西城秀樹

 デビュー50周年を迎えた西城秀樹さん。ヒデキ還暦! から3年後の2018年、惜しくまれつつも天に召されたが、その歌声は今も愛され続けている。秀樹さんと親交の深かった2人が魅力をとことん語り尽くします!

コロッケ 秀樹さんには僕のデビュー直後からずっと可愛がっていただきました。一緒に飲んだり、コンサートを見せていただいたり。プライベートではお正月のパーティーにも呼んでいただきました。

笠井 私はフジテレビの『となりのパパイヤ』という番組で半年間ご一緒させていただいてからのご縁です。取材でもお世話になりましたし、秀樹さんがご結婚されてからは、お互いの家族でよく食事をさせていただきました。

コロッケ 僕は初めて食事をさせていただいたのが、夜遅い時間だったんです。新宿のバーで飲んでたら「飯、行く?」って言われて。行ったお店が『餃子の王将』でした。

笠井 ええー。そんな庶民的なところ!?

西城秀樹さんのスゴさについて語るコロッケと笠井信輔(撮影・和田浩)

コロッケ はい(笑)。で、ビールを飲みながら、「コロッケもこれから芸能界でいろいろあると思うけど頑張れよ。もし売れても、調子に乗ったりしちゃダメだよ」と言葉をかけてくださって本当に感激しました。

笠井 私も番組の終わりに突然誘っていただいて、マネージャーさん抜きで2人で六本木のバーに行ったのが最初でした。当時自分は31歳だったので、心の中で「西城秀樹と飲んでるよ、俺!」って。

コロッケ わかります。すげぇわかります。大スターなのに、ぜんぜん気取ったところがない。親分肌で、面倒見のいい方ですよね。

テレビを武器に成功していったアイドル

笠井 今年はデビュー50周年でさまざまなイベントや特集番組が組まれて、秀樹さんを思い出す機会も多い。必然的に「昭和」を生きてきた私とコロッケさんは笑顔になるわけですよね。

コロッケ 秀樹さんたち「新御三家」が出てきた時代って、グループサウンズのブームが終わって次に誰が日本を揺るがす大ヒットを飛ばすんだろうって、みんなが模索していた時期だったと思うんです。秀樹さんたちが完全に芸能界の流れを変えました。

笠井 私たちはまさに芸能界の「地殻変動」を目撃したんですよね。

コロッケ 昔の芸能界は、石原裕次郎さん、小林旭さんなど映画の世界から登場した方がスターでした。でも、新御三家はテレビを武器に成功していったアイドル。しかも今はグループばかりですが、当時はみんな1人なんですよ。長年にわたってずっと活躍されて、たった1人で伝説化するからすごい。

笠井 新御三家で最初に世に出たのは野口五郎さんでしたが、デビュー曲の『博多みれん』は演歌で。秀樹さんも『恋する季節』のころはまだ普通の歌謡曲。それが3曲目の『チャンスは一度』がヒットして一気にワイルドな方向に行った。ファーストアルバムのタイトルは『ワイルドな17才』ですよ! 

コロッケ 秀樹さんは動きから声からすべてがパワフル。『傷だらけのローラ』の絶叫とか『ジャガー』とか。あんなセリフ(抱いてやる〜)、今のアイドルがやったら誰も相手にしてくれない(笑)。

笠井 『薔薇の鎖』から始まるスタンドマイクや『激しい恋』の振り付けとか、秀樹さんじゃなかったら、当時あのアクションをみんなカッコいいと思ったり、まねしたりしなかったかもしれません。

六本木のお店にやってきて……

コロッケ しかも、秀樹さんは自分で自分をプロデュースしていた方。あらかじめ用意された服を着せられるアイドルとは違って、自分で服を決めるし、アイデアを出す。球場コンサートも秀樹さんが最初ですよね。

笠井 ソロシンガーとして初めて後楽園球場に何万人もの人を集めた。ほかにも芸能界でいろいろな歴史を切り開いて「音楽史」の中でエポックメーキングな方なんですよ。コンサートでお客さんがペンライトを使うようになったのも秀樹さんからですし。

コロッケ  『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』は洋楽のカバーですけど、誰かが話を持ってきても秀樹さんが「歌わない」って言ったらそれまで。最終的には秀樹さんが決めて、あれだけの大ヒットになった。その判断基準は「自分」よりも、どうすればファンが喜ぶか。いま思い出すと「これだったら、みんな喜んでくれるよ」とかって言葉がすごく多かった。

野口五郎・郷ひろみと「新御三家」と呼ばれ大人気となった西城秀樹さん

笠井 非常にサービス精神が旺盛な方ですよね。

コロッケ 僕が六本木でお店をやっていたときも、秀樹さんがコンサート終わりに遊びにきて、マイクを持って歌うんですよ。こっちは「いやいやいや……(恐縮)」みたいな。お客さんはもう大騒ぎですよ。『ギャランドゥ』のころですから。

笠井 そして、あの声でしょ。ちょっとハスキーな本当に魅力的な声で!

