ある時はモフモフのアフロ姿で名推理をはじき出し、ある時は無邪気な若武者となって鎌倉時代をかけめぐるーー。 実力派俳優として絶大な人気を誇りつつ、アーティストとしてもヒット曲を連発。またファッショニスタとしても名高く、3月発売予定のスタイルブックは予約数でランキング入りするほどの超人気ぶり。ここ数年、テレビやネットで見ない日はない“旬の男”菅田将暉。
そんな菅田は3兄弟の長男として育った。次男は映像作家でYouTuber、三男はモデル、俳優として歩み始めている。
それぞれ個性豊かで才能あふれるイケメン3兄弟。その母親で昨年書籍『3兄弟の足あと~才能の芽をはぐくんだ菅生家の子育て記』を上梓した菅生好身さんに「母親から見た長男“菅田将暉”」を聞いた!
上京した菅田、母との電話の内容は
「3兄弟は全員、自宅で出産しました。次男が生まれてすぐ、3歳半だった長男は自分の宝物のフィギュアをたくさん持ってきて赤ちゃんの横に並べたんです。目をキラキラさせて“いっしょにあそぼ”って。その時からず~っと“お兄ちゃん”。いまでも兄弟仲良しです」
なんという破壊力のエピソード! そんな長男、全力で抱きしめたくなる。
母・好身さんは現在、美容サロン経営の傍ら、子育てや家族に関する講演やセミナーを行っている。
東京と大阪に自宅を持ち、仕事のたびに行き来する日々だが、そもそも東京に通いはじめたきっかけは、菅田の仮面ライダー出演だった。菅田は当時16歳。歴代最年少ライダーとして、ドラマ初出演にして初主演を飾ったのだ。
「長男が大阪の親元を離れ、東京でひとり暮らしを始めたのが16歳の春。下の子たちがまだ小さかったのでいっしょについていけなかった。気にはなっていたけど、電話口で彼はいつも“大丈夫だよ”って言ってくれて」
親が見られなくなった“息子の出演シーン”
はじめて好身さんが菅田の元を訪ねたのは3か月後、季節はもう夏になっていた。当時の仮面ライダーの撮影は朝5時から深夜にまで及ぶこともあり、菅田はその疲れから熱を出してしまったという。心配かけまいと限界まで黙っていた長男魂が尊い……!
「行ってみてビックリ! 洗濯とか家のことが全然できてなかった(笑)。看病がてら1週間ほど滞在して、それからはさすがに、月1で様子を見に上京することにしました」
ベテラン俳優でもハードなドラマ主演に加え、初めての一人暮らし……家事がままならなくて当然だろう。月1回、好身さんが上京する間は、祖母がまだ小学生だった弟たちの面倒を見た。
「私が長男のところに行っても下の2人はへそを曲げず、朝ごはんを自分たちで作ったりしていたみたい。あのときから家族はチーム!」
兄は弟たちを思い、弟たちも兄を支える。好身さんが作りあげたチーム愛の強さよ!
昨年、菅田は女優の小松菜奈と結婚。次男は一人暮らしで、東京の家は三男が住んでいる。両親は大阪と行き来する生活だが、好身さんの書籍の出版はみんなで祝った。
「相変わらず家族のきずな強めですね」
長男・菅田の仕事ぶりについて聞いてみると……。
「ドラマ『ミステリと言う勿れ』は久しぶりに大好きな作品! お話も感動するし、なによりあんなにアフロが可愛く似合うなんて……! もうむちゃくちゃ似合う~。可愛いです!」
“彼のお仕事に関しては、ただの1ファン”だという好身さんだが、「やめてーー!」と心の中で叫んでしまった作品も。
「デビューまもないころに出ていた作品ですが、『麒麟の翼』という映画です。水泳部に所属している役だったのですが、いじめでプールに沈められてしまうシーンがあって……こればっかりはもう2度と見られません」
演技派と言われる菅田の演技力が、実の母をも苦しめてしまった!? 他には?
「これも同じくらいに上映された映画ですが『共喰い』です。……コレはちょっと、ハードな性的描写の作品で……R指定なんですけど。彼の祖父母には“見に行って”と勧められませんでしたね(笑)」
愛情にあふれた家族の存在が、菅田の活躍の原動力なのだろう。これからも元ライダー俳優としてさまざまな“変身”でわれわれを魅了してほしいものだ!