「この4月、上皇ご夫妻は現在のお住まいである仙洞仮御所から、赤坂御用地内にある旧赤坂御所へ引っ越されます。上皇ご夫妻にとって旧赤坂御所は、'63年から'90年まで住まわれた思い出の地。今後は上皇の住まいを表す『仙洞御所』に改称されます」(皇室担当記者)
仮御所に移られたのは、'20年3月。当初、仮住まい期間は1年半以内を予定していたが、コロナ禍の影響もあり、引っ越しは後ろ倒しに。
美智子さまにとって思い出の「西向きの窓」
「この間、高齢のご夫妻のためにエレベーターが設置されるなどのバリアフリー化が施されました。居住空間は3月中に完成しますが、すべての工事が終わるのは5月から6月ごろになるとみられます」(同・前)
約2年間、おこもり生活を継続されてきた上皇ご夫妻。起床や就寝、食事の時間は定時で、音読と散策を日課とされる規則正しい生活をされている。
「ただ、住まいや庭が手狭な仮御所での生活は、多少なりとも窮屈に感じておられたかもしれません。広々とした赤坂御用地での生活を、心待ちにされていることでしょう」(宮内庁関係者)
皇室を長年取材するジャーナリストで、文化学園大学客員教授の渡邉みどりさんは、こう話す。
「旧赤坂御所には、西向きの窓があります。美智子さまは折にふれて、この窓の和歌を詠まれました。例えば紀子さまの『納采の儀』の振袖を選んだときにご覧になった夕茜雲や、過密スケジュールをこなされる中で現れた夕焼けの和歌。ふと何かを思うときに立たれた西向きの窓辺は、美智子さまにとっての“特別な場所”なのです」
旧赤坂御所から皇居へ引っ越された'93年には、上皇さまや3人のお子さまとの日々を振り返って、こう詠まれた。
《三十余年 君と過ごしし この御所に 夕焼の空 見ゆる窓あり》
それから約30年─。再び住まわれる赤坂御用地の敷地内には、次男・秋篠宮さまと、その家族が暮らす宮邸がある。
「赤坂御用地の外周は約3・3キロメートル。その中にあるお住まいを行き来するのは容易でしょう。右半身に痛みのある美智子さまですが、今後は秋篠宮家と行事の折にお会いしたり、互いにふらりとお住まいを訪問されたりも。4月から筑波大学附属高校に入学される悠仁さまを気にかけられることもあるでしょう」(渡邉さん)
“筑附”の通称を持つ同校は、美智子さまの父・正田英三郎氏と弟・修氏の出身校としても知られる。
紀子さまに「東大へのこだわりはない」
「お茶の水女子大学附属中学校に通われた悠仁さまは、お茶大と筑波大の間で結ばれた『提携校進学制度』を利用されました。中学での成績と、筑附の一般入試と同日に行われた『学力検査』が考慮されて、入学が決まったといいます」(皇室ジャーナリスト)
悠仁さまの受験問題が世間に波紋を広げたことは、記憶に新しい。
「提携校進学制度は当初、5年間限定だったことなどから“悠仁さまのために作られたのでは”とも報じられてきました。筑波大の学長は否定していましたが、制度の詳細や経緯に関する説明が少ないことから、納得できない国民は少なからずいます」(同・前)
同校が皇室を受け入れるのは初。皇位継承者が学習院以外の高校へ通うのも初。手探り状態でのご進学となる。
「皇族に対する警備体制が整っており、同級生や保護者からの理解も得られやすい学習院ではなく、あえて筑附を選ばれたのは、“悠仁さまを東大へ進学させたい”という、紀子さまのご意向ともささやかれてきました。偏差値70を超える筑附では、今年も30人以上の東大合格者を出しています」(同・前)
史上初となる“東大出身の天皇”誕生に向けての布石が打たれたという“噂”に対し、事情を知る秋篠宮家関係者は首を横に振る。
「実は、紀子さまに“東大へのこだわり”はないのです。今回の筑附進学も、あくまでも悠仁さまのご意思です。この先、悠仁さまが東大を目指されるのであれ、別の大学への進学を希望されるのであれ、その選択を尊重されるでしょう」
秋篠宮家の“自由教育”は広く知られている。
「秋篠宮ご夫妻には“皇族は学習院”という固定観念はありません。眞子さんと佳子さまは『国際基督教大学』を卒業されました。悠仁さまにも、ふたりのお姉さまにならい“進学先選択の自由”が与えられています」(同・秋篠宮家関係者)
将来の即位が決まっている悠仁さまと、内親王として生まれた眞子さんや佳子さまとでは、事情が違うのではないか。皇室に詳しい静岡福祉大学の小田部雄次名誉教授は、こう危惧する。
「一般の家庭でも、そんな完全な自由はない」
「秋篠宮ご夫妻に“親としての教育方針”があるのは当然です。ただ、悠仁さまへの教育を拝見すると、未来の天皇はおふたりだけの子ではないということをお忘れになっているのではないかと感じることがあります。
美智子さまは、かつて現在の天皇陛下にあたる浩宮さまの養育にあたって“日本国民、神からお預かりした宝です。自分の子ではいけないのです”と述べられました。上皇ご夫妻、天皇・皇后両陛下など、歴代の天皇家の方々の心構えを学び、かつ多くの国民の声にも耳を傾けるべきでしょう」
とある宮内庁OBは、当時の美智子さまの“帝王教育”をこう振り返る。
「浩宮さまが誕生された'60年、美智子さまは“あづかれる 宝にも似て あるときは 吾子ながらかひな 畏れつつ抱く”という和歌を詠まれました。ご自身が産んだ赤ちゃんは、将来の天皇だという重責に対する畏敬の念が伝わります。一方で、浩宮さまの養育にあたり、幼稚園や学校の先生に“特別扱いはなさらないでください”と伝えられたという話もあります」
ひとりの人間として、立派に育てあげることを大切にされた美智子さま。浩宮さまが初めての海外旅行を経験された'74年にはこんなエピソードも。
「美智子さまは、その年の誕生日に際し、“外を自由に出歩く”という理想と、皇族には制限が伴うという現実の乖離について“一般の家庭でも、そんな完全な自由はない”と語られました。不自由さを受け入れ、国民に心を寄せられるこの価値観は、自由を追求する秋篠宮家の教育方針とは一線を画しているようにも感じられます。
赤坂御用地への引っ越しを機に、美智子さまが秋篠宮家の教育をご覧になる機会が増えれば、ご自身の子育てとの違いを歯痒く思われるのではないでしょうか……」(同・宮内庁OB)
新生活に悩みと不安はつきもの。それは皇室の方々にとっても変わらない─。
渡邉みどり 皇室ジャーナリスト。文化学園大学客員教授。60年以上にわたり皇室を取材
小田部雄次 静岡福祉大学名誉教授。皇族や華族にまつわる日本近現代皇室史を専門とする