「お餅も自分たちで作ることに決まったけど、全員で作ったほうがいい? それとも、チームに分けて作る?」
「お餅を作るチームと鳥取のお雑煮を作るチームを一緒にしたほうがいいと思う」
「鳥取のお雑煮ってあんこが入ってるけど、そのあんこは作るの?」
「調べたんだけど、あんこは小豆から煮て作るみたい」
ホワイトボードに、日本各地の雑煮の材料や特徴が書き出されていく。山梨、東京、鳥取、香川、岩手、奈良の雑煮を作ることになり、ミーティングが行われていた。
山梨県のとある小学校
教室には小学校1年生から6年生まで26人の子どもたちが入り交じり、座る場所も自由。議長はやりたい人が自主的にするクラスもあれば、順番に担当するクラスもある。それも話し合って決める。教室の入り口には『おいしいものをつくる会』という手作りの看板が掲げられていた。
山梨県にある南アルプス子どもの村小学校。この学校の教員は「先生」ではなく「大人」だ。子どもとの関係は対等で、校長もカトちゃん、あべちゃんなど名前やニックネームで呼ばれている。
創設者で、学園長の堀真一郎さん(78)の思いがここに強く表れている。
「子どもが笑う。大人も笑う。これがよい学校のしるしです。教師に権威はいりません。学校や教育の常識からも自由で、謙虚に子どもと歩みます。教師はどこにいるかわからないくらいがいいんです」
各クラスの担任は2人だが、大人の声はあまり聞こえてこない。
何をするにも、まずは子どもたちの話し合いから。大人は見落としていることに気づくきっかけを投げたり、議題に挙げたりするだけだ。一方的に教え、指示することはない。大人が意見を言うときは、そっと控えめに手を挙げる。
大人が大切にしているのは「子どもが自分で気づく」こと。隣のクラスの『クラフトセンター』では、毎年少しずつ古民家のリフォームを続けている。取材当日、「今日は冬休み明けなので古民家を見にいくと担任が言っていました。いい写真が撮れそうですね」と校長から聞いていたが、どうやらミーティングが白熱している様子。
「学校のパソコンは数が限られているから、図書館にも行くといいと思うんだけど、どうやって決める?」
「土間のことは左官屋さんに聞きたいから、ネットじゃないと調べられないんじゃないかな。本で調べられることは図書館でいいんじゃない?」
リフォームに関連する“学びの旅”の下調べをどう進めるかが議題だ。知りたいことがあれば、実際の場所に足を運び、職人にも話を聞く。子どもたち自身で電話をかけ、会いにいく約束もする。
テーマも幅広い。「ちきゅうのしくみ」「おしろ」「にんじゃやしき」「むかしのたてもの」「きのかこう」「くぎ・ねじ」──。1年生も読めるよう、ホワイトボードにひらがなで書かれている。
クラスの半分が町の図書館に出かけることに決まり、子どもたちは声を上げ、上着を手に教室を飛び出していった。
古民家での作業をシャッターチャンスとして楽しみにしていた取材陣がガックリ肩を落としている傍らで『クラフトセンター』の担任あべちゃんは、予想外の展開を楽しんでいるように見えた。
「今日は古民家には行かないみたいですね。大人の予測どおりに進まないのも、子どもの村ではよくあることです」
校庭からも楽しそうな声が聞こえてくる。校舎を出ると、真っ青な空を背負った富士山が正面にあった。校庭にある遊具は、子どもたちの手作りだ。甲府盆地を吹き抜ける冷たい風の中を『わくわくファーム』のクラスの子どもたちが転がるように走っていく。その先には鶏と豚、羊たちがいた。
「羊の糞を掃除してこの箱にためるの。肥料にするから」
「小屋も作ったんだよ」
「風が強いから、屋根の波板が飛ばされて、何度もやり直して大変だった。小屋ごと横に倒れたこともあったよ」
初めて会う取材陣にも子どもたちは詳しく説明してくれる。
「せっかく作った小屋が倒れちゃったの? 大変だったね」と声をかけると、すぐにこう答えた。
「倒れたら、今度はもっと工夫して、風に倒されない小屋を作ればいいんだよ」
子どもたちの笑顔は、自信に満ちてたくましい。
『本物の仕事』に取り組む
南アルプス子どもの村小学校の母体は、和歌山県のきのくに子どもの村学園だ。1992年、1つの小学校から始まった学園は、小中学校各5校、高等専修学校1校、全部で11の学校に広がっている。
