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 大きな事件から、あまり知られていない小さな事件まで。昭和から平成にかけておきた事件を“備忘録”として独自に取材をする『事件備忘録@中の人』による「怖い女」シリーズ、第3弾。今回は不倫相手との間にできた子どもを、生んでは次々と“捨てた”母親の話。あまりにも残忍な行為に、言葉を失う。

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 嬰児(えいじ)とは生まれて間もない赤ちゃんのことを言う。かつては貧しい寒村などで食い扶持(ぶち)を減らす「間引き」として行われることもあった、嬰児殺し。それは、生後間もなければ間もないほど、その罪の意識は軽かったという。

 時代は変わり、飢えや貧しさからの嬰児殺しは減ったとはいえ、平成・令和となってもその理由は別にして後を絶たない。

 望まぬ妊娠を誰にも言えず出産してしまった若い未婚女性のみならず、すでに子を持つ母がそれを繰り返す……。

「押入れの秘密」

 平成17年12月、和歌山のマンションの一室から、ビニールにくるまれた遺体のようなものが発見された。警察で調べたところ、ビニールの中身は嬰児とみられる遺体。さらに、室内を捜索すると押し入れの中の衣装ケースから2体の遺体が出たのだ。

 見つかった嬰児の遺体は全部で3体。いずれも腐敗、白骨化しており、その大きさから乳児とみられた。そしてそれらの遺体はそれぞれ死亡時期が異なっていた。

 警察がこの部屋の住人の行方を捜したところ、この部屋は3年前から子持ちの夫婦が契約していることが分かったが、夫は先月交通事故で死亡、妻と幼い子どもはその半年以上前から行方不明だと判明。

 死体遺棄事件として捜査が始まり、3日後、大阪府内にいた妻の身柄を確保し事情聴取したところ、押し入れの遺体はすべてこの女が生んだ子であると認めた。そして女は、「ほかにも遺体がある」と告白した。

 女の名は、真梨子(仮名/当時49歳)。逮捕時、8歳になる息子と一緒だった。

 真梨子は捜査員に対し、過去に暮らしていた大阪府内の民家で、出産間もない嬰児を殺して隠したと話していた。捜索の結果、供述通どおりの家から衣装ケースに入れられた嬰児の白骨化した遺体が発見される。

 ところが話は終わらなかった。真梨子は、発見された4人以外に、もうあと2人、捨てたと話していたのだ。真梨子はどのような人生を送っていたのか……。

不倫相手の子を「生んでは殺す」

 昭和32年に和歌山県で生まれた真梨子は、非常につらい幼少期を送っていた。「置屋(※)」で働く母親のもとで育ったが、家にはしょっちゅう、複数の男性が出入りしていた。小学生のときにその男のうちの一人にレイプされ、以降も性的虐待は続いたという。真梨子は自殺未遂も起こしていた。

 中学3年で妊娠。このときは中絶したものの、卒業と同時にその時の交際相手の男性宅で同棲をはじめ、16歳を過ぎて結婚した。

 10年間で子どもは4人生まれた。夫の家族は厳しく、日々、真梨子は主婦として、母親としてだけの日々を送っていたが、親切にしてくれた男性と不倫関係に陥ってしまう。

 そして、真梨子はその不倫相手の子を身ごもってしまった。

 大阪の自宅で出産したが、この子は殺そう、そう決めていた。遺体を衣装ケースに隠すと、真梨子は何事もなかったかのように日常に戻っていく。

 こんなことがあったにもかかわらず不倫はやめられず、結果、「妊娠すれば生んで殺して隠す」を、この家で暮らした18年間で3度繰り返した(のちに真梨子はそう自供したが、平成17年の発見時には、大阪の自宅からは3体あるはずの遺体のうち、1体の遺体しか見つかっていない)。

 平成2年、離婚が決まった真梨子は部屋に遺体を隠したまま、子どもたちを置いてその家を出た。

 ときは流れて平成8年、和歌山市内でホステスをしていた真梨子は、内縁関係を経て9歳年下の男性と再婚する。2人の間には男児も生まれていた。

 子煩悩で明るく、仲のいい夫婦と周囲には見えていたというが、真梨子はまたしても夫以外の男性と関係を持つ。そして、不倫相手の子を妊娠してしまった。ひとり自宅で出産した真梨子は、これまでと同じように遺体を家の中に隠し、夫との生活を続けたという。

 しかし平成17年、真梨子は息子を連れ、突如夫と暮らすマンションから姿を消す。押し入れの秘密はそのままにして。その後、夫が事故死したことで関係者が自宅の整理に訪れ、遺体が発見されたのだった。

