宜保愛子さん

 '80年~'90年代に霊能者として、一躍お茶の間の人気者になった宜保愛子さん。その宜保さんが今また話題を集めている。

「木村拓哉の次女のKoki,さんが映画に初主演するのですが、その舞台となった富山県の坪野鉱泉は“あの宜保愛子さんも潜入を拒否した心霊スポット”としてキャッチコピーに使われています。そのため、『牛首村』の話題とともに宜保愛子さんが検索ワードにあがっているんです」(スポーツ紙記者)

 '03年に亡くなって約20年を経て再び注目される宜保さんの伝説とは?

霊視がきっかけでビートたけしは酒をやめた

 1991年にバラエティー番組『たけしの頭の良くなるテレビ』でビートたけしと共演した際、突如たけしの守護霊である和服姿の老女が見えたという宜保さん。さらに守護霊が見えた後、たけしの顔や目が黄色に染まったのを見たという。

 この守護霊はたけしの母方の祖母であり、たけしが芸達者なのは、若いころに義太夫語りの花形スターだったこの祖母ゆずりだと言われている。すると守護霊は宜保さんに「この子にお酒とタバコをやめさせてしまわないと命までなくなります」と頼んできたそうだ。宜保さんはたけしに守護霊の女性の着ている着物の柄を伝えて、口調も似せて「お酒とタバコをやめなさい。このままの状態を続けると命が危ないかもしれませんよ」と伝えたところ、たけしは「間違いない、うちのおばあちゃんだ」と忠告に真剣に耳を傾けたという。このころのたけしは長年の飲酒と喫煙、多忙による睡眠不足で胃と肝臓がボロボロ状態だったが、これ以後タバコと酒をきっぱりやめたという。

1994年9月、バイク事故からの退院会見に臨んだビートたけし。報道陣におどけるも…

 1994年のバイク事故でケガを負ったものの重傷は免れ九死に一生を得た。2021年にはつるはしを手にした男に襲われる事件でケガを負うなどしたが軽傷ですんだ。今も祖母の守護霊がしっかりと守っているのかもしれない。

 宜保愛子の霊視に魅せられたのはビートたけしだけではない。

黒柳徹子さんは自らの番組に宜保さんをゲストに呼び、霊視について興味津々で話が盛り上がりました。ほかにも陸上のカール・ルイスといった外国人スポーツ選手まで、多くのスターが宜保さんの霊視を希望したんです。みなさん口をそろえて“どうしてそんなことまで知っているの?”と言うんです。事前にリサーチのしようがない情報をピタッと当てますから」(テレビ局関係者)

“霊界の宣伝マン”の丹波哲郎も「宜保さんの霊視能力は本当に素晴らしい」と肯定している。

 1988年から始まった『女性自身』の連載「宜保愛子のスター心霊対談」の第1回では、ゲストの林寛子の守護霊は父親で、ソバ好きであると語って林を驚かせた。林は「どこのタレント名鑑で調べたって私の父親の好物までは当てられないでしょ」と発言している。

 またテレビ番組『驚異の霊能力者 宜保愛子』では、渡辺正行が子ども時代を過ごした実家の様子を詳細に言い当てていた。驚くことに、霊視した当時その家はなく、新しく建て替えられてしまっていたのにもかかわらずだ。ほかにも舛添要一の自宅に飾ってあった絵のことや、福澤朗の自宅の間取りや置いてあるオーディオ機器のこと、山口美江さん(享年51)の飾り気のない部屋の様子などもピタリと言い当てている。

『日曜スペシャル これが宜保愛子の霊能力だ!』ではフリーアナウンサーの逸見正孝さんの発病も予言。

逸見さんには胃がんで亡くなった弟さんがいたんです。宜保さんは“このままだと兄も僕と同じ病気になるから気をつけて”と弟さんが言っていると逸見さんに忠告。そのわずか1年後、逸見さんは胃がんで亡くなりました

逸見政孝さん

 '99年、コンピューターが誤作動するのではないかと「2000年問題」が騒がれた。当時、宜保さんはネット上で活発に活動していたという。'00年に、心霊現象を否定する大槻義彦教授が「霊能力というものの存在が証明されれば、私は大学を退職するし、これまで書いた本をすべて絶版にします」と宣言したことで、宜保さんはテレビから姿を消し、「電脳武装化中」であると週刊女性で報じている。そして記事は「閉ざされた場所ではなくて、再びテレビという舞台で、自らの主張を論じてほしい」と結んでいる。しかしまだ電話線でネットへ接続する“ホームページ黎明期”であった20年以上前、すでに現代のネット社会を先取りしていた宜保さん、これぞ慧眼と言うほかない!?