学園長の堀真一郎さんは、和歌山、福井、山梨、福岡、長崎にある5校すべてを、自ら運転する愛車のパジェロとフェリーを使って毎週欠かさず日替わりで回る。この全校を回る生活を20年間続けているというから驚く。
「子どもの村に学年ごとのクラスはありません。工務店、ファーム、料理、ものづくり、劇団などのプロジェクトごとにひとクラス20〜30人。毎年、子どもたちが自分の関心で自由に選ぶため、過去には、希望者がたった3人というプロジェクトもありました」
ある年の3月、4年生の男の子が堀さんに相談に来た。
「あのな、堀さん。来年度のクラスやねんけど、僕が選んだ料理店は希望者が3人しかおれへんねん」
「え、3人だけか」
「このままでは担任の大人がやる気をなくす……」
その男の子は、大人のやる気を心配していた。堀さんはしばらく考え、鶏を飼うことを提案。希望者は20人に増え、卵料理をテーマに据えて活動は盛り上がったという。
「プロジェクトは子どもが主人公の知的探究です。学ぶ楽しさ、仲間と触れ合う喜びをたっぷり味わいながら、『衣食住』や『いのち』をテーマに活動します。活動を通して知性と手と身体が鍛えられ、いろんな学びが広がります。『ままごと』ではなく、『本物の仕事』に取り組む。子どもは、面白いと思えば熱中することができるんです」
それぞれのテーマは入り口が異なるだけ。子どもたちの話し合いを軸に学びはどんどん展開していく。大人たちは展開しやすいテーマを十分吟味して準備している。
例えば『わくわくファーム』では、羊の世話というテーマから、その小屋を建て、羊の世話をする。羊の毛を刈り、羊毛から毛糸を作って織物を作る。モンゴルのことを調べ、モンゴル料理を作る。台風がくるときは天気について学んで対策を考える。そしてプロジェクトで調べ、活動したことを原稿にして冊子を作り、劇にして発表する──。
「多くの学校では、知識や技術を覚えることが『目的』になりますが、プロジェクトでは知識や技術はすぐに役に立つ『道具』や『手段』になる。
自分で体験して技術を手に入れ、大きな発見をすることもあります。活動を通して問題を見つけ、観察し、仮説を立て、結論を導き、実行して確かめる。高度な知的探究の繰り返しです」
この学校ではチャイムも鳴らない。子どもたちは自分で時計を見て自主的に動く。2コマ100分をセットにしているため、とことん集中して取り組むことができる。1日中プロジェクトに取り組む曜日も週に1日設定されている。
基礎学習の時間には、プロジェクトと連動した学習や子どもたちが楽しめるオリジナルのプリントで個別に学ぶ。
算数や国語、英語などの問題文に、校長や堀さんの名前を登場させたり、子どもたちが手作りする遊具の建設に必要な計算が例題になったりする。
堀さんは現在、全学校の小6と中3の英語の授業を担当。6年生の英語の授業は、例えばこんな調子だ。
「じゃあ、今から日本語で言うから、英語にしてや」
「やあ元気?」
「How are you?」
「なんかあかんわ〜」
「I don't feel well」
「どうしたん、眠いんか?」
「What's wrong? Are you sleepy?」
「ちゃうねん。風邪ひいてん」
「No,I'm not. I have a cold」
和歌山の学校では関西弁。ほかの学校でもそれぞれの土地の言葉で、日常会話にできるだけ近づける。子どもたちは笑いながら、英語に訳して大きな声で一斉に答える。
堀さんに手渡された学校のパンフレットを開くと、1ページ目に大きな文字でこんな言葉が印刷されていた。
「たのしいから学校。たのしくなければ、学校じゃない」
卒業生のたくましい活躍
教科書にとらわれない学びが中心で、宿題もテストもない。通知表は数字による評定ではなく、その子の伸びているところを文章で記述する。
職員室にはいつも子どもたちが自由に出入りし、大人のひざの上に座る子もいれば、おんぶや肩車をしてもらう子も珍しくない。学園長の堀さんを堀ジイと呼ぶ子だっている。
見学者からはこんな質問が出る。
「子どもたちは元気で楽しそうですが、学力は大丈夫ですか。進学できますか」