家族は気づかなかったのか

 昭和48年以降、12人を出産し5人を殺害(真梨子の供述によれば6人殺害遺棄であるが冒頭陳述で検察は5人殺害とし、さらに時効成立により実際に罪に問われたのは和歌山で発見された3人の殺害死体遺棄)し遺棄したという恐るべき母親に対し、平成19年4月25日、和歌山地裁は「動機は短絡的で人の親としてあるまじき非道な行為」として懲役8年(求刑懲役9年)の判決を言い渡した。

 この事件は、未婚の女性が処置に困って、と言ったものではなく、すでに子どもがいる母親によって繰り返された嬰児連続殺人という点、家族らと暮らす家に遺体を隠すなど、さまざまな点で異様な経過をたどった。

 不可解な点もあった。それぞれの時期、夫をはじめ、家族らは何度も妊娠出産を繰り返す真梨子の異変に気付かなかったのかということである。

 真梨子はもともと、ふくよかな体型だったというが、それにしても夫も気づかないということなどあり得るのだろうか。

 真梨子が大阪の家を出たあと、何年にもわたって自宅に隠されていた遺体の存在をまったく知らなかったというのも気にかかる。

 大阪の元夫と義母は、真梨子が逮捕され遺体が発見される日までその家で暮らしており、これについて、警察ジャーナリストとして知られる故・黒木昭雄氏はルポの中で「最初の結婚が破綻したのは、夫が嬰児殺しに気づいたからではないのか」という指摘をしている。物置の遺体に気づかなかったのではなく、見て見ぬふりだった可能性はなかったのだろうか。

 それは、事故死した2人目の夫にも言える。マンションという広くない空間の中で、夫は押し入れの秘密を知らなかったのだろうか。

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 前出の黒木氏の取材によれば、夫は真梨子らが失踪したあと、あきらかに様子がおかしくなっていたという。

 会社ではミスを連発、円形脱毛症にもなり同僚らの手助けやアドバイスを拒むだけでなく、自宅マンションに帰りたくない、と漏らしていた。

 夫は真梨子の失踪後、一緒に暮らしていたマンションをそのままにして別のマンションへと引っ越している。遺体は一緒に暮らしていたマンションから発見されているため、遺体の存在に気づいていた可能性もある。

 彼が亡くなったという事故の状況も不自然だった。彼は車を運転中、走行中のトレーラーに、後方からノンブレーキで突っ込んでいたのだ。

 そこで黒木氏は、夫はもしかすると真梨子が家を出たあとに「押入れの秘密」に気づいてしまい、もうその部屋で暮らし続けることができないと悩んでいたのではないか。マンションの契約を続けながら別のマンションに引っ越すわけだが、そのことに悩んだ挙句の自殺だったのでは、と考察している。

 夫が事故死したあと、夫が暮らしていたマンションに現れた真梨子。その部屋で何かを探し始めたが、目当てのものが見つからなかったのか、何も持たずに部屋を出たという。

 これまでの生活でも、真梨子はふらりと家を出ては戻ることがあったという。しかし、このときの家出中の夫の引っ越しと事故死は誤算だったと思われる。

 裁判では真梨子の精神鑑定を行った医師が、真梨子は自身が体験した虐待的養育を、自身の子どもに対して殺害・遺棄という形で“再演”した、と証言した。加えて、9歳のころから中学まで続いた性的虐待が人格形成に深刻な影響を与えたと裁判所も認めた。

 子どもを産み、殺し、隠し続けた真梨子。一方で子ども思いの面も垣間見れ、離婚当初は残してきた子どもらに服を届けることもあったという。

 しかし、裁判で真梨子ははっきりと証言した。

「子どもをかわいいと思ったことなど、一度もない」

事件備忘録@中の人
 昭和から平成にかけて起きた事件を「備忘録」として独自に取材。裁判資料や当時の報道などから、事件が起きた経緯やそこに見える人間関係、その人物が過ごしてきた人生に迫る。現在進行形の事件の裁判傍聴も。
サイト『事件備忘録』: https://case1112.jp/
ツイッター:@jikencase1112

【参考文献】
読売新聞 平成17年12月15日大阪朝刊、平成19年1月25日大阪朝刊
毎日新聞 平成17年12月15日大阪朝刊、12月17日大阪夕刊、平成18年3月2日大阪朝刊、平成19年4月25日大阪夕刊
産経新聞 平成17年12月20日大阪朝刊、平成18年1月7日大阪朝刊
『和歌山嬰児5人殺害事件 あまりに悲しい女被告の半生』(週刊朝日 2006.2.3 p.30~35
、2006.5.5・12 p.34~35)
『11人産んで6人を死なせた容疑者の女と不可解な警察発表-追跡 和歌山・嬰児殺害遺棄事件』黒木 昭雄 著

※「置屋」とは、芸者や遊女を抱えている家のこと