コロッケ 力強くうなったり、ささやいたり。1曲の中で3つ4つの声を使い分けて、しかも押したり引いたりが歌によって変わるんですよ。『サンタマリアの祈り』も『ブルースカイ ブルー』もぜんぜん違う曲ですけど、静かなときも激しいときもカッコいい。

笠井 秀樹さんのものまねってとても難しいんですよね? どうしても振りまねになっちゃうし、コピーしづらいオリジナルな人だったんだろうというか。

コロッケ だからまねをするにも、普通にやったんじゃ絶対に無理。もうふざけて、ちょっとだけやって終わるしかない。ちゃんとしようとする人がいないし、できない(笑)。まさに唯一無二のスーパースターです!

──コロッケさんは秀樹さんの結婚式(2001年)で余興をされているんですよね?

コロッケ はい。秀樹さんから直々に「五木ロボットやってよ。ぜったいにウケると思うから」と(笑)。

笠井 そっち!? 野口五郎さんじゃなくて(笑)。

コロッケ 五郎さんご本人が出席されていますから(笑)。たしか(木梨)憲武とヒロミも漫才をやった。でも、ああいう結婚式って芸能人と関係者ばっかりで、すごく緊張したのを覚えてます。

ぜったいに諦めない生きざま

──笠井さんは取材者として、秀樹さんがご病気をされてからも密着されました。

笠井 はい。秀樹さんは本当に前向きな方で「大変だけど俺は頑張るんだ」ってことを常に言っていましたし、「笠井くんだったら(テレビの)カメラ持ってきてもいいよ」って、つながりを大事にしてくださった。どういう状態であれ、自分が努力している姿を見てもらうことが大切なんだと。人としてのあるべき姿、芸能人としての矜恃を強く見せていただきました。 

コロッケ 秀樹さんをマッサージする方とお話ししたこともあるんですが、普通だったらもう無理だと。お医者さんに聞いても無理。出られるわけがない。何回も脳こうそくをわずらったのに、それでも復活してリハビリをやり続けて。生きざまって本当に大事なんだなぁと。秀樹さんはぜったいに諦めない方でした。

笠井 芸能人の方と飲んでいると、けっこう不平不満だったり愚痴が出てくる方も多いんですが、秀樹さんはいつも 明るく楽しく。不満とかマイナスイメージの話はほとんどしない人でした。闘病中もそれは変わらず、あの病院はさぁ、とか一切ない。常に前向きな言葉で話していらっしゃいました。

コロッケ あるパーティーでお会いしたときに、秀樹さんと目が合ったんで「ああ、秀樹さん……」って寄っていったら、脳こうそくで言葉も不自由だったんですけど、「元気?」「はい、元気です。いろいろ頑張ってます」「体、気をつけろよ」って、やさしく声をかけてくださいました。僕も何て返していいか一瞬わからなかったんですけど……。でも、秀樹さんは僕が一瞬戸惑うことさえもわかったうえで話しかけて、逆に僕に気を遣わせないようにしてくれたのかなぁって。

自分のために生きるという方が多い芸能界の中で、人のためにとか、応援してくれるファンのためにとか、仲間のためにとか、常に考えてらっしゃった方だと思います。

笠井 私自身、自分ががんになったとき包み隠さずに公表したのは、秀樹さんの姿を見てきたことがとても大きいんですよね。秀樹さんの若いころの映像を見ていると本当にカッコいい。そのまま世の中から隠れれば、その印象だけで終われるんですよ。でも、「それでもいいんだ」「最後まできちんと見せるんだ」っていう。そこがやっぱり秀樹さんのとてつもない底力であったと思います。尊敬しかありません。

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《告知》西城秀樹のデビュー当時の超貴重映像をお届け!
『デビュー50周年「甦る!西城秀樹伝説」情熱編』 3月12日(土)20:30~ ほか 『デビュー50周年「甦る!西城秀樹伝説」感動編』 4月2日(土)21:00~ ほか
放送局/CSホームドラマチャンネル
出演/コロッケ、笠井信輔、西城秀樹(過去映像)

 キャンペーンでの熱狂的なファンとの交流、デビュー直後の貴重なインタビューなど、輝かしい“ヒデキ”の秘蔵映像が満載。

CSホームドラマチャンネルでは西城秀樹さんの超貴重映像が見られる

コロッケ いちファンであり、尊敬する先輩である秀樹さんのデビュー直後の姿が新鮮でした。スーパースターのめったに見られない一面をお見せできる番組です。

笠井 フィルム撮影による当時のニュース映像は本当に貴重です。特にデビュー半年後の下宿先でのインタビュー10分間! 見たことがない衝撃的な出会いであり、喜びです。