「厳しい社会でうまくやっていけるんでしょうか」
入学を検討している保護者も、教育関係の見学者も、未来の心配をする。
開校3年目には、「受験指導をしてほしい」と一部の保護者から声が上がったこともあった。しかし、「受験指導はしない」という方針は全く揺るがなかった。
例えば、2020年度の南アルプス子どもの村中学校の卒業生を見てみると、外部の私立高校4割、公立高校2割、きのくに高等専修学校3割、通信制高校1割と、全員が高校に進学。子どもたちは自分で高校について調べ、進路を決める。大人は、相談があれば話を聞き、情報提供、情報収集を手伝うだけだ。
推薦で進学する場合もあるが、作文や面接は特別な対策をしなくても、素直に答えているだけで十分に関心を持たれることが多い。
わからないことは「それはわかりません」と正直に答える子もいれば、「なんか、話したらめっちゃ笑ってくれた」「ほかの人の3倍くらい長かった」と言って楽しそうに帰ってくる子もいる。
卒業生の禰津匡人さん(29)は大人になった今、当時をこう振り返る。
「子どもの村では全部子どもが決めて自分たちでやっていました。だから、高校や大学、社会に出てもなんでもできる自信があった。相手が教授でも偉い人でも臆せずに質問したり意見したり、対等に話せるんだと思います」
選んだ進学先で学びを深め、好きな分野を突き詰めて活躍し、高校卒業時には代表で答辞を読む子も多いと堀さんは言う。
「高校で何か困っていないかと尋ねると、ほとんどの子が“高校のほうが子どもの村よりずっとラクだ”と言います。理由を聞くと、“だって、先生の話聞いてるだけでいいもん”と言う。子どもの村では何を学ぶかも自分で決めますし、話を聞いているだけじゃ何も進みませんからね」
昨年の春、中学を卒業し、山梨の私立高校に進んだある卒業生は、小学校4年生のとき、割り算でつまずいた。保護者のFさんは“他人と比較しない校風”に救われたと話す。
「本人が割り算がわからないと言って学校で大人に相談したら、ひとケタの掛け算まで戻っておさらいできたようです。九九を覚えていないから割り算が難しかったみたい。でも、誰かと比べて評価されることが全くないので、できないことがあっても卑屈にならないし、わからないと言える。それは今も強みだと思います」
その子は、現在通う高校で上位の成績を収め、演劇部に所属。学校以外でもアプリ開発をするオンラインイベントに参加するなど、自分で熱中できることを見つけている。
「卒業生には本当にいろんな子がいます」と堀さんは誇らしげだ。
「医者になった子もいるし、子どものころ食が細くて心配していたら無農薬野菜の店を出した子もいる。数学で素晴らしいひらめきを見せて、数学者になるかと思ったら現代バレエのダンサーになった子も。小学校でたんぽぽの研究に夢中だった子が環境関係の大学に進学し、卒業後にはなぜか花火を作る会社を自分で立ち上げた子もいます」
学校を始めた当初は、“このやり方でもいけるんじゃないか”くらいの気持ちだったが、卒業した子どもたちの姿を見るたび、自信は増した。
「このほうが絶対にいいという確信に変わりました。私たちが目指すのは、いい成績を取ることでも受験に成功することでもない。どんな状況でも、幸せに生きられる人になってほしいのです」
少数意見にも耳を傾ける全校集会
学年に関係なく仲がいい友達ができる。休み時間に中学生にピッタリとくっつく低学年の小学生に「仲よしだね」と声をかけると、「寮で一緒やねん!」とうれしそうだ。
家が遠い子どもたちは、小学1年生から寮に入り、週末は自宅に帰って家族と過ごす。入学前に2泊3日の体験入学をして、子ども自身が「ぜひ入りたい」と思うことが入学の条件だが、それでもホームシックになる子がいる。そんなときは、年上の子どもたちがそっと寄り添う。
「寮に入っている子のほうが人間関係の発達は早いと思います。24時間一緒にいれば、トラブルやもめごともたくさん起きて、その都度みんなで話し合う。失敗を繰り返しながら、人との距離の取り方を自然に学ぶんです」
卒業生も保護者も、教員である大人たちからも出てきた言葉がある。
「子どもの村は大きな家族みたい」
