シシリアンルージュ・ハイギャバ(写真提供/サナテックシード社)

 昨年、世界に先駆けて国内市場で実用化された「ゲノム編集食品」。このゲノム編集技術により登場したトマト・マダイ・トラフグだが、これらには一昨年ノーベル化学賞を受賞した「CRISPR-Cas9」(以下、CRISPR)という画期的手法が使用されている。本稿では、このゲノム編集食品に詳しい3人の科学者に、そのリスクとベネフィット(利益・恩恵)について取材した。

江面浩先生

 最初に、ゲノム編集技術で機能性成分のGABAを高含量としたトマト:「シシリアンルージュ・ハイギャバ」を開発された筑波大学生命環境系教授で、サナテックシード株式会社取締役最高技術責任者の江面浩(えづら・ひろし)先生にZoom取材した。

ーーまずは、ゲノム編集トマトの育種技術について、一般市民にもわかりやすくご説明いただけますか?

シシリアンルージュ・ハイギャバ(写真提供/サナテックシード社)

江面「はい。もともとトマトには血圧/ストレス/睡眠の質などによいとされる機能性成分のGABAが含まれるのですが、その量はトマトのゲノム(※)中のGABA合成酵素の遺伝子が制御しており、我々はこの遺伝子をピンポイントで変えるゲノム編集技術を応用したわけです」

(※)筆者注:「ゲノム」とは生体のDNAに含まれる遺伝情報全体のこと

遺伝子をチューニングする

ーーゲノム編集ツールのCRISPRは狙った遺伝子を切ることができるハサミのようなものだと聞きました。GABA合成酵素の遺伝子を切ったら、逆に生成量が減るのではないですか?

江面「我々がCRISPRで切ったのは、遺伝子のシッポについている酵素活性を抑える部分です。酵素活性を抑える遺伝子に突然変異が起こるとGABA生成が増える。その意味ではGABA合成遺伝子が亢進されますので、“遺伝子をチューニングする”と呼んでいます

ーーなるほど。ただ、遺伝子に人為的変異を加えた場合、遺伝子組換え食品(GM)と同様、国による安全性審査と環境リスク評価が必要では? との声があります。

江面「今回発売されたゲノム編集トマトは、GMと異なり外部遺伝子がゲノムに残らないため、これまでの品種改良と同じとして、法規制の対象外とされました。ただ我々は、健康リスク・環境リスクを評価のうえ届け出ましたので、厚生労働省のホームページでリスク評価データを閲覧いただけます」

ーー開発者がリスク情報を公開されるのは、市民にとって歓迎されるでしょうね。あと御社は市場販売の前に、希望者4000名にゲノム編集トマトの苗を無料配布されたとのこと。これは安全性への自信の証明だなと思いました。ただ、ゲノム編集野菜と従来品種の野菜が並んでいたら、自然なので従来品種を選ぶという消費者も多いと思います。

野生種と品種改良育種の違い(提供/くらしとバイオプラザ21)

江面「皆さんが自然/天然と思って普段食されているトマトも、厳密にいうと天然(野生種)ではなく、長年にわたる育種技術で人工的に遺伝子改変が加えられた品種改良作物です。野生種に比べて、味や栄養価などのベネフィットが大きく、リスクが小さい栽培品種を選抜してきたわけです」

ーーなるほど。これまでの品種改良もゲノム編集も、目的の遺伝子が変化するという最終結果は同じということですね。ゲノム編集が“高速品種改良”と呼ばれるゆえんがわかりました。

木下政人先生

 次に、マダイとトラフグというゲノム編集魚類の実用化に世界で初めて成功した京都大学農学研究科准教授でリージョナルフィッシュ株式会社 CTOの木下政人先生にZoom取材した。

ーー今回発売されたゲノム編集のマダイとトラフグについて、わかりやすくご説明いただけますか?

ゲノム編集マダイ(写真提供/リージョナルフィッシュ社)

木下「はい。マダイ・トラフグ、ともにゲノムの狙った位置をCRISPRで切断して、特定の遺伝子(※)を欠損させた新品種になります。単純にいうと、ゲノム編集で魚の成長に関連する遺伝子の機能を調整すると、肉厚の魚に変身するということです」

(※)マダイでは「ミオスタチン」、トラフグでは「レプチン」

安全性が高い育種技術

ーー植物では国による安全性審査が不要とのことですが、動物である魚類でも同じでしょうか?

