「父が前立腺がんの手術後、尿失禁がひどくなり、外に出なくなりました。70代に入ったばかりなのに、部屋で暗く落ち込んでいる姿を見ると悲しくなります」(40代、会社員)
生涯で男女ともに2人に1人はがんになる時代。がんは死因の第1位で総死亡数の3割に相当する。がんによる死も恐怖だが、手術によって身体の機能を失うことが何よりも怖い。特に現役世代や、これから第2の人生を楽しもうとする若いシニア世代にとってはつらいことだ。
その明暗を分けるキーになるのが放射線治療だという。
実は身体への負担が少ない
「外科手術では、臓器や周辺部分を切除しますが、放射線治療は、臓器を温存することで身体の機能を失いません」
と千葉大学病院、放射線治療医師の宇野隆先生。
芸能人は、のどを酷使することから一般人よりも咽頭がんが多いそうだが、音楽プロデューサーのつんく♂は手術で声帯を失い、落語家の林家木久扇は放射線治療を行いながら、話す仕事である落語家を続けている。この差は?
「咽頭がんの場合は、第1に行う治療が放射線治療なので、つんく♂さんは放射線治療後に運悪く再発したため、外科手術を行ったのかもしれませんが、早い段階で見つけて適切な放射線治療を行えば声を失わずにすんだかもしれません」(宇野先生、以下同)
放射線治療というと、外科手術後の再発防止といったイメージがあるが、実は最初から放射線治療を選択すると、身体の機能を失わずにすむのだ。ところが……、
「放射線治療は日本では進んでいません。米国では、がん患者の66%、ドイツでは60%と欧米では高い割合で放射線治療を行っていますが、日本ではわずか25%。がんの治療は、外科手術、放射線治療、化学療法の3本柱ですが、放射線治療は対等に行われていないという現状があります」
その理由とは?
「日本のがん治療は、外科医がリードしているという歴史があり、外科手術が優先されてきました。現在では、前立腺がんのステージ1~2での放射線の治療成績は外科手術のそれと変わりありません」
芸能人の西川きよしは、前立腺がんの手術で頻尿に悩んでいたと語っているが、
「放射線なら尿道を傷つけないので頻尿や尿失禁といった後遺症はまずありません」
さらに、今年、最新の放射線治療が千葉大学病院に導入され、難しいとされていた膵臓がんや、肝臓がんなど、消化器に近いがんの放射線治療が可能になったという。膵臓がんといえば、5年生存率が極めて低いがんだが、最新治療によって大きく変わると期待されている。その最新治療について詳しく聞いてみた。
がんを見ながら放射線照射を行う画期的な治療
「放射線治療は外科手術と違い、身体を傷つけることなく痛みはほとんどありません。治療中はただ台の上に寝ているだけ。本当に眠ってしまう患者さんもいるほどです」
麻酔をかけて、身体を切り開いて、がんと周辺組織を取り去る外科治療とは、身体の負担が大幅に違う。
「欧米に比べて、日本は放射線治療の実施率が低いですが、放射線治療を受ける患者数は年々増えています。現在は、年間27万人のがん患者さんが放射線治療を受けているとされ、2025年には35万人になると見込まれています」
そもそも、放射線治療とはどういうものか?
「一般的な放射線治療は、リニアック(直線加速器)といわれる装置を使い、電子を光の速度の99%以上に加速した高エネルギー電子線、またはエックス線をあてる方法です。がんの細胞内の遺伝子にダメージを与え、がん細胞が死滅します」
現在、このリニアックを使っている病院が多い。
「放射線治療にはリニアックのほかに、陽子線、炭素線、中性子線といった治療もありますが、装置が大がかりで、導入コストもかかるため、日本で治療が行える病院は数えるほどしかありません。また、健康保険が適用されない治療もあります」
昨年は、BNCTという新しい治療も登場し、粒子線治療は先進医療として一歩先を進んでいる。しかし、まだ粒子線治療は一般的ではなくハードルが高い。
そこで、昨年末に千葉大学病院が導入し、今年から本格稼働した最先端治療「エレクタユニティ」が放射線治療の世界を大きく変えるのではないかと期待されている。
エレクタユニティの大きな特長は、放射線放射装置と1・5テスラという高精度のMRIが合体していることだ。放射線治療の直前と治療中、がんの位置をリアルタイムで可視化できるというのだ。
「外科手術や内視鏡手術と同じように治療が行えるため、確実性が上がり自信をもって治療が行えます」
もう、元の治療法には戻れませんね、と宇野先生。
「今までの放射線治療の流れは、あらかじめCTやMRIをとり、そのデータをコンピューターで分析し、照射プランを作って装置に送ると、プランどおりに機械が放射線をあててくれていました。しかし、がんの位置は消化器の状態などにより日々変わり、呼吸によっても位置がずれてしまいます。例えば、大腸にガスがたまり、前立腺がんの位置が変わってしまうということもあるのです」
今までは、現場で患部が見えず、機械任せの治療だった?
