東京都知事を4期途中まで約13年務めて五輪招致などに尽力し、国会議員時代に環境庁長官などを歴任した作家・石原慎太郎氏が2月1日、亡くなった。89歳だった。
1999年に都知事になると、規制改革のため国にケンカを売る姿勢を鮮明にし、その言動は連日のように多くのメディアに取り上げられた。歯に衣(きぬ)着せぬ発言にとどまらず、乱暴な物言いも随分あった。言いっぱなしではなく、ディーゼル車の排気ガス規制や大手銀行への外形標準課税の導入など都独自の政策を次々と実現した。
いまでこそ発言力のある知事は少なくないものの、就任当時は都道府県知事の発言は地方行政の枠で捉えられることが多く、知事の存在感を高めた政治家といえるだろう。
一方で、記者会見などでは政策とはまったく関係のない注目発言も飛び出した。
番記者を沸かせたひと言
なかでも、1987年に早逝した国民的人気俳優の弟・裕次郎さん(享年52)に触れた発言は、石原家の知られざる兄弟関係を指し示すようだったと思う。
「俺のほうが裕次郎よりも歌がうまいんだ」
と本気で話すことも。
緊張感を持って取材する番記者たちを思わず笑わせ、沸かせたものだった。
裕次郎さんは歌手として『銀座の恋の物語』『ブランデーグラス』などのヒット曲を飛ばしており、所属レコード会社によると500曲以上を吹き込んでいる。
後日、慎太郎氏に「裕次郎さんより歌がうまいって本当ですか」と突っ込んだところ、
「本当だよ!」
とムキになって笑った。
兄として弟の安息を願う気持ち
そもそも裕次郎さんは1956年、慎太郎氏の芥川賞受賞作の映画化作品『太陽の季節』に出演したのをきっかけに、やはり慎太郎氏原作の映画『狂った果実』で主演デビュー。
常に批判にさらされる政治家の道を選んだ兄に対し、人気スターとして文句のつけようがない名声を得た。
それが裕次郎さん没後の都知事選では、裕次郎さんの刑事ドラマ代表作『西部警察』の勇ましいテーマ曲に乗って街頭に現れ、石原軍団の応援を受けた。
街頭演説のマイクを握ると開口一番、
「裕次郎の兄です」
と自虐ネタで聴衆を沸かすのが常だった。
コンプレックスとは言わないまでも、勝ち気の塊のような慎太郎氏が、2歳年下の裕次郎さんにライバル心を持ったとして何ら不思議はない。
慎太郎氏の発言で、歌唱力のエピソード以上にインパクトがあったのは“兄らしいひと言”だった。
裕次郎さんの没後、菩提寺である横浜市鶴見区の総持寺などで三回忌、七回忌、十三回忌とメディアやファンの要望にこたえるかたちで大がかりな法要が営まれるなか、慎太郎氏は二十三回忌の前、
「もう、いい加減に静かに眠らせてあげないとかわいそうだ」
などと諭すように話し、ファンらを集めるイベントは終わりになった。
兄として弟の安息を願う気持ちだろう。
二十三回忌法要イベントは東京・国立競技場で約12万人を集めて営まれ、ファンを招く法要は最後になった。
裕次郎さんは2019年7月17日、三十三回忌法要で弔い上げとなった。まき子夫人や石原軍団の俳優が揃うなか、家族代表として慎太郎氏の長男・伸晃前衆院議員が参列。
慎太郎氏は参列したがったというが、足元が心配なため代理出席した経緯を明かし、
「相変わらず格好つけなので杖を買ってやったのにつこうとしないんです」
と頑固親父ぶりを明かしている。
慎太郎氏の歌は一度も聞いたことがない。記者と取材対象者の立場を離れ、美声を聴いてみたかった。合掌。
◎取材・文/渡辺高嗣(週刊女性記者、元・内外タイムス都庁記者クラブ担当)