保護者のAさんは、子どもの雰囲気が変わったと話す。
「息子は保育園時代、帰宅後、怒りに近い不満を抱えていることが多かった。子どもの村に入学してから嘘のようになくなって毎日ご機嫌に。大人が子どもを信頼し尊重してくれているからだと思います。大人と子どもの関係ってこれだよなって感じます。とにかくみんな笑顔!」
この学校に「校則」はないが、子どもたちが話し合って決めた「約束」がいくつかある。それはいつでも話し合って見直すことができる。
週に一度、小・中学生、大人たち全員が参加するミーティングという名の全校集会。議題は「ミーティング・ボックス」に入れて提案でき、議長はミーティング委員会の子どもが交代で務める。運動会や遠足などの行事や、社会問題、人間関係、いじめもみんなの問題になる。
「〇〇くんが、僕にいつも嫌なことを言ってくるのでやめてほしい」
誰かがそんな声を上げたときは、現場を見た子や、状況を知る大人がみんなに話し、誰がいいか悪いかではなく、もう一度起こらないようにするにはどうすればいいかをみんなで考える。話し合いが進まないときや、誰かがみんなに責められてしまうときは、大人が小さく手を挙げる。
「〇〇くんは、言いたいことがいっぱいあるけど、気をつけるって言っているね。それについてはどう思う?」
ミーティングの途中で全体に挙手で意見を問うこともあるが、小さい子も大きい子も、少数意見にしっかり耳を傾ける。その場で解決するのではなく、1週間、2週間と時間をかけてみんなで見守り、また話し合う。堀さんはこの時間がとても重要だと考える。
「大人も沈黙はしません。ただし、権威は振りかざさない。子どもと対等の立場で参加し、脱線したときは、その場を整理します。
ミーティングは教育活動として重要で、アイデアや思いを披露し合うことで、自分以外の人がそれぞれ違って存在することを身体で感じることができる。
それは、自分自身を強く意識することにもなるんです。大人は、煮詰まってきたときにふっと笑わせて場を和ませることも大事かな」
学校では意見をあまり言わない子も家では盛んに話し合う。保護者の藤原さんは、子どもたちの変化に驚かされた。
「猫の世話でもめたとき、きょうだいで感情的にならずにやりとりしていました。今、何が問題? こういうルールにするのはどうかな?って。
夫婦ゲンカも横で聞いていて、パパは本当はこんな気持ちだったんじゃないかな、と後で言ってくれることがあります。驚きますよね。膨大なミーティングの体験が積み重なっているんだなと思います」
そんな子どもたちから保護者が学ぶことも多い。
「大人になると、組織で何か問題があっても、政治家や上司のせいにして、どうせ変えられないと諦めてしまう人が多い。
だけど、子どもの村では、学校は自分たちで話し合ってつくることが当たり前になる。きっと、社会も自分たちでつくっていこうという姿勢につながるんだと思います」(保護者・木村さん)
母が勤めていた山奥の学校に憧れて
学園長の堀さんは、1943年、福井県奥越地方の農村に生まれた。現在の勝山市だ。父も母も教師だった。父は地元の本校に、母は少し山に入ったその分校に勤めていた。
「私が小学校3年生から5年のころに母が勤めていた分校に、ときどき遊びに行きました。子どもは全部で30人ほど。
先生と子どもが仲よく、大きい子が小さい子の面倒を見て、近くの山や川に出かけ、とても楽しそうに遊んだり学んだりしていました。いいなあと思って、分校をまねして学校ごっこをして遊んだものです。
私はだいたい教師役をしていましたね。あの分校のイメージが、具体的なアイデアにつながっています」
小中学校のころは先生にも憧れたが、途中からそんなことはすっかり忘れていた。
「高校では数学が肌に合わず赤点ばかり取っていた」が、時代のブームに流され一時は理系への進学を希望。
だが、直前になって「やっぱり、子どものころ遊んだ分校のような、山奥の教員になろう!」と思い立つ。京都大学教育学部に入学したときには「卒論は僻地教育について書く」と決めていた。
その後、アメリカの哲学者でもある教育学者ジョン・デューイの研究を進めていたが、21歳のとき、イギリスの教育学者ニイルの著書『ニイルの思想と教育』を手にして衝撃を受ける。
