創立以来、“自由の学風”を理念に掲げている京都大学。同大の『保健診療所』が突然、診療を終了することが大学側から通達された。京大の保健診療所は、京大の学生や職員が診察を受けられる医療機関。内科と神経科(ほかの医療機関における精神科や心療内科に相当)の2つの診療科があり、診察後は院内処方を受け取ることができる。
「学生や非常勤職員は相談や診察は無料。保険証は不要で受診できます」
そう話すのは、『京大保健診療所の存続を求める会』の駒形広恵さん(仮名)。同会は廃止決定に反対し、診療所の存続を求めている。駒形さんとともに同会で活動する三浦佑哉さん(仮名)は、体調を崩した際、神経科を受診した。
「話を聞いてもらい、双極性障害、いわゆる躁うつの可能性があると診断されました。自分の症状に名前がつく、病名があるというだけですごく精神的に楽になりましたし、対処法を教えてもらいました。これがあったからこそ、今何とかギリギリ生きていけると思いますし、保健診療所にはとても感謝しています」
薬の処方も可能
学外にも精神科はあるが、保健診療所でなくては回復には至らなかったと三浦さんは話す。
「いちばん落ち込んでいる精神状態のときに、外部の病院に行くというのは、非常にハードルが高かったです。当時の私には予約をとることすらできなかったと思います。保健診療所があったから、今の自分があると思います」
保健診療所のメリットについてはほかにも。
「学内に医療機関が存在することで、民間の医療機関を探す心理的な労力も大幅に軽減され、足を運びやすくなります。大きい内科の病院に行かなくては受けられない予防接種を、学内で受けることができますし、薬の処方も可能なため、カウンセリングのみでは限界がある症状にも対処することができました。また短期留学生や家庭の事情で保険証を持てない学生にとって、安価な自己負担で受診できる、ほぼ唯一の手段です」(駒形さん)
また、外部の大きな病院を受けるために必要な紹介状を書いてもらえるというのも保健診療所がある大きなメリットだという。前出の三浦さんが受診した神経科についても、
「学外の精神科や心療内科の多くは予約が取りにくい。保健診療所は予約不要でいつでも受診することができました。また精神科というもの自体、ハードルが高いものかと思いますが、ほかにも保健診療所に通っている学生がいるという情報があるだけで、受診の心理的ハードルが下がります」(駒形さん)
集まった署名と大学の“回答”
京大大学院を卒業した雨宮愛さんも在学中に保健診療所を利用した1人だ。彼女は在学中、ネットの京大に関する掲示板などで容姿に対する罵詈雑言など多くの誹謗中傷を受けていたという。
「SNSで反論していたのですが、それに対し、“京大のブランド価値を下げている”などと言われ、教授や大学院の院長に呼び出されました。心配した教授に受診をすすめられ、保健診療所を受診しました。そこで医師に何も問題はないと診断してもらったことがすごく大きかった。教授も、保健診療所にて医師のお墨付きを得たことに安心したのか態度が軟化し、ネットでの誹謗中傷問題解決に向けた話し合いの席でも、円満に協議が進むようになりました。外部の診断だったら信頼されていなかったと思います」
廃止の通達は昨年12月1日。『存続を求める会』は、6日に存続を求める要求書とその時点で1100筆が集まった署名を大学側に提出した(署名は現在、約4400筆)。7日にも見直しを求める要請を総長あてに送付。大学側からの返答は一切なかったが、8日に保健診療所について追加の通達がなされた。“1日の廃止通知にはなかった”廃止理由がはじめて加えられた。利用者の減少だ。
「利用者が減少しているといいますが、そもそもコロナによって大学に通っている学生が少なくなっているという状況があります」(駒形さん)
大学側は、“メンタルの不調でカウンセリングルームを訪れる学生は増加”ということも廃止理由に挙げている。
「カウンセリングルームで診るのはあくまでカウンセラーの方です。保健診療所は医師免許を持った京大の教授が診察をしてくれるので、全然意味が違うと考えます。もちろんカウンセラーさんもありがたい存在ではありますが」(前出・三浦さん)
保健診療所は『健康管理室』と名前を変えた施設となると通知されている。代替施設になりえないのか。
「保健診療所は100年の歴史があり、先輩方の努力の賜物で充実した設備のある施設。長い時間をかけて学生や職員のニーズに合うように育てられてきたものです。それが今回の診療の終了で、保健管理施設としておそらく法律の最低限のレベルまで落とされると予想されます」(駒形さん)
「学生の意見を聞くことはないだろう」の無力感
廃止の件を知らなかったのは学生だけではない。京大職員にも話を聞いた。
「そもそもこの計画が、現場で働く医師やカウンセラーから出たものではなく、そういった人たちすら何も知らないところでいろいろなことが進んでいるのが大問題であり、とても残念に思います」
反対しているのは、学生だけではないのだ。
「学生も職員も保健診療所で働いている人も教授も含め、みな寝耳に水の話であり、次がどうなるのか、きちんと決まっていないなかで廃止することがいちばんの問題だと思います」(三浦さん)
実は、このように反対意見が多数出るような大学側の決定は、ここ数年、京大で数多く起こってきたことだという。
「大学側と学生が対話ができる『情報公開連絡会』は廃止に。代わりに学内メールで大学当局に個別に送る形になりましたが、学生番号などを記載しないと回答がなされないので、停学や学籍の処分の対象となるのではないかと懸念している学生もいます。そもそもメールを送っても、テンプレート回答ばかりで、多くは“回答できません”ばかり。大学側は学生の意見を聞くことはないんだなという無力感は、多くの学生が共有している気持ちだと思います」(駒形さん)
そのほか、京大の名物の1つでもあった“タテカン”(キャンパス周辺にサークルなどが設置する立て看板)の強制撤去や、学生寮からの退去を話し合いを持たずに求め裁判になるなど、大学の“横暴”は少なくない。入試時、学内にオブジェを作り、受験生たちを賑やかすのが恒例だったが、'18年の入試でオブジェを作った学生がけん責処分となった。“目立つと処分されるかもしれない”。今、京大に通う学生に少なからずある意識だ。今回取材に応じてくれた現役京大生が仮名となったのはこれが理由だ。大学への信頼は地に落ちている。
京都大学に今回の決定に至った理由について問い合わせたが、期日までに返答はなかった。『存続を求める会』が提出した要求書や署名に対しても返答はないが、引き続き求めていくという。
自由な大学は今、非常に“不自由”になっている。
《取材協力:京大保健診療所の存続を求める会》