納棺師という仕事をご存じでしょうか――。亡くなった方の着せ替えやお化粧をし、生前のお姿に近づけていく仕事です。その仕事内容については納棺師の大森あきこさんのエピソードをこちらの記事「喪主なのにずっと笑顔、女性と4歳娘の悲しい理由」「亡きお母さんの「におい」探す子へ納棺師の提案」でもご紹介しました。
実は大森さん、38歳のときに営業職から納棺師に転職しました。「今では生と死は、カードの表と裏のように、いつひっくり返るかわからないものだと感じていますが、納棺師になる前の私にとって死はとても遠い存在でした」と振り返ります。ご自身のお父さまの余命をお母さまから聞いたとき、目の前まで近づいてきているお父さまの死を、わざと見ないようにしていたそう。「死は必ず訪れるものなのに、大切な人とのお別れの仕方を誰も教えてくれませんでした」と言います。
近年、葬儀は簡略化の傾向にありますが、4000人以上のお別れをお手伝いしてきた大森さんは、自身の経験から「残された人がこの先を生きていくために必要な儀式だと思うのです」と言います。それはいったいなぜでしょうか。大森さんの著書『最後に「ありがとう」と言えたなら』より一部抜粋し再構成のうえ、いつかはやってくる大切な人との最後をどのように過ごせばいいのか、そのヒントを探ります。
生きていた意味を探す
納棺式というお別れの場で、ご遺族は亡くなった方に声をかけます。まるで生きている人に話しかけるように。大切な人を失ったご遺族の中では、故人が、納棺式という短い時間の中で生と死の間を何度も行ったり来たりしているのです。
納棺式でご遺族は、故人が生きていた頃の思い出のかけらを見つけ、つながりを感じ、その人の生きていた意味を探そうとします。
畳屋さんのお父さんの納棺式では、突然亡くなったお父さんに、ご遺族はなかなか近づけませんでした。ご遺族の中にはご遺体になった途端、近寄りがたさを感じてしまう方もいるようです。そんな方も納棺師の私たちが清拭やお着せ替えでご遺体に触れるのを見ていると安心するのか、ご遺体に近づいてくださいます。
着せ替えをしようとお身体を拭いていた私は、お父さんの指が黒く、固いことに気づきました。
「長年たくさんの畳を作ってきた証しですね」
思わずそうつぶやくと、私の手元を見ていたご遺族も、やっとそばにきました。
「ほんとに真っ黒な手」
「手が荒れるから軍手を着けたらと何度も言ったのに……」
「この指はお兄ちゃんの指と似ているよね」
「冷たいけどお父さんの手だね」
代わる代わる、その指に触れようとご遺族が近づいてきます。そして、まるで生きているかのように触れて話しかけるのです。ご遺族の話す故人は生きていたり、亡くなっていたりします。そうして、少しずつ死という受け入れがたい事実に、折り合いをつけているように感じます。
心の整理をするお別れの時間は簡略化できない
今の時代、多くの方は「死」という出来事を遠ざけてきたためか、大切な人とのお別れの仕方を知らないように感じます。
人生の節目のお別れの場面には必ずセレモニーがあります。卒業式では一緒に過ごした友達や先生との別れを惜しんで、寄せ書きや連絡先の交換をし、写真もいっぱい撮るでしょう。好きな人の制服のボタンをもらったり(最近はしないのかな……?)、式の中では送辞や答辞を贈り合い、卒業証書を受け取りました。そうやって私たちは、次の世界へのスタートラインに立つための心の整理をしてきました。
結婚式もある意味、お別れの儀式であるといえるかもしれません。両親や兄弟、友達に、これからこの人と新しい人生と家族を作っていくという宣言です。親友の結婚式に出席するとなんとなくさみしい気持ちになるのは、別世界へ旅立つ友達とのお別れの儀式だからかもしれません。
そんな中、葬儀は簡略化の傾向にありますが、残された人がこの先を生きていくために必要な儀式だと思うのです。
葬儀をしなくていいという人に理由を尋ねると、「残された人に迷惑をかけたくない」「葬儀にお金をかけたくない」という声をよく聞きます。でも、このふたつの思いと「お別れの時間を持つ」ことは別物ではないか。大切な人がいなくなったとき、心の整理をするお別れの時間は簡略化できないものだと思うのです。
ある納棺式にうかがったとき、枕元にアルバムが飾ってありました。亡くなった方のメモリアルコーナーに、その方の写真が飾ってあることはよくあります。ところがそのときは、枕元に飾ってあるアルバムにあったのは、喪主になる息子さんの写真ばかりでした。そして写真にはたくさんのメッセージが添えられています。どうやら亡くなったお母さんが作ったようです。
「すごい! お母さんの思いが詰まったアルバムですね」つい出てしまった私の言葉に、「母はいつもビックリすることを思いつくんです」と笑いながら、20代の息子さんが、お母さんにもらった「課題」のことを話してくれました。
がんで亡くなった50歳のお母さんはシングルマザーでした。自分が亡くなったとき、息子さんの父親に自分の死を知らせることを課題として残しました。息子の成長を知らない父親に、このアルバムを届けて、と話していたそうです。
「……すごい母親でしょ」
彼は泣き笑いのような表情で、そう言いました。
本当にすごいお母さんです。きっとこの課題をクリアすることが、息子さんの心の整理に必要だと感じていたのでしょう。
自分が病気と闘いながら、亡くなった後に残される人のことまで、私は考えられるだろうか?
亡くなった人の存在をその場で確かに感じる
亡くなった人はどこに行くのか? 天国なのか? ほかの場所なのか? それとも「無」なのか? 死に関わる仕事をしていても、その答えはわかりそうにありません。しかし、霊能力のまったくない私でも、納棺式という時間の中でご遺族のお見送りのお手伝いをしていると、亡くなった人の存在をその場で確かに感じるのです。
私は父が大好きでしたが、結婚して地元から離れると、なかなか会いに行くことができませんでした。だから父が亡くなったとき、以前より父がそばにいるような気がして、少し不思議でした。
自分が死んでからのこともよくわかりません。けれど、私を思ってくれる人がいるうちは、その人の中できっと、生き続けているのだと思います。
人は死んだらどこに行くのか──それを考えるとき、私の中でこんな映像が浮かびます。ひとつの命が、花火のようにパッと散ってたくさんのかけらになり、自分を思ってくれる人の中に飛び込んでいく。そのかけらを受け入れてくれた人の心は初めのうちはズキズキ痛むけれど、かけらは時間とともに溶けてその人の一部になっていく。
多くの死とお別れを見ながら、そんなことを考えています。
大森 あきこ(おおもり あきこ)Akiko Omori
納棺師 1970年生まれ。38歳の時に営業職から納棺師に転職。延べ4000人以上の亡くなった方のお見送りのお手伝いをする。(株)ジーエスアイでグリーフサポートを学び、(社)グリーフサポート研究所の認定資格を取得。納棺師の会社・NK東日本(株)で新人育成を担当。「おくりびとアカデミー」、「介護美容研究所」の外部講師。夫、息子2人の4人家族。