そこには、ニイルがつくったイギリスの学校、サマーヒル・スクールの様子が書いてあった。「世界で1番自由な学校」として知られる学校だ。
「授業に出る出ないは子どもが決める。全校集会では校長も5歳の子も同じ1票。大人と子どもがファーストネームやニックネームで呼び合う。最初はそんなアホな! という驚きや疑問ばかりでしたが、次第になるほどと納得できるようになっていったんです」
堀さんは、傾倒していたデューイとニイルの思想を「実践で統一したい」と考えるようになる。大阪市立大学で教育学や心理学の研究を進める傍ら、仲間たちと学校づくりを目指し、動き始めた。
学園長は「好奇心旺盛な少年のよう」
堀さんと初めて出会った日のことを、現在の南アルプス子どもの村中学校の校長、カトちゃんこと加藤博さん(51)は鮮明に覚えている。当時、岐阜大学の学生だった加藤さんは、堀さんの論文「オルタナティブ教育の構想」を読み、堀さんのもとで研究をしたいと大学の研究室を訪れた。学園設立の直前、1991年のことだ。
「ああ、よく来た、よく来た。まあ座って」
堀さんにそう言われ、目の前の椅子に腰かけると、何の前置きもなくビデオデッキのコードを渡された。
「そのコードで“もやい結び”できる?」
加藤さんは大学で山岳部に所属していることを事前に伝えていたが、志望理由など一切話す間もなく、もやい結びを求められたことに驚いた。が、とにかく言われるままに、もやい結びを作った。
「よし! これで子どもと崖の工事を進められる!」
堀さんはうれしそうに笑って続けた。
「面接ではただ笑っていなさい。大丈夫だから。よし、うまいコーヒー飲みにいくか」
早足で車に乗り、どこに行くのかと思ったらわずか1分の距離にある喫茶店。コーヒーが出てくるとひと啜り、「おっと、行かなくちゃ!」とお金を払い、あっという間にいなくなってしまった。
加藤さんは、そんな堀さんの存在が子どもにも大人にも影響を与えていると言う。
「なんて忙しい人なんだ、と思うと同時に、落ち着きがなくて、好奇心が旺盛で、思い立ったらあれもこれもしたい人なんやなあと思いました。著書や論文の文章はとても緻密で非の打ち所がないのになあと衝撃を受けました。
子どもたちのそばにいる大人が堀さんのようにイキイキしていることは、とても大事だと思っています。堀さんは、大人にも好きなことをさせてくれるんです」
加藤さんが働き始めて1年目、「カルコルムの未踏峰に登りたいから2か月半休ませてほしい」と申し出たことがある。さすがに許してもらえないだろうと、辞める覚悟もして伝えにいった。
「ああそう。いいよ。だって、子どもにいいやろ」
堀さんはあっけなく許してくれた。加藤さんは自分が山に登ることしか頭になく、何を言われているか最初はわからなかったが、あ、そういう考え方があったのかと気がついて、便乗することにした。
「そうなんです。子どもにいいと思います。手紙も書くし、写真も撮ってきます。話もたくさんできると思います。それと、またいつか仕事を休んで山に行きたいです!」
加藤さんは20年前、2回目の休暇を取り、チベットの8000m峰の頂にも立った。
子どもの村で夫婦共に教員をしていた加藤さんは、学校に生後2か月の赤ちゃんを連れてきていた時期もある。それも、堀さんは「子どもにいい」と言った。
子どもたちは休み時間になると赤ちゃんの周りに集まり、泣けばあやしてミルクをあげ、両親が手が離せないときはおむつを替えてくれた。大人の手つきを見て、勝手に覚えていた。
しかし、時に、大騒動が起きることもある。加藤さんが担任し、1年かけてプロジェクトで作った竪穴式住居が火事で全焼したこともあった。加藤さんは申し訳なく思ったが、堀さんはこう言った。
「チャンスだ。こういうことがあるから学ぶんだよ。僕の実家も火事になったことがある。誰もケガしなくてよかったよ、カトちゃん。あはは」
大人のチャレンジも、大人の失敗も、子どもにとっては学びのチャンス。大人が堀さんに信用され、安心して楽しんで活躍できることで、子どもたちにもその安心の場が保障されている。
子どもに任せる機会を増やす
