『東嶋屋』の壁にかかるお品書きの札。これもすべて女将が毛筆で書いたもの

 居酒屋や小料理店などで目にする、毛筆のメニュー書き。達筆なものやアートのように書かれたものなど、いろいろな文字で彩られているが一体誰が書いているの!?意外と奥が深い、手書きメニューの世界へレッツゴー!

印刷では感じられない“味”のあるメニュー表

 飲食店でときどき目にする、毛筆で書かれたメニュー。印刷されたものとは違う、店それぞれの“味”を感じることができる。でも、あれって誰が書いている─?そんな素朴な疑問の答えを探るべく、取材を開始!

 やはり老舗の店に聞いてみるのがいちばん、と暖簾をくぐったのは東京の人形町にある蕎麦店の『東嶋屋』。創業は浅草で明治20年。人形町には昭和10年に店を移し、この地で87年。バラエティー番組でも紹介された名店だ。テーブルの上には手書きのメニュー、壁にはこれも手書きの札がかかっている。

これは私が自分で書いています。もともと書道をやっていたので、書くことは負担になりませんし、自分で書いたほうが思いどおりに書けますよね。1枚、毛筆で書いてコピーして各テーブルに置いています

毛筆で書かれた趣のあるメニュー

 と、『東嶋屋』の女将は話す。テーブルにメニューを置いたのは20年くらい前からだという。

「それまでお品書きは壁にかけたものだけでした。でもテーブルにあったほうがいいのでは、と思って。そのときから手書きです」

 しかし、誰もが字をきれいに書けるとは限らない。そんな場合はどうしているのか……。

以前、ご自身のお店のメニューを書きたいと、講座を受けに来た方がいらっしゃいました

 と、語るのは大阪の書道教室『青霄書法会』を主宰する上平梅径さん。うまく書けないのなら、習えばいいということか。

講座を受けた方たちは、初心者ではなく書道の経験者が多かったですね。お寿司屋の職人さんとか、いずれ自分でメニューを書きたいという目的で来られていました」(上平さん)

手書きメニューを作成してくれるサービス

 メニュー書きの特別な講座というのがある?

「いえ、特にそういったものはないのですが、小筆を習うことで自信を持って書けるようになったら、自分で書こうという方が多かったです」(上平さん)

 実際、講座ではどんなアドバイスをしていたのだろう。

書く人に合った、字の整え方ですね。書道を習っていなくてもセンスよく形をまとめて、見た人が“かっこいいな”という字を書ける人もいます。でも、それができない人には“あなたの書く線はここが魅力なので、こうしたほうがいい”とアドバイスをします」(上平さん)

 書道を教える側から見て、毛筆で書かれたメニューはどう映るのだろう?

字に興味がある人が見たら、その店のやる気や繊細さなど、来店するお客さんにお伝えしたい気持ちの“重さ”みたいなものが表せるメリットがあると思います」(上平さん)

 もともと毛筆で字が書ける人、そうなりたいと習う人。メニュー書きにもいろいろとパターンがある。このほかには、「業者に頼む」という選択もある

 ネット上で検索すると、「手書きのメニューを制作します」というサービスを提供する人たちがヒットする。主婦が副業として手書きをするものから、書道のプロが書き上げるものまでさまざまだ。そんな中で、

1か月に1~2件のオーダーを受けます

 と話すのは、名前と誕生日の花を掛け合わせる書道アート『虹墨記念花アート』の主宰で、書道家として活動している、なすご龍芳さん。

「手書きの“味”を求めている人は結構いるのだな、と思います」

なすごさんが書いたメニュー。円ではなく“縁”にするなどひと工夫

 居酒屋や小料理店などのメニューや、店のロゴなどのデザインも手がけているという。その仕事の流れは?

「まず、メニューの雰囲気はこんな感じ、という打ち合わせをします。そのデザインが固まりましたら、メニューの文字データを送ってもらい、その文字をイメージしたデザインで書き上げていくという流れです」(なすごさん)

 また、書き上げる字の雰囲気もそれぞれの店で変えているという。

お店が大衆店なのか小料理屋なのかなど、お客さんの層によって書体を変えています。小料理屋だと高級感を出すため、字の角度をちょっと上げめにするとか、漢字より仮名を多く使うなど。

 メニューでそのお店の高級感が変わってくると思うので、そこはこだわりますね。きれいな字でなくても手書きなら、気持ちは伝わるかもしれませんが、いらっしゃったお客さんに“安い店なのかな”と思われてしまうかもしれません。メニュー書きにこだわるということは、ある種のブランディングだと思います」(なすごさん)

毛筆で書くメニューは“唯一無二”

 確かに、店に入っていちばん最初に見るものはメニューだ。そこに高級感があれば、自然と店の印象も変わってくるだろう。

私のところにメニュー書きをオーダーされるお店は、少し単価が高めのところが多いと思います。居酒屋さんは親しみやすさも大切なので、店主さんの手書きでも問題ないと思いますが、敷居の高いお店だと、筆耕というものも意味があるかなと」(なすごさん)

 筆耕とは文字を書いて報酬を得る仕事のこと。まさに字を書く職人だ。ちなみに、なすごさんにお願いすると、納期や価格はどのくらいかかるのか?

私は書くのが早いほうなので、メニューなら急いでと言われたらすぐに書きます。以前、明日までに書いてほしいと言われて2時間くらいで書いたことがありました(笑)。

ただ、お店のロゴとなると、すぐにはできません。パターンをいくつか出してからになるので、大体1週間くらいですね。

 価格は量にもよるので要相談になりますが、ロゴだと大体5万円くらい。メニューだと1枚2万~3万円くらいが相場です2回目以降、メニューの内容が変わったときの書き直しは、パターンがもうできているので1枚5000円くらいです」(なすごさん)

 ここ2年以上、コロナ禍で飲食店には逆風が吹きっぱなし。この状況ではメニュー書きの依頼も減ったのではないかと思うが、

「確かにお店をたたんでしまったところもありますが、意外と開業されるお店も多いんです。いただくオーダーはちょっと減ったかなくらいで、そこまで減ったという印象はないですね。

 私がオーダーを受けているのは大企業ではなく、個人でやっているお店なので、そこまで打撃は受けていないみたいです」

副業にするため、書道を習う主婦が増えているという(写真はイメージです)

 パソコンなどで誰でも簡単にデザインができ、手書きをしなくてもきれいなメニューなどが作れる時代。書道家という立場から、なすごさんは筆耕という仕事はこれからどうなると思うのだろうか。

逆に手書きが見直されているのかな、と思っています。ロゴや店名の看板や暖簾については、毛筆で書く唯一無二のもの。ほかのお店はまねできません。メニューだって、パソコンで作られた文字が並んでいる中に手書きの文字があれば目立ちますよね。

 店の看板やロゴは集客にも関わってくる大切な部分。まだまだ需要はあると思います。メニューに関しては、やはり内容も変わっていくものなので、自分で書けるようになりたいな、という人はかなり増えていると思います

 たかがメニュー、されどメニュー。コロナ禍が収まったとき、飲食店で手書きのメニューを見たらちょっと違う目で見ることができるかも。

《取材・文/蒔田 稔》