「入ってこないで!」
「帰って!」
カギのかかった室内から、ものすごい剣幕で娘に怒鳴られ、一刻も早く搬送したい救急隊もなす術がなかったという。
同居する62歳母親を救急搬送させないよう自宅に監禁したとして滋賀県警近江八幡署は2月20日、娘で無職の岡本奈々容疑者(36)を監禁の疑いで逮捕した。
母親の救急搬送を激しく拒んだ娘
発端は同19日午後5時45分ごろ、「息が苦しい」と母親が自ら119番通報した。救急隊が駆けつけると、奈々容疑者が冒頭のように激しく救急搬送を拒んだため、警察と同行して再度説得。しかし、カギは開けてもらえず、一刻を争う危険性もあるため最後は勝手口の窓ガラスを割って室内に入り、同7時すぎに母親を救急搬送した。
母親は病院で死亡が確認された。
「救急車のほかパトカーまで来て、何事かと思った。警察も救急隊も“病院に連れていってあげよう”などと懸命に説得していたが、興奮した娘さんの怒鳴り声が響くばかり。室内に入ると、娘さんは包丁を持って立っていたらしい」(近所の住民)
なぜ母親の救急搬送を拒んだのか、という核心に迫る前に母娘の暮らしを振り返る。
地元関係者の話。
「奈々さんのお母さんはスレンダーなべっぴんさんで、社会人時代に知り合ったガッチリ体型の夫と手をつないで散歩するなどラブラブ。周囲に冷やかされることもあった。奈々さんは3人きょうだいの末っ子にあたる」
近隣住民らによると、共働きで子育てしていた両親は約25年前、仕事を辞め土地を購入して居酒屋をオープン。L字型のカウンターに座敷席もあり、常連客もついたが繁盛しているとは言いがたい状況だったという。
「生活のため副業もこなすなど精力的に働いていましたよ。ところが約15年前、父親のタバコの不始末による失火で転居前の自宅が全焼。父親は脳梗塞で計3回倒れ、母親はその世話に追われるなど居酒屋どころではなくなっていった。新型コロナウィルス感染拡大の以前から、もうここ何年も営業していないようでした」
と事情を知る住民。
父親はやがて寝たきりになり、一昨年末に逝去。母親ははた目にも意気消沈して見えたという。上の子どもはすでに自立しており、昨年から母親と奈々容疑者だけが店舗兼住宅で暮らすようになった。
冬場にTシャツ1枚で外出していた
近所の女性は奈々容疑者について、
「冬場にTシャツ1枚で外出するなど変わったところがあった。ちょっと精神状態が不安定だったみたい」
と話す。
別の住民によると、もともとは明るい性格で曲がったことをしないタイプという。現在は無職だが、数年前にはコンビニエンスストアで働いていたこともある。
「当時の同僚は“フツーの女性やで”と事件に驚いていた」(関係者)
細身でおしゃれなパンツとブラウスなどをコーディネートして外出する母親とは異なり、ふくよかな体型でも楽に着られるシンプルな服装を好んだ。母娘とも運転免許を持っているが、軽乗用車で一緒に買い物に出かけるなど親子仲はよさそうに見えたという。
さて、救急搬送を妨害した理由は何だったのか。
事件の構図からすると、妙齢の娘を心配するあまり就職や結婚などについて口酸っぱく言い、それをうとましく思う娘との親子関係が冷えきったとも考えられる。
しかし、地元住民は「それは想像できひんな」と首を振る。
「むしろ娘さんは母親を頼っていたから。些細なことでも自分で決めず“お母さんどうする?”と確認するようなところがあった。母親のほうも何かと娘を気にかけ、腰を悪くした娘さんに重い荷物を持たせないようにするなど親子仲はよかった。事件が報じられると、ネット上では殺人のようなものだとか、母親を家に閉じ込めて虐待していたのではないか、とか根拠のない憶測が飛び交っている。家の中のことはたしかにわからん。しかし、家の外で見るかぎり主従関係は逆や」(同住民)
頼りにする母親が突然倒れ、どこかに連れて行かれるのが嫌で徹底抗戦したのではないか、との見立てを示した。
一方の母親は、男まさりのテキパキした性格で若いころはきつい言い方をすることもあったが、年を重ねて穏やかになり、愛犬をかわいがるなど充実した日常を送っているように見えた。
「最近はスレンダーというよりも痩せ方が尋常でなく骨と皮みたいになっていた。だから“痩せすぎよ。ちゃんと食べてる?”などとみんな声をかけていた」(女性住民)
かなりの酒豪で食が細かった。飲むと周囲におごるなど気が大きくなるタイプといい、営業していないはずの居酒屋兼自宅の周りにはきちんと分別された焼酎やビールなどの空き瓶や空き缶も。
夫を亡くしてさらにやせ細り、
「飲んでばっかりやダメやで、ごはんも食べにゃ」
と心配する知人に、
「うん、わかってんねん」
と答える場面もあったという。
別の飲食店でたまたま居合わせたことがある住民はこう振り返る。
「歌が上手でカラオケで中森明菜をしっとりと歌いあげてはった。飲みすぎと痩せている以外は足腰もしっかりしていた」
心肺機能を維持できないほどの栄養失調
近江八幡署によると、司法解剖の結果、母親の死因は低栄養と判明。奈々容疑者は監禁容疑については「間違いありません」と認めており、母娘の生活実態や搬送を拒んだ理由などについて捜査を進めている。
「母親は心肺機能の維持にも支障をきたすほどの栄養失調だった。低栄養を引き起こした背景についてはさまざまな可能性を視野に入れて慎重に調べている。また容疑者が救急搬送を妨害したから亡くなったのか、あるいは妨害がなくても助からなかったのかによっても捜査の方向性は変わってくる」(捜査関係者)
母娘は生活費をどう捻出していたのか。収入はなかったはずだが、周辺住民によると市内に頼れる子どもや親族が複数おり、自家用車も売却していないなど、食べるのに困っていた様子はうかがえなかったという。
複数の周辺住民らの話によれば、母親はそもそも摂食障害だった可能性はある。
厚生労働省のデータによると、拒食のケースでは必要な量の食事をたべられなかったり、いったん飲み込んだ食べ物を意図的に吐いてしまうなど患者によって症状はさまざま。10〜20代の若者がかかることが多く、女性の割合が高いが、年齢や性別などを問わずだれでもかかりうる病気という。
国内で医療機関を受診している摂食障害患者は年間約21万人とされ、治療を受けたことのない人も多数いるとわかっている。周囲から「ひどく痩せている」と心配されても、自分ではちょうどいいと思っていたり、病気とは思っていないこともあるという。
事件の約10日前に母親を見かけた住民は、
「痩せすぎていて深刻な病気を患ったのかと思うほど人相が変わっていた」
と話す。
事件当日、母親は自分で119番通報した。同居家族がいるのだから体調異変を伝えて救急車を呼んでもらうこともできたはず。娘に119番通報させなかったのはなぜか、真相解明は捜査の進展を待つほかない。
仕事や通学をしない子どもを『ニート』と呼ぶのは34歳まで。奈々容疑者に勤労意欲がなければ中年無業者になる。薄れゆく意識の中で母親は何を思ったか――。