木下「おっしゃるとおりです。我々が実用化したマダイとトラフグも、目的とする遺伝子を切断して突然変異を起こしていますが、魚の場合、外部遺伝子(DNA)を使わずにゲノム編集をしており、外部遺伝子を含まないSDN1という手法ですので、規制対象外です。

 ただし、厚生労働省に我々のリスク評価データを届け出て公表しております。ピンポイントで遺伝子に変異を加えて変化するのはミオスタチンやレプチンの量のみですので、健康影響はないと評価しています」

ーーただ、魚類とはいえ動物の遺伝子を操作した場合も安全性審査がないことに、違和感をもつ方も多いと思います。

「選抜育種とゲノム編集育種の比較」(提供/京都大学木下政人氏)

木下「右図のように、これまでの品種改良でも遺伝子に突然変異をランダムに入れて選抜を繰り返すことで新品種になります。他方、ゲノム編集では遺伝子の狙った部位のみにキズを入れて突然変異を誘発するので、不確実性がない分、安全性も高い育種技術といえるでしょう」

ーーこれまでも選抜育種などで誕生した新品種は実用化されていたのでしょうか?

木下「はい。国内では近畿大学の養殖マダイが市場に浸透しており、一般消費者が天然のマダイよりもよく目にしていると思います。あと長野県の“信州サーモン”も話題になりました」

ーーあとゲノム編集のトラフグで安全性を危惧する声がSNSでも散見されますが、毎年食中毒が発生している天然のフグより陸上養殖のほうがむしろリスクが低いのかと……。

木下「おっしゃるとおりです。陸上養殖により生産されるゲノム編集のトラフグでは、天然のように食物連鎖で蓄積されるフグ毒の心配がありません。もちろん天然のトラフグでも有資格者が可食部を調理すれば食中毒の心配はありません」

ーー「ゲノム編集の魚が海に逃げたらどうする?」という生物多様性への危惧の声もあります。養殖魚を海に戻して生き残るかどうか疑問ですが……。

木下「陸上で養殖し、魚の個体だけでなく受精卵・未受精卵・精子などの流出もないよう、逃亡防止の仕組みを何重にも設けています。流通におけるトレーサビリティも重要です」

佐々義子先生

 最後に、GMやゲノム編集食品など新しい育種技術(NBT)に関するバイオカフェを長年開催してこられたNPO法人くらしとバイオプラザ21常務理事の佐々義子氏に取材した。

ーー佐々さんにはGMも含めて、遺伝子改変技術を利用した食品全般のリスクとベネフィットについて教えていただきたいと思います。

佐々「ゲノム編集技術は、最終的な農畜水産物において、従来の育種/品種改良と同じく“遺伝子が書き換わる”ことで新たな品種が生まれることに変わりはないものの、よりスピーディ/効率的/安価に品種改良が可能な技術です。我々が毎日食べている野菜もほぼすべてが品種改良作物ですので、遺伝子が人為的に書き換えられたものばかりなんですね」

ーーただ、遺伝子組換えについては全く新しい技術としてのリスクを見なくてはなりませんので、国による安全性審査や環境リスク評価が要求されるということですね?

佐々「はい。GMでは外来遺伝子をDNAの不特定部位に組み入れて外来遺伝子が残りますので、国内では内閣府食品安全委員会による安全性審査が義務となっています。あと、GMが世に登場して25年以上たちますが、ヒトや家畜への健康影響が出たという信頼できるデータはありません。2016年5月17日、米国科学アカデミーはGMの安全性に関する20年間の包括的レポートを公表し、GMはヒトや動物の健康に対して害がないと結論づけました(※)」

(※):New York Times (May 17,2016)

ーーただ、遺伝子組換え作物を食べるとがんや奇形が起こるという怖いビデオが、市民公開講座などで上映されているようですが、あれはフェイクでしょうか。

佐々「GMに関する科学的根拠のないビデオで、ネガティブ・キャンペーンをされているようです。最近は実際には安全に使われているらしいと知られてきたのか、公共の場では減ったように思います」

 今回の取材で、ゲノム編集食品/GMが十分なリスク&ベネフィット評価のもと市場に出ており、SDGsに必要なバイオテクノロジーとして、ノーベル賞学者たちが強く推奨するのもうなずけるところであった。今後も新品種が世に登場することを期待したい。

取材・文/山崎毅 NPO食の安全と安心を科学する会(SFSS)