モスライスバーガー『つくね』(同社撮影)

 日本発祥のハンバーガーチェーン、『モスバーガー』。現在、日本国内で約1250店舗、海外は9つの国と地域に約450店舗展開している。

 3月12日で創業50年。歴史の中でいくつもの画期的なメニューを生み出してきた。

モスバーガー50周年、ライスバーガー誕生秘話

 まずファストフード店でおなじみの『テリヤキバーガー』。実は'73年にモスバーガーが開発、発売したもの。

 忘れてはならないのが'87年に発売された『モスライスバーガー』だ。看板メニューとして多くの人に愛されているライスバーガー。だが、その誕生に至るまでの過程は非常に困難を極めたという。

 '89年の入社後、モスライスバーガーシリーズの商品開発にも携わった経験のある株式会社モスフードサービスの寺本和男さんに聞いた。

「ライスバーガー開発のきっかけは、日本全体で指摘されていた米余り問題でした」

 '80年代、パン食などの増加により米の消費が減っていた。そこで当時の農林水産省から外食産業の団体に対し、メニューで米を使えないかと打診があったという。

 創業者の櫻田慧氏も“ハンバーガーはパンで挟むのがすべてではない”との考えがあったこともあり、米を使った商品開発がスタートした。 

「開発メンバーは2~3人。当初、パンに挟む具材として米の利用を考えていました」(寺本さん、以下同)

 例えばバンズに挟むパティに米を混ぜたり、ライスコロッケを作ったり……。

「米を具材にあれこれ考えたそうですが、何をやってもしっくりといかない」

 そんなとき、ひとつのヒントが導き出された。

「名古屋の天むすでした。天むすは海老天がご飯でくるまれている。それを見た開発メンバーの1人が、“お米をパンの代わりにできないか”とひらめいたそうです」

 まさに発想の転換だった。

「ゼロからの開発、世にないものを生み出す苦労がありました」

 次には新たなハードルが待っていた。米を成型して作るライスプレートの開発だ。

「お世話になっていたメーカーにお願いして試行錯誤を繰り返したのですが、彼らも作ったことがない商品。苦戦したそうです」

 形は丸がいいのか、四角がいいのか。炊き方。米の品種など、課題は多かった。

 注目したのが回転ずし用に開発されていたロボット。

 ロボットがシャリを成型する過程から「あれなら自分たちが思い描くライスプレートができるのではないか」とひらめいたという。

第1弾は『つくね』、四味一体の味に

 だが、問題は解決したわけではない。おいしくて、食べた人が食感も楽しめることにもこだわった。機械で丸い形を成型できても、粒を残そうとすると持ったときに崩れてしまう。反対に機械で圧力をかければ粘り気が出て、米は崩れなくなるが粒感は残らず、餅のようになってしまった。

 そこで当時の開発メンバーが取り組んだのは成型の仕方。複数回に分けてプレスすることで粒感を残したままのライスプレートを生み出した。さらに、ヒントになったのは「焼きおにぎり」だった。

故・櫻田慧氏。アメリカで食べたハンバーガーに感動したのがモスバーガー創業のきっかけ(同社撮影)

「しょうゆをつけて焼くことで表面は硬くなり、中は米粒が残せる。それで形や食感を保持できた。ようやく完成形が見えてきました」

 同時に具材の研究も行われていた。最初は梅やおかか、納豆といったおにぎり的な具材が候補に挙がったというが、ハンバーガーである以上ボリューム感は必要だった。

 議論を経て、選ばれたのは『鶏のつくね』だった。

「つくねにした理由は、当時ハンバーガーに使っていたパティもヒントに、ご飯との相性や食べやすさなどをトータルで考えたときに“焼き鳥店のつくねはご飯に合うよね”との結論に。つくねを挟んだらハンバーガー的な雰囲気も出せる。ライスバーガーにしてもなじみがあるんじゃないか、とつくねに決まりました」

 そこにソテーしたいんげんとたまねぎを挟んだ。ライスプレート、つくね、いんげんとたまねぎ、そして和風ソース。四味一体となり、日本初のお米を使ったハンバーガー『モスライスバーガー』が誕生した。

「新しいものを生み出す苦労、これは商品開発の宿命だと思います。与えられた課題は絶対にやりとげる、という思いを持ち、私たちは商品開発に携わっています。もがきながらも完成したときの喜びは普通の仕事では味わえないところがあるんじゃないかと思います」

 '87年の12月、モスライスバーガーつくねは全国で一斉販売された。誰もが初めて見る食べ物。珍しさもあり、店舗では売り切れが続出した。だが、販売が開始されたからといってすべてが終わったわけではなかった。

「ライスプレートの品質の向上はその後も研究が続き、食感などを安定させるには相当時間がかかりました。誕生した商品はお店やお客様の声を聞き、改良と研究を繰り返します。

 さらに手をかければかけるほど商品は成長するんです。改善改良はずっと続きます。商品開発に終わりはないですね」

 寺本さんはそう言って笑う。そして新しい商品も次々に生み出されていった。

「私も入社後、開発に関わりました。第2弾のきんぴらはつくねを作る過程でも具材の候補になっていました」

 一方の第3弾の焼肉はきんぴらに比べるとシンプルな商品。この3商品がライスバーガーの骨格となった。

モスライスバーガー『焼肉』(同社撮影)

 その後、モスライスバーガーには海老竜田、豚生姜焼き、六彩がんも……ラインナップは続いた。

 さらに、モスライスバーガーは特にアジアの店舗では日本以上に人気だ。

「印象に残っているのは台湾のサクラエビを入れたライスプレートですね。商品開発には苦労しましたが、ものすごくおいしかった」

寺本さんも開発に携わった台湾の『かき揚げ』。米にはサクラエビが混ぜられている(同社撮影)

 サクラエビは素揚げをしてその香ばしさを引き立たせ、米に混ぜてライスプレートを作った。

「ライスバーガーを通じてお米を手軽に食べてもらいたい。そんな思いが根底にあります。モスライスバーガーをもっと進化させていきたいと思っているので楽しみに待っていてもらいたいです」

3月12日は“モスの日”!

 1972年3月12日、東京・板橋区成増。商店街の一角にモスバーガーは誕生した。まず実験店が稼働し始めた3月12日は“モスの日”とし、今年で半世紀の歴史を刻む。

東京・板橋区に誕生した1号店、現在も同じ場所で営業している(1972年・同社撮影)

 その後、同年6月に実験店からほど近い場所に、約2.8坪の1号店がオープンした。

「地元に愛され、現在でも店舗は残っております。そこから店舗は全国、海外へと広がっていきました」

 同社では50周年に合わせてさまざまな企画も計画中だという。

「1号店の成増店をリニューアルします。そして4月30日までは同店を“成増”という地名にちなんで“なりもす店”の愛称で呼びます」(同社の広報担当者、以下同)

 さらには創業当時のメニュー『モス・ダブルバーガー』(1990年まで販売)を期間限定で復刻販売をスタートする。同社の代表メニュー『モスバーガー』に、ミートソース、パティ、オニオン、レタスを追加、ボリューム満点のメニューだ。

「私たちのモットーは地域に貢献して、おいしくて安全なものを提供しお客様に幸せな時間を過ごしてもらうかです。私たちは経営理念の『人間貢献・社会貢献』を忘れずに、次の50年に向けてこれまで以上にみなさまに愛されるモスバーガーを目指します