悠仁さま、14歳のお誕生日に際しての近影。秋篠宮さまと(2020年8月10日・宮内庁撮影)

「2月16日、秋篠宮家の最側近である加地隆治(かちたかはる)・皇嗣職大夫(だいぶ)が、宮内庁で急遽会見を行いました。その場で“提携校進学制度を利用したご進学”とアナウンスされたことに驚きました。

 “悠仁さまのために作られた特別制度なのでは”との報道もありましたし、悠仁さまが一般入試の当日に試験会場にいらっしゃったので、どのような形で合格したかについての経緯は、いっさい明かさないと思っていましたから」(宮内庁関係者)

歯切れの悪い最側近の回答

 秋篠宮家の長男・悠仁さまが、春から東京都文京区にある『筑波大学附属高等学校』、通称“筑附(つくふ)”に進学されることが明らかになった。皇位継承者が学習院以外の高校に入学されるのは戦後初のこと。偏差値70を超える都内屈指の国立進学校で、毎年30名ほどの生徒が『東京大学』に合格する名門である。

 悠仁さまは、在学中の『お茶の水女子大学附属中学校』と“筑附”の両校が中学と高校の進学時にそれぞれ、若干名の生徒が入れ替わる制度を利用された。

提携校制度に出願するためには学業成績が秀でていることが求められ、大夫は会見で“悠仁さまは学業において最優秀グループに入っておられた”と説明しました。

 日々の学習を大切にされた結果、成績などの条件をクリアしたことで制度に出願し、学校から推薦を受けられたとのこと。その後も勉学に勤しみ続け、最終的に2月13日の学力検査を受けて合格に至ったそうです。

 進学先を選ぶにあたって高校受験案内の冊子を読んだり、筑附の卒業生から話を聞いたり、ご家族での話し合いを経て、悠仁さまが筑附を第一志望に決められたと、大夫が経緯を明かしました」(前出・宮内庁関係者)

 しかし、この会見での加地大夫は、歯切れの悪い回答を連発していた。

「記者から“提携校制度は何年から導入されたのか”との質問に大夫は“私からは控えたい”と回答。その後、学校側が制度の実績などの詳細を公表していないことで“国民から疑念を持たれる可能性がある”と記者が問うと“入学者選考の事柄になりますので”と言葉を濁す。ほかの質問に対しても “提携校制度の条件を満たして合格された”ことを強調し続けました」(秋篠宮家関係者)

 制度は'17年から5年間の限定で設けられ、その期間に悠仁さまが中学と高校に進学される予定だっただけに“皇室特権”や“裏口ルート”とも報じられ、国民から批判の声も少なくない。

 今回の進学報道に疑念を拭えない国民も一定数いる中で、宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さんは次のような見解を示す。

秋篠宮さまが抱かれた学生時代の“持論”

皇室は公正であることを重んじていますので、宮内庁や秋篠宮殿下が、受験に関して誤魔化すようなことはあり得ません。ですから、悠仁親王殿下は、提携校制度の基準をクリアして合格されたのでしょう。もし学力が足りなければ、入学後にご本人が苦労するだけです。筑附としては、中学校での成績や今回の学力検査の結果を踏まえて、問題ないと判断したのだと思います」

 筑附のモットーは「自主・自立・自由」と掲げられており、「個人の自主性を重んじる」という秋篠宮家の教育方針とも重なることから、悠仁さまとご両親も筑附への進学を固められたのだろう。

「秋篠宮さまは“学習院ありき”というわけではなく“子どもの可能性を伸ばすにはどうしたらいいか”を、いろいろな人に意見を聞きながら模索されます。というのも、秋篠宮家の教育方針は、上皇ご夫妻から殿下が受けたものを踏襲されています。殿下は“私の好きなことをずっとやらせてくれたことに感謝しています”と、おっしゃっていました」(宮内庁OB)

春から悠仁さまが通われる“筑附”の外観。教育モットーは「自主・自律・自由」

 悠仁さまのご意思を尊重されたのは“興味関心がある分野を究めるべき”という、秋篠宮さまが学生時代から抱かれている“持論”が根底にあるようだ。学生時代から交流のある知人が明かす。

「当時、学習院の理系学部の学生が“勉強が大変”と弱音を吐き、宮さまに“単位の取りやすい学部に転部すべきか”と、相談したことがありました。すると宮さまは“楽な学部で簡単に単位を取るよりも、一生懸命に打ち込める興味関心のあるものを見つけたほうがいい。そうでなければ理系のままでいいのでは”とお答えになりました。その学生は殿下のお言葉に納得し、理系学部のままで勉強を続けたのです」

 一方で、学習院ではない学校選択にも賛否があるだろう。静岡福祉大学の小田部雄次名誉教授に、皇族方が学習院に進学されてきた経緯について話を聞いた。

日本最古の定期対抗戦

「学習院はもともと、特権階級である華族が一般市民と異なった環境で学ぶ学校として設置され、そこに皇族も入学するようになりました。一般市民とは異なる優美なライフスタイルを持つ子弟ばかりでしたが、それだけに皇族への敬愛もあり、皇族の生き方を理解する学生がほとんどでした」

 小田部教授が続ける。

「教員や学校設備も、ふさわしい対応を続けており、戦後に一般の学校になったものの、内部では伝統がまだ受け継がれています。悠仁さまを将来の天皇として教育されるのであれば、学校設備や同級生との関係などに、長年配慮してきた学習院のほうが適していると思われます。一般の教育機関に入っていくことは、いらぬ出費や精神的負担、制度改革などを当該学校や在職者、在校生に負わせるリスクがあります」

 未来の天皇陛下の進学先は学習院が適切であるーー。そんな意見も聞かれる中で、学習院OBのひとりも、今回の筑附進学に肩を落とす。

秋篠宮家の方々は、なぜ頑なに“学習院以外”の学校を選ばれるのでしょうか……。学習院OBの一部からは、怒りにも似た声が聞こえてきます。上皇陛下や天皇陛下、秋篠宮さまなどの皇位継承者の方々は学習院に進まれています。警備体制のノウハウはもちろんのこと、学校職員や保護者にも学習院のOBが多く、皇族の受け入れが理解されやすい学校のため、静かな環境で学ぶことができるはずなのですが……」

高校時代にテニスの大会へ出場された秋篠宮さま。一方で、写真部として定期戦の撮影も担われた('81年7月)

 そんな中、さらなる“波乱”が起こり得るのが、6月に控えているという。毎年恒例の“定期戦”だ。

これは学習院と筑附の両校が部活対抗で試合を行う恒例行事。この総合定期戦は1896年の野球と柔道の対抗戦が起源で、何度か中止になることはあれど70回も続く“伝統の一戦”なのです。6月の第一土曜日に各運動部が競い合うもので、学習院側は“附属戦”、筑附側は“院戦”と呼び合っています。

 日本最古の定期対抗戦でもあり、応援団やチアリーダーだけではなく、一般生徒たちもこぞって応援する両校の一大イベント。悠仁さまが運動部に入部されたら、学習院と対峙することになりますし、運動部でなくとも応援に参加されることでしょう。でも、未来の天皇がまさか学習院と戦うことになるなんて……」(同・学習院OB)

 国民の疑念が払拭されない中、学習院との“6月決戦”で新たな波紋は起きてしまうのか。


山下晋司 皇室ジャーナリスト。23年間の宮内庁勤務の後、出版社役員を経て独立

小田部雄次 静岡福祉大学名誉教授。専門は、皇族や華族に関わる日本近現代皇室史