かつて母・松田聖子の腕に抱かれた生まれたばかりの赤ちゃんは、'21年12月21日、父・神田正輝の腕に大事そうに抱かれていた。小さな骨壺に入って─。
「しばらくの間、そっとしておいていただけたら、ありがたいと思います」
父親の正輝はこみ上げる感情を押し殺し、ゆっくりと言葉を継いだ。
突然の神田沙也加さんの訃報に、誰もが言葉を失った。そんな彼女の歩んだ半生を振り返ると、母の背中と心に秘めた孤独が浮かび上がって。
昭和から現在まで、トップアイドルとして活躍を続ける聖子と人気俳優の正輝が'85年に結婚。翌年10月に沙也加さんが誕生した。
小学校の行事に聖子は姿を見せず
「病院を退院する聖子さんと正輝さんが取材に応じたのですが、ふたりの子どもをひと目でも見ようとマスコミだけでなくファンも大勢押しかけるほどの騒ぎに。聖子さんは腕に抱く娘の顔を、愛おしそう見つめていました。本当に幸せそうでしたよ」(ワイドショーデスク)
結婚生活も順風満帆で、すくすくと育った沙也加さん。活発な女の子だったという。
「“カミさんの歌やマイケル・ジャクソン、マドンナの曲をかけて踊るんだよ”と正輝さんはうれしそうに娘の成長について語っていました。夫婦で子ども服を買いに行って“これが可愛いんじゃないか?”なんて話すこともあったそうです」(女性誌編集者)
ごくごく普通の家族の姿だが、沙也加さんは幼いころから寂しさを抱えてきた一面も。
「沙也加ちゃんが通う小学校の行事では、あまりご両親の姿をお見かけしなくて。沙也加ちゃんの面倒を主に見ていたのは、聖子さんのお母さん。仕事が忙しかったでしょうからしょうがないのですが、同じくお子さんが通う森昌子さんや森進一さん、宍戸錠さんなんかは来ていたの。対照的だな……とは思いました」(同級生の保護者)
聖子は出産した'86年に紅白で復帰し、'87年には全国ツアーを開催。歌手として高みを目指そうと、幼い娘を残して渡米するなど“松田聖子”として忙しく働き続けた。
「夏休みには長野県の別荘に、家族でよく来ていました。聖子さんは仕事を終えて事務所の車で夜遅くに来るのですが、次の日の朝には再び車に乗って仕事へ行ってしまうんです。沙也加ちゃんも寂しかったと思いますよ。
お母さんの車を見送る姿が切なくて……。遠ざかる車を、泣くわけでもなく、じっと見つめているんです。聖子さんも、少しでも娘と過ごそうと思ってのことだったのでしょうが……」(近隣に別荘を持っていた人)
下着を盗まれ、布団も濡らされ
それでも、大スターである母親のことが誇らしかった。
聖子は過去の雑誌インタビューで、沙也加さんの様子についてこう語っている。
《私が歌番組に出てると、必ず娘は見ているから、「今日はドレスがとてもかわいかったわ」とか、「今日は歌にちょっと元気がなかったみたいよ、どうしたの」って(笑)》
テレビに映る、母の姿に、目を輝かせていた娘。しかし、'97年に両親が離婚。
「聖子さんはアメリカで近藤真彦さんとの密会や英会話教師との不倫疑惑が報じられ、バックダンサーの男性とは、聖子さんが訴えられる“逆セクハラ”裁判に発展した。離婚した1年4か月後に聖子さんは、6歳下の歯科医師と“ビビビ婚”をします。流行語にもなりましたよね」(スポーツ紙記者)
このころ、沙也加さんは中学生に。全寮制の中学へ進学したが、そこでは壮絶ないじめが待っていた。
「著書で明かしていますが、下着を盗まれたり、布団を濡らされたことも。聖子さんは不倫疑惑が報じられ、再婚相手とも2年足らずで離婚するなどゴタゴタしていました。周囲に頼れる人がおらず、つらかったと思いますよ」(前出・ワイドショーデスク)
思春期に入り、より孤独を深めていった沙也加さんだったが、'01年にCM出演を果たし、14歳で芸能活動をスタート。少しずつ才能を開花させていく。
'02年に歌手デビューをし、'03年には映画出演で本格的に女優としての活動を始めた。'04年には舞台『INTO THE WOODS』に出演して、存在感を示した。私生活では恋愛を経験するが。
「年上のバンドマンと交際をスタートさせていましたが、これに聖子さんが大反対。沙也加さんは“お母さんは自由にやってるのに!”と反発し、家を出ることを決めたのです」(芸能プロ関係者)
飲食店のアルバイトで生計を立てるも、恋人とは破局。“ママ”と慕う大地真央に誘われ、1年半の休業を経て舞台での復帰を果たした。
“聖子の娘”の孤独と葛藤
「台本にはビッシリとセリフの解釈を書き込んでいましたよ。“聖子の娘”と言われる重圧もあったと思います。舞台の稽古中も一生懸命なんですが、自分を痛めつけるように追い込んでいくんです。見ていて心配になるぐらいでした」(舞台関係者)
舞台での経験を積み、'14年には映画『アナと雪の女王』でブレイク。しかし、母・聖子とは溝を深めていく。
「'11年には紅白でデュエットを披露しましたが、近年の取材では“母親の話はNG”とお達しが出るほど。'17年には舞台俳優の村田充さんと結婚しますが、聖子さんにはなんの報告もなかったそうです」(前出・スポーツ紙記者)
結婚式に出席したのは正輝だけで聖子からはコメントもなし。新婚生活ではペアルックを着て、幸せそうな沙也加さんの姿を見ることができたが、長くは続かなかった。
「'19年12月に当時ジャニーズJr.だった秋山大河さんとの不倫疑惑が報じられましたが、沙也加さんは同年の夏に離婚していたことを発表。不倫ではないと主張したのです。その後も秋山さんと交際を続けていたようですが、ほどなくして別れたと聞いています」(前出・ワイドショーデスク)
寂しい幼少期を過ごすも、母の背中を見て育ってきた。そんな母と距離ができ、やっと愛情を独り占めできる相手ができたと思ったら、再び1人になってしまった。
亡くなる直前まで交際していた相手とのトラブルも報じられているが、沙也加さんは“聖子の娘”として生まれたことで、多くの注目を集める一方、消えない孤独と葛藤していたのかもしれない。
霊柩車の助手席から、しんしんと降る雪を見て、聖子は何を思っていたのか─。