高梨沙羅がインスタにあげた、真っ黒の画像と謝罪文

 2月7日、北京五輪ノルディックスキー・ジャンプ混合団体に出場したが、スーツ規定違反で失格になった高梨沙羅。彼女が翌日インスタグラムに謝罪文をあげたことが話題になった。黒一面の画像とともに、「日本チーム皆んなのメダルのチャンスを奪ってしまったこと、そして、今までチームを応援してくださった皆様、そこに携わり支えて下さった皆様を深く失望させる結果となってしまった事、誠に申し訳ありませんでした」(原文)とある。

 アスリートが結果を出せなくて謝ることに違和感を覚えた。実際に「謝らなくていい」という声が多数寄せられたし、逆に「誰か、謝ることを勧めた人がいるのでは?」「黒一面の画像は判定への抗議?」という邪推も生んだ。謝る必要なし。自分を責める必要もなし。胸を張ってさらなる飛躍を目指してほしい。

 それにしても今の世の中、「悪くないのに謝る」傾向が強い。逆に、本当に悪い奴は絶対に謝らない(特に政治家)。おかしな時代だよ。今期のドラマでも、複数の作品で「謝る意味」を問うシーンが描かれていた。謝罪に対してモヤモヤしている人も多いのだろう。令和の「謝る」事情をちょっと考えてみた。

「悪い」からではなく「波風立てずに場を収める」

 『愛しい嘘~優しい闇~』(テレビ朝日系)の第1話では、被害者がなぜか何度も謝罪を要求されるシーンがあった。主人公の漫画アシスタント・今井望緒(波瑠)は自分のアイデアを後輩(松村沙友理)に盗まれる。その旨をやんわり指摘すると、後輩は逆ギレ。「パクリ扱いしたことを謝れ!」と騒ぐ。さらには自分のミスを望緒にかぶせて、「みんなに迷惑をかけたことを謝れ!」と言い張る。

 このドラマで、望緒は「誰かと争うくらいなら身を引いてしまう」という性格。そう、悪くないのに謝ってしまうのは、波風を立てたくないから。後輩は手癖も悪くて虚言癖という相当厄介な人物なので、事を荒立てないためにも謝る。

 この後輩のように、“謝らせたい人種”は世の中に意外と多い。クレーマーはこの類だろう。厄介な人との不毛なやりとりを早々に終わらせるためにも、つい謝罪してしまう。でも、悪くないのに謝れば、結果その人をつけあがらせるだけ。はたしてそれでいいのか、と疑問が残る。

謝らせたい人の器の小ささを知る

 その疑問に明快な回答を見出したドラマもある。菅田将暉主演の『ミステリと言う勿れ』(フジテレビ系)の第6話だ。菅田演じる久能整が病院内で、ある患者男性(岡山天音)とすれ違いざまにぶつかってしまう。イチャモンをつけられ、謝罪の土下座を要求された整が滔々(とうとう)と論破したシーン。

『ミステリと言う勿れ』で共演した菅田将暉と岡山天音(公式インスタグラムより)

「え、いいんですか? 土下座ってただの動作だから。簡単でお金もかからなくて、心がこもってなくても別のことを考えててもできちゃうわけですけど」

「土下座に意味があると思うということは、あなたはそうしろと言われることがすごくイヤなんですね?」

 そうそう、謝らせたい人は、自分がやりたくないことを相手にやらせることで優位に立てると思い込んでいる。プライドだけが高くて、器の小さい、可哀想な人間である。

 ま、これは今に始まったことではない。『DOCTORS~最強の名医〜』(テレビ朝日系)で高嶋政伸が、『半沢直樹』(TBS系)で香川照之が、立証してきたではないか。謝罪の形骸化をコミカルに描いた映画(阿部サダヲ主演『謝罪の王様』)もあったし。謝罪の土下座は既にパフォーマンスという共通認識もある。謝る人は「空気を読む平和主義な人」、他人に謝らせたい人は「自己顕示欲の強い人」として描かれてきたわけだ。

謝罪の5W1Hを改めて問う

 でもいつも思う。謝罪の5W1Hがなんかおかしいと。「いつ(When)、どこで(Where)、何を(What)、誰が・誰に(Who)、なぜ(Why)、どのように(How)」のことだが、いつ、どこで、どのように、は形式の話だ。問題になる前に謝るのか、問題になってから謝るのか、タイミングも確かに重要。

 変だなと思うのは、誰が・誰に、何を、なぜの「3W」。そもそも誰に何をなぜ謝るのかがわからないものも多い。直接迷惑をかけた、あるいは不義理をした相手に謝るのはわかるが、まったく関係のない人や世間に謝る意味があるのだろうか。謝罪=誠意・正しい対応、ではないと思うんだよね。

 そんな謝罪事情が意外とてんこもりのドラマが、『ゴシップ #彼女が知りたい本当の〇〇』(フジテレビ系)だ。主演は黒木華。ネットニュース編集部の編集長・瀬古凛々子が社内のお荷物部署にテコ入れすべく、真実の報道を追求していく。

『ゴシップ#彼女が知りたい本当の○○』オフィシャルブログ

 第1話では、のっけから編集部が謝罪に追い込まれる。ゲーム・アプリ会社社長のパワハラ疑惑を報じたものの、フェイクニュースとわかり、逆に訴えかけられる。第2話では不倫疑惑をリークしたアイドルが動画コメントで謝罪、第6話では世界的な漫画コンペの審査委員長として選ばれた漫画家が、過去の言動でバッシングされる。謝罪文を出すも、さらに昔のコメントが掘り起こされ、窮地に追い込まれる「キャンセルカルチャー」が描かれた。

 このドラマの裏テーマは謝罪? と思うほど、謝る人も謝らない人も謝らせたい人もわんさか登場。

 個人的にいいなと思うのは、凛々子の姿勢だ。愛想なし、無駄なし、疑問は直球でぶつける変わり者とされてはいるが、不要な謝罪はしなくていいと徹底している。編集部の面々に対しても、「謝る必要はない」「理由があるならいい。謝る必要はない」ときちんと言葉にしているのだ。そこな!と思う。

 だいたい、本当に悪いことをした奴は悪いと思っていなくて、謝る気もさらさらないからな。悪いことをしていないにもかかわらず、「謝らなければいけない」と思いこんで謝る人には、凛々子のように、ちゃんとこの言葉を伝えるといい。「謝る必要はない」と言える人が増えれば、謝罪の定義も基準ももっと変わってくるのではないかしら。

吉田 潮(よしだ・うしお)
 1972年生まれ、千葉県船橋市出身。医療、健康、下ネタ、テレビ、社会全般など幅広く執筆。『週刊フジテレビ批評』(フジテレビ)のコメンテーターもたまに務める。また、雑誌や新聞など連載を担当し、著書に『幸せな離婚』(生活文化出版)、『くさらないイケメン図鑑』(河出書房新社)、『産まないことは「逃げ」ですか?』『親の介護をしないとダメですか』(KKベストセラーズ)などがある。