「画像誘導放射線治療(IGRT)という治療で、直前にCTで撮影し確認をしていました。しかし、そのCTは検査で使われるものより精度が落ちるといった難点がありました」
ターゲットを絞って照射
エレクタユニティは、照射プランを装置に送るところまでは同じ。画期的なのは患者さんが治療台に寝て、準備が整ったところで、MRIを使って撮影し、高精度の画像を見ながら照射プランを調整し、照射中もMRIをとって位置を調整できるのだ。
この方法で治療を行うと正確にがんだけを狙いやすくなるので、ほかの臓器を傷めにくいのだ。
「今までは少し広めの範囲に照射する方法をとっていました。そのため、放射線に弱い小腸に穴があいたり、胃に潰瘍を起こしたり、食道が狭窄するなどの後遺症が起こることがありました」
エレクタユニティはその場でターゲットを絞って照射できるため、周辺を傷つけず、大幅に後遺症が軽減されるのだ。
「従来は、膵臓、肝臓など消化器に近いところのがんは、線量を抑えて照射をしていましたが、エレクタユニティならほかのがんと同様の線量を照射することができます。転移がないステージ1~2のがんなら、ほとんど治療が可能です」
治療費は従来の放射線治療と変わらず、前立腺がんなら、全額負担で1回63万円。しかも保険適用でその1割か3割負担となる。エレクタユニティの治療が行える病院も、東北大学病院、大阪市立大学医学部附属病院など、今後も増えていく予定だ。
「前立腺がんについては、もしロボット手術をすすめられたら、身体にメスを入れることのない放射線治療を考えてもいいと思います。ロボット手術では残念ながら身体の機能を失うことも少なくない」
だが、放射線治療を希望するとしても、自分の担当外科医にどう伝えるのか。それが、患者側には問題になる。
「米国では“キャンサーボード”といって各専門家が対等に治療法を説明し、治療方針を決めていきますが、日本にはその制度がない。あってもほぼ機能していないため、なかなか最初の治療に放射線治療が選ばれない状況。患者自身から“放射線治療ではどうでしょうか”など尋ねてみるといいかもしれません。日本放射線腫瘍学会のHPに一般向けの情報が掲載されていますので、まずは検索を」
現在、エレクタユニティは、医師からの紹介がなければ治療が行えない。まずは担当医と相談することからだ。
「末期がんの患者さんや、もともと放射線治療ができないケースがあるため、このような方法をとっていますが、エレクタユニティで適用可能ながんなら、相談する価値はあります」
放射線治療のことを学び、担当医と相談することが、自分のQOLを低下させないことにつながるのだ。
「自分で自分のQOLを守る時代がやってきています」
これから先、がんにかかってもなるべく身体の機能を失わないために、積極的に放射線治療のことを知って、外科医に提案する勇気を持とう!
ロボット手術の失敗で悲惨な結果に 冒頭の「40代、会社員」さんの父は、通っていたがん専門病院ですすめられるままロボット手術を受けた結果、尿道括約筋を損傷した。前出の西川きよしや、演出家の宮本亞門(64)にも同じ手術支援ロボット『ダヴィンチ』が使用された。いずれの場合も排尿障害が起き、尿取りパッドを使用する結果になった。前立腺がんで特にすすめられることの多いロボット手術だが、放射線治療であれば排尿障害や勃起不全を招かなかったはず。機能を失う前に、まず放射線治療を検討すべきだ。
宇野 隆先生 放射線医、千葉大学病院 放射線部長、千葉大学大学院医学研究院 画像診断・放射線腫瘍学教授。日本放射線腫瘍学会専務理事。放射線医学のスペシャリスト
取材・文/山崎ますみ