きのくに子どもの村学園ができて30年がたった。今では、子どもの村で「大人」として働く卒業生もいる。
前出の卒業生、禰津匡人さんもその1人だ。卒業後は埼玉県の私立高校、山梨県の公立都留文科大学の社会学科で環境教育を学んだ。そして、徳島県上勝町へ。ごみの80パーセントをリサイクルしているゼロ・ウェイスト宣言で有名な町だ。合同会社パンゲアに就職し、環境教育のツアーに3年従事したが、継続的に子どもたちに関わりたいと、2019年から子どもの村の教員になった。
「子どものころは、『大人』はぼーっとして何もしてないじゃんって思っていました(笑)。でも、自分が『大人』として戻ってくると、裏で綿密なミーティングをしているし、子どもたちのひとりひとりを本当によく見ている。
そのことを子どもたちに悟られないように見守っている。授業の準備もとても時間がかかります。『大人』って大変だったんだな、でも楽しいなって毎日感じています」
堀さんは、子どもが自由に学びを深めるため、大人が引き受けるべきことがあると考えている。
「大人はよく子どもに、“自由にやってごらん。でも責任は自分で取るんだよ”と言います。それは、ある意味脅し文句でもあるのです。
子どもの村では、“自由にやってごらん。責任は大人が取るから”と言うのです。子どもなりに考えて、勇気を出してやったことも、うまくいかないことだってあります。
そこで、“自分で決めたんだから”“一体何やってるの”と言うのは、“どうせ失敗すると思って見ていた”のと同じことです。
子どもの自己決定権を認めることは、失敗を許すこと。失敗は子どもの基本的人権の1つと考えています」
子どもの村学園は、設立当初より、学校教育法の第一条に定められた学校だ。学習指導要領にも準拠した私立学校として認可され、文部科学省からもクレームは一切ない。
堀さんはいつも子どもたちにこんなふうに話している。
「子どもの村は、君たちだけのものじゃないよ。こういう楽しい学校もありうる、そして実際にうまくいく。そのことをたくさんの人に知ってもらうための学校でもあるんだ。
でもね、こういう学校のほうが楽しくて中身もいいんだということを証明するのは、君たち自身なんだよ」
子どもたちは実際に社会に飛び出し、好きなことや好奇心をエンジンに突き進み、そのことを証明している。保護者や公立、私立の教員、自治体の職員などが噂を聞きつけ、毎週のように全国から視察や相談にやってくる。
「北海道に新しい学校を作りたい」と堀さんに相談していた団体は今年、30年越しの思いを叶えた。『まおい学びのさと小学校』が2023年に開校するニュースは全国的にも大きく報道された。子どもの村のようなプロジェクトを中心とした学校だという。
子どもの村のような教育は家でも実践できると南アルプスの校長・加藤さんは言う。
「答えを教える子育てや教育じゃなくて、不思議だね、わかんないな、面白いねって一緒に楽しみながら、子ども自身が選択する機会や、子どもに任せる機会を増やすことです。
子どもたちが本当に大事にされている、大人に信頼されていると実感できれば、それだけで幸せに生きていく力を手にすることができると思います。それは、どんな場所でも、今すぐにでもできることだと思うんです」
昨年の卒業生の保護者、石垣さんが、「子どもの村で9年間育った娘に、最近ふとこんなことを聞いてみたんです」と教えてくれた。
「世の中に絶望することはある?」
その卒業生は、こう答えた。
「ニュース見てると世の中に絶望しちゃうけど、その中でも自分で希望を見つけることができる。それが、子どもの村に行ってよかったこと!」
どんな場所でも、どんな環境でも、希望を見いだし、幸せに生きていくことができる。自分を信じることができる。きのくに子どもの村学園の小中学校は、そんな子どもたちを育てる場所だった。
「それぞれの学校で授業をするのも楽しみですが、いちばんの喜びは、子どもたちが“ほりさ〜ん!”と言って手を振って寄ってきてくれること。子どもたちから元気を吸い取っているんですよ。あはは。ああ、もう行かなくちゃ」
堀さんはニヤリと笑い、去っていった。今日も明日も、明後日も、愛車のパジェロを運転し、子どもたちのもとへと走り続けているはずだ。