の域を出ていないようなものばかりなのですが」
「沙也加さんを出産されたときは、それはもう本当に幸せそうでしたよ」
そう話すのは、当時を知るレコード会社関係者。
「本当に幸せな親子だった」
沙也加さんが生まれた頃、母・聖子はアイドルとして絶頂期にあった。それゆえに……。
「聖子さんが所属していたレコード会社のスタッフに上層部から1つの重大な通達がありました。内容は、出産のため聖子さんが入院している病院に行き、交代で24時間の警備をすることです」(レコード会社関係者、以下同)
沙也加さんの誕生は'86年10月のこと。'80年代はマスコミ報道が加熱した時代だ。ワイドショー番組が高視聴率を記録し、“どこにでも誰にでも”押しかけるほどの機動力を見せた。写真週刊誌も登場。ときは“コンプライアンス”などという言葉は存在しない時代。激しいスクープ合戦が巻き起こり、それは取材対象者へのプライバシー侵害などの問題を引き起こしていた。
「週刊誌などのマスコミの連中があの手この手を使って絶対に写真を撮りに来るから、それを防ぐことが警備の役目でした。期間は出産入院から退院まで。“あいつらは医師の格好をしたり変装してくる可能性もあるから”と伝えられ、とにかく病室に近づく人は全員怪しむというレベルでの警備だったそうです」
数名のスタッフがその役目を受け、聖子の病室の前に椅子を置き、交代交代で見張りを行ったという。
「神田正輝さんもスタッフに頭を下げ、妻の守りをお願いしたそうです。沙也加さんの誕生はそんな厳戒態勢の中でした。出産後、聖子さんから “警備ありがとうございました”とお礼の品として靴下と差し入れが贈られたそうです」
このときから35年――。
「当時警備にあたり、“中”から見ていたスタッフから、出産当時本当に幸せな親子だったと聞きます。こんな未来が待っていたなんて……」
21日、沙也加さんは札幌市内で荼毘に付された。遺骨は父が抱え、位牌は母に抱えられた。取材に対応した聖子は「皆さん寒い中、申し訳ございません。ありがとうございました」と深々と頭を下げた。
“3人”で揃うのはいつぶりのことだったのだろうか……。