※写真はイメージです

 先日、3人の死刑執行が発表された。岸田内閣のもとでは初となる。死刑について、「死刑囚の母」は何を思うのだろう。凶悪事件も含め、2000件以上の殺人事件の加害者家族を支援してきたNPO法人『World Open Heart』理事長・阿部恭子さんが、賛成派・反対派、それぞれの母の思いを伝える。

ある日突然、息子が家族3人を殺害

 21日、法務省は3人の死刑囚の死刑を執行したと発表。2019年12月以来、2年ぶりの執行となったが、この報道に衝撃を受け、胸を痛めている女性がいる。

 死刑囚の母親である。

「執行のニュースが流れる度、息子じゃないかと緊張が走ります……」

 文子(仮名・60代)の息子・聡(仮名・30代)は、同居していた義母と妻子を殺害し、裁判員裁判で死刑判決が言い渡されていた。文子と家族は、死刑囚となった息子と10年以上面会を続けている。

「まさか、あの子が手の届かないところに行ってしまうなんて。幼いころを思い出すとまったく想像もできませんでした」

 聡は前科・前歴もなく、剣道一筋の真面目な青年だった。聡が起こした事件に驚いていたのは家族だけではない。自衛隊員を経て、当時は土木作業員として勤務しており、勤務態度も良好で職場でも評判がよかった。

「聡君は理由なく人を殺すような人ではありません。何か事情があったに違いないとは思っていました」

 聡の同級生はそう話す。

 これだけ大きな事件が起きれば、加害者家族は地域で生活を続けることが難しくなり、転居を余儀なくされるケースがほとんどである。ところが、聡が生まれた地元の人々は、一家を支え、温かく見守ってきた。

 聡の人柄、親子関係、そして次第に明らかになっていった、あまりにも惨い事件背景も、地域の人々の心を動かしたのだろう。

何が息子を駆り立てたのか

 事件当時、聡は実家を離れ、妻と生まれたばかりの子どもと義母と4人で同居していた。聡はすぐに、支配的な義母との関係に悩まされるようになった。

 家庭では誰も、義母が決めたルールに逆らうことはできなかった。長時間の肉体労働でクタクタになって帰宅しても、義母より先に風呂に入ることはできず、食事も残っていなかった。

「若いのに寝るな!」

 そう言って、睡眠を妨害されることもあった。

 文子が聡を訪ねたとき、義母や妻が立派な服装をしているにもかかわらず、息子はボロボロの服を着ていた姿に驚いたことがあった。文子は、息子の給料だけでは生活が苦しいのではないかと心配し、現金やコメを仕送りしていた。

 ところが、生活に余裕がないはずの聡は、妻が喜ぶと高級車を購入するなど明らかに無理をしていた。アルバイトも始め、しばらくすれば妻も働くとローンを組んだが、家計の収入は増えず、借金は膨らむ一方だった。

 義母や妻の機嫌を取ろうとどれだけ努めても、義母からの暴言・暴力は止むことがなかった。そしてある日、穏やかだった息子の理性は崩壊してしまう。

「おまえの家族は何もしてくれない!」

 聡は義母から殴られると同時に、身の回りを侮辱する言葉を浴びせられ、犯行に及んだのだ。

「どうしてうちの子が……。正直、ずっと悩み続けてきました。他の子と比べても、特別なところはなかったはずなのに」

死刑囚となった聡(仮名)による作品。何を思いながら描いたのだろう

 若く未熟だった聡は事件後、さまざまな専門家や支援者との交流を経て改悛の情を深めてきた。

 絵を描く趣味があったわけではないが、拘置所でできることは限られていることから、償いとして故郷の絵を描き続けてきた。支援者たちがその絵を基にカレンダーや団扇等を製作して販売し、売上金を遺族に送り続けてきた。

 裁判員裁判で被害者家族として参加した遺族は、判決後、支援者や加害者家族との交流を経て、死刑判決に対する考えに変化が生じ、上告では死刑を支持しない上申書を提出したが、上告は棄却されている。

 聡と家族を支える会には多くの人々が参加しており、死刑執行のニュースを聞く度に拘置所にいる聡に思いを馳せ、家族の不安に寄り添ってきた。

「身近な人が死刑囚になって、死刑は残酷な制度だと考えるようになりました。家族だけでなく、聡君を支えていた多くの人々が絶望のどん底に突き落とされるでしょう」

 支援者のひとりはそう話す。文子も言葉を漏らす。

「いつか息子の番が来るのかと思うと……。苦しいです」

 家族と支援者は、再審請求を続けている。

死刑を望む母

 一方で、殺人を犯した我が子に対し、死刑を持って償うしかないと考える母親もいる。

 雅代(仮名・80代)の長男・武志は、死刑の執行によってこの世を去っている。雅代は武志が生まれて間もなく、暴力を振るう夫と離婚し、ひとりで3人の子どもを育ててきた。

 武志は幼いころから喧嘩や盗みばかりして警察の世話になることが多かった。暴力団と付き合うようになってから、家には寄り付かなくなっていたが、雅代は他のきょうだいの人生に影響が出ないようきょうだいを遠方に移住させた。

 武志は敵対する暴力団との抗争により何度も逮捕され、刑務所を出たり入ったりしていた。雅代はニュースで事件の情報を得ていたが、これまでは武志から雅代に連絡が来ることはなかった。ところがある日、拘置所にいる武志から手紙が届き、武志が殺人を犯し、死刑判決が下されたという事実を知らされた。

「俺は仲間に裏切られたんだ。死刑なんてありえない。裁判をやり直すのに協力してくれ」

 武志は焦ったように何度も手紙を送ってきた。雅代がようやく面会に行くと、

「遅いぞ何やってんだよ! 500万用意して〇〇弁護士に連絡してくれ。早く!」

 そう言い残して武志は去っていった。

 清掃の仕事をしてなんとかひとり生活している雅代に、大金など用意できるわけがなかった。

「早く弁護士見つけてこい、クソババア!」

 面会に行かない雅代に、武志は罵詈雑言が並んだ手紙を何通も送ってきた。しばらくして、雅代は武志の弁護士から連絡を受け、死刑に反対する活動に協力を求められたのだという。

「私も死刑になりたいと言いました。この生き地獄から救ってほしい。武志に人生を狂わされた人がどれだけいることか、それを考えると、死刑では生ぬるいくらいです」

 武志が事件を起こしたころは加害者家族支援団体もなく、雅代は完全に社会から孤立して生きてきた。藁にもすがる思いで入信した宗教団体に騙され、借金を背負わされたこともあった。

 死刑執行後の心境を、雅代はこう振り返る。

「死刑の知らせを聞いて、胸を撫で下ろしたのを覚えています。無期懲役だったら、私が死んだあと、他の子どもたちに迷惑がかかるからです」
 
 今回、3人の死刑執行がされた。もし、死刑囚の家族になったとしたら死刑を望むだろうかーー。殺人事件の半数が家族間で起きている日本において、一度は考えてみるべきではないだろうか。 

阿部恭子(あべ・きょうこ)
 NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、『息子が人を殺しました―加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017)、『家族間殺人』(幻冬舎新書、2021)など。