相次ぐ無差別刺傷事件。1月15日、大学入学共通テストの初日には、東京大学前の路上で、高校2年生の“エリート学生”が、受験生などを襲撃するという前代未聞の事件が起きた。何が彼を犯行に駆り立てたのか。殺人事件も含め、2000件以上の加害者家族を支援してきたNPO法人『World Open Heart』理事長・阿部恭子さんが、同様のケースから再発防止について考える。
背景に見える孤独と劣等感
1月15日、17歳の少年が東大前の路上で3人を刺して殺人未遂の容疑で現行犯逮捕された。無差別に人を攻撃する犯罪被害は、負傷した人々だけではなく、その場に居合わせた人など多くの人を恐怖に陥れ、心にも深い傷を与える。これから受験生を会場に送り出す親たちも不安でならないであろう。犯罪に巻き込まれた人々のケアと各所での防犯体制の構築が急務である。
昨年8月の小田急線刺傷事件、10月の京王線刺傷事件など無差別刺傷事件が相次いでいる。筆者が過去に加害者家族支援を行なったケースでは、今回の事件で報じられているようなエリート学生が起こした凶行も少なくない。その加害者の供述から伝わるのは「深い孤独」と「劣等感」。再発防止には何が必要か、過去の事例から考えてみたい。
逃れられない「格付け」による劣等感
「中学まで上位カーストだったのが、高校に入って最下位になりました。精神的ダメージを考えたら、第二志望の高校に入ったほうがよかったのかもしれません。ずっと成績がすべてだったので」
隆志(仮名・当時19歳)は、酒に酔った状態で母校の高校付近で暴れていたところ、取り押さえようとした通行人や警察官を所持していた刃物で切りつけ、殺人未遂等の容疑で逮捕された。
当時、隆志は大学受験に失敗し、浪人中だった。隆志の家族は教師の家系で祖父母も両親も教師。だが、祖父母や両親は、子どもたちに勉強を強いることはなかったという。
「高学歴は望んでません。ただ、親戚もみな、大卒なんです。だから、どこでも構わないから大学だけは出てほしいという気持ちはありました」(隆志の家族)
隆志は小学生のころから成績がよく、中学生までは常に上位。同級生が塾に通うなか、一度も塾に通うことなく、高校は県内トップの進学校に合格した。
優秀な生徒が集まるだけに、入学後の最初の試験では中位だった。その後もマイペースに勉強を続けていたが、高校2年生の夏休み明けの試験は最下位となってしまう。周りの生徒は夏休み中も塾に通い、受験勉強を始めていたのだ。
さらに、隆志は志望校も定まっておらず、完全に取り残されていく。次第に友人たちと話が合わなくなり、不登校になった。出席日数ギリギリで高校を卒業したが、受験した大学はすべて不合格だった。
友達もなく相談相手もいない孤独な浪人生活で、成績は伸びず、2度目の受験もすべて不合格に終わってしまった。
「大卒じゃなければ人間じゃないくらいに考えていたので、死のうと思って深酒したんです。犯行のときの刃物は、自分を殺すために持っていました」
隆志は酒に酔っていて、犯行当時の記憶が定かではないという。なぜ、高校に向かったのか。
「高校の同窓会のハガキが届いていたんです。それを見て怒りが込み上げてきたのは覚えています。どうせ成功を自慢したい奴らが集まるんだ。乗り込んでいって滅茶苦茶にしてやりたいと思いました」
隆志を取り押さえてケガをした人々も両親と日常的に付き合いのある人々で、就職活動中だった姉は、しばらく自宅を出られなくなり、一家は転居を余儀なくされた。教師をしていた両親は、ふたりとも定年前に辞職する事態となった。隆志の母親は、当時を振り返る。
「恥かしくて、申し訳なくて。本当に何度も一家心中を考えました。でも泣きながら謝り続ける隆志の姿を見ているうちに、親の責任を果たすためにも一緒に頑張らなくちゃいけないと思えるようになっていきました」
隆志はその後、難関の資格試験に合格し、10年後には自ら会社を立ち上げている。何が転機となったのか。
「自分のせいで親が仕事を辞めたので、とにかく働かなければならなくなりました。いろんなアルバイトを経験するうちに、お金を稼ぐ楽しさを覚えるようになったんです。同世代だけじゃなく、いろんな人との出会いによって価値観が変わりました」
どこの高校に入るかで男の一生が決まる
雅也(仮名・当時17歳)は、通学していた高校の部活動で使用している部屋の窓ガラスを割り、火のついた紙を投げ入れ、放火未遂などで逮捕された。窓ガラスの割れる音で人が駆けつけ、雅也は取り押さえられ、火は着火せずに済んだ。
背景に追ってみると、雅也は当時、県内トップの進学校を目指して受験したが失敗し、滑り止めの高校に入学していたことがわかった。
「父親はどこの高校に入るかで男の一生が決まると言ってました。〇〇高校の同窓会とか、大人になっても影響するからと。第一志望に落ちた瞬間、負け組だと思いました」
第二志望の高校では学年トップの成績で、同級生を見下していたという。中学校ではリーダータイプだった雅也は、高校でも学級委員や生徒会役員に立候補するが落選。成績が良ければ人望を得られるわけではないことに、雅也は気が付かなかったという。
居場所がないと感じるようになった雅也は、次第に学校に行かなくなった。
「友達がひとりもいなくて、家族以外と話をしない毎日に、気が狂いそうになっていました」
そして、学年末に荷物を取りに行くために登校した際、事件を起こしたのだ。
事件後、雅也は高校退学となる。だが、その後は大学検定を取得し、大学入学を果たした。大学を卒業したあとは順調に就職し、現在は家庭を持つに至っている。人生をやり直す転機を聞いてみると、雅也はこう答えた。
「家族と友人の支えです」
事件を知った高校のクラスメートたちが、事件後、雅也の家を訪ねて来てくれたのだという。
「自分を友達だと思ってくれてる人がいたことに気づかされ、本当に自分の愚かさを痛感しました」
悩みを他者と共有できるかどうか
どうしても他者の評価に敏感になる思春期、狭いコミュニティの中での格付けに囚われ、劣等感から自傷や他害に及ぶケースもある。
隆志も雅也も勉強ができ、ルールを守る子どもだったことから、親たちに「育てにくさ」はなかったという。ところが大人に近づくに連れ対人関係が上手くいかず、問題行動が出始める。こうしたケースは、昨今、支援現場で多いと感じている。
ふたりとも順調に更生したのは、家族の力が大きい。しかし、家庭は更生の場として機能したが、事件を食い止める歯止めにはならなかった。こうした事件を防ぐには、家族だけでは限界がある。
狭いコミュニティの価値観を絶対視しないためには、家庭と学校だけではなく、さまざまな人との関わりが必要である。ふたりの偏った価値観が修正されたのは、人との関わりだったと証言している。
学歴社会は崩壊したと言われる一方、学歴社会で育った世代が子育てをしており、未だに根強い学歴信仰を持つ人々も少なくはないと感じる。
しかし、超高学歴の犯罪者も見てきた経験から言えることは、勉強ができても人としてあまりに未熟ならば、社会で生きていくことはできないのだ。悩みを他者と共有することも身に着けるべき問題解決能力のひとつであり、「生きる力」の育成は今後の公教育の課題ではないだろうか。
阿部恭子(あべ・きょうこ)
NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、『息子が人を殺しました―加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017)、『家族間殺人』(幻冬舎新書、2021)など。