霊は本質的に悪いものじゃない

 霊能者といえばおどろおどろしいイメージだが、宜保さんは明るい人としても有名だった。

よく笑う人でした。ミーハーでお笑いが好きな一面もあったんですよ。相手が傷つくことは絶対に言わなかったし、霊の存在を脅しに使うようなこともしなかった。霊能者である以前にいい人でした

 と、宜保さんの書籍を担当した編集者の五十嵐咲江さんが人柄を振り返る。

 1991年にはアイドル誌の『明星』のグラビアを飾り、ファッション雑誌『MORE』では、霊についてこう発言している。

「霊の本質って、決して悪いものじゃないんです。むしろ優しくて、私たちがちゃんとしてあげれば、それなりにきちっとしてくれるのが霊なんです。それこそギブ・アンド・テイクなの。霊の世界はおどろおどろしくない。だから、できるだけ明るく話したいんです」

 とんねるずのバラエティー番組『とんねるずのみなさんのおかげです』では、石橋貴明が宜保愛子さんのパロディー「宜保(イボ)タカ子」に扮し、木梨憲武扮するみのりもんた(みのもんたのパロディー)と女優やタレント、女子アナと心霊スポットなどを巡る「宜保タカ子と行く心霊体験バスツアー」というコーナーがあった。当時、宜保さんがどれほど人気があったのかがわかるだろう。

とんねるず・石橋貴明

 とはいっても、石橋が「イボイボ……」と言いながら鼻の下にあるイボを触ってニセの霊視を行い、「除霊しないと」と松本伊代や宮沢りえの頭をスカートの中へ押し込むなどしたり、ロケ先ではドッキリや爆破で驚かしてリアクションを取る肝試しのような内容で、小学生たちの間では“イボイボ……”が流行語に。しかし1993年12月30日に放送された富士の樹海へのバスツアーの際、ロケで天然記念物の氷穴を荒らしたり、ゴミを放置して帰ったことなどが問題となり、番組自体が終了(後に『とんねるずのみなさんのおかげでした』として復活)することに。

20年経ってもその名は轟いて

 ほかにもまだまだ多くの伝説を残している宜保さん。

「“宜保愛子が逃げ出した”、“宜保愛子が拒否した”などとうたえば箔がつくので、当時から心霊スポットの宣伝文句として使われたものです。それが宜保さんが亡くなってから20年がたった今でも使われるなんて。最強の霊能者としてのパワーは健在ですね。ですが、実際に宜保さんが坪野鉱泉を拒否したということはないはずですが……」(ミステリー雑誌記者)

『牛首村』がヒットするかも宜保さんには視えている!?

霊とともに生きた宜保愛子さんの人生

 1932年、神奈川県横浜市生まれの宜保愛子さん。

 3歳のときに弟が持っていた火箸が左目に当たって1年間闘病生活を送り、なんとか失明は免れたものの、視力がかなり落ちてしまった。しかしこのことによって、それまでぼんやりとしか見えなかった霊の姿が立体的に見えるようになったという。また霊の音は生まれつき聴力が弱い右耳で聞こえるそうだ。

 幼少期、浪花節が好きだった父に連れられて舞台を見に行った帰り道、タバコ屋のおばさんを見て「あのおばちゃん、もうじきおじちゃんと一緒に死んじゃうよ」と父に言って叱られるが、1か月もたたないうちに浮気相手だった近所のパン屋の主人と毒を飲んで死んでしまったため、母から「気持ちの悪い子だね。これでも本当に私が産んだ子かしら」と言われてしまった。

 自分の霊能力にはっきりと気づいたのは小学1年生、6歳のときで、仲よしだったあや子ちゃんが突然ジフテリアで亡くなったにもかかわらず、彼女が遊びに誘ってくる声や、履いていた下駄の音が聞こえるようになったのが始まりだ。さらに近所で起こる火事と出火原因を予言したり、水死者からのメッセージが聞こえたり、盗まれたものの在りかを言い当てたり、同級生が空襲で死んでしまうことを感じ取ってしまったことも。近所でも評判の霊感少女となり、相談者がひっきりなしにやってきたという。

 21歳のときに大病を患い、臨死体験をしたことで霊能力がなくなってしまった宜保さん。しかし面倒くさい霊が見えなくなったことに歓喜、「バンザーイ、私は正真正銘、普通の人だぞ」と叫んだそうだ。その後、結婚して3人の子に恵まれるが、末っ子が幼稚園に上がってひと安心した38歳のとき、再会した友人の左肩のところに「崩れた墓のイメージ」が見えて霊能力が復活、テレビや雑誌などで活躍することになった。テレビの視聴率は20%超、著作もベストセラーを連発、雑誌『週刊SPA!』では写真家・篠山紀信によるグラビア撮影にも挑戦した。さらに講演会も開催、各地で満員となった。

 番組に出演すると局の代表電話がパンクしたり、個別の鑑定は行わないので金品写真をお送りいただいても返却できませんというテロップが出るほどの人気だった。自宅にも電話がひっきりなしにかかってきて、電報が届いたり、家の前で待ち伏せする人もあったほどだ。しかしバッシング報道などもあり、1994年が最後のテレビ出演となった。

 2002年には8年ぶりにネプチューンのバラエティー番組『力の限りゴーゴゴー!!』に出演。2003年にも同番組に出演したが、同年5月6日に胃がんのため死去。享年71。