宇梶剛士

 4月13日から始まる間宮祥太朗が主演のドラマ『ナンバMG5』(フジテレビ系)に宇梶剛士が出演する。

「間宮さんが演じる主人公の父親役です。関東最強ともいわれるヤンキーファミリーで、宇梶さんは息子にケンカのやり方を叩き込んだという役。宇梶さんは実際に暴走族の総長だったこともありますから、ハマり役かもしれませんね(笑)」(スポーツ紙記者)

 テレビドラマや映画でのイメージが強いが、'07年には劇団も立ち上げている。

「『劇団パトスパック』は“劇団”という形でしか表現できない舞台づくりを追求したいという思いから旗揚げされました。宇梶さんのルーツでもある北海道やアイヌをテーマに、'19年に初演が行われた『永遠ノ矢=トワノアイ』は、映画化されて3月12日から北海道で公開されています」(同・スポーツ紙記者)

 活動は順調そうに思えるが……。

宇梶を直撃すると……

実は、昨年7月の北海道公演を最後に、極秘解散していたそうなんです。もともと台所事情が厳しかったこともあるようですが、劇団員が高齢化してきたことで家族に止められるメンバーもいたんだとか」(舞台関係者)

 しかし、15年続いた劇団の解散ともなれば、ファンやメディア向けに発表をしてもいいはず。何か沈黙している理由があるのだろうか。3月中旬の昼下がり、大きな荷物を持って自宅から出てきた宇梶に話を聞いた。

――昨年7月の公演をもって、劇団を極秘解散したと聞きました。事実ですか?

極秘って(笑)。名前は残しているんだけど、“俺たちが一緒に芝居を作るのは、この前(昨年7月の公演)で最後だな”と。そういう意味では解散かもしれません

――“名前は残す”とは?

今年の12月に、俺が企画する『600歳の会』っていう舞台を予定していて。10年前に『500歳の会』という舞台を、池田成志とか渡辺いっけいとか小川菜摘ちゃんとか、同じ年の10人でやったんだけど、10年たって60歳になるから、またやるという形。そのときに“宇梶剛士企画”というより“劇団パトスパックプロジェクト”という名前があるほうがギャラ交渉とかの対外的な折衝もやりやすいから、そのためにも名前は残すの。

 俺、渡辺えりさんの子分というか後輩というか弟みたいな感じなんだけど、えりさんが『劇団3○○(さんじゅうまる)』を長くやってこられて、解散したあとに『オフィス3○○』という会社で舞台製作をしているのね、それをマネたような感じ」

コロナ禍の煽りをうけて

 解散の理由を聞くと、悲しげな声色で口を開いた。

コロナもあって大変で、心がパンパンになってしまった奴がいて。俺たちが“やめろ”と言っても、志があるから“絶対やめません、続けます”って言うのが長年の付き合いでわかっているから、そいつに休んでもらうには、俺たちが“解散”って言うしかなかった。そうすれば、しょうがないじゃない。

 病気ってわけではなかったけれど、続けることで本当に病気になってしまった人をこれまでに見てきたし、自分の仲間内からそういう人が出てきてしまうのは何としてでも避けないといけないし、ここが限界かな、潮時かな、と思って」

――その人のためだけに解散を?

「うち(の劇団)は、全員が何かしらの係をやっていました。俺は作・演出だし、衣装担当とか美術担当とか……。普通の劇団では外部のプロにやってもらうことを、僕らは昔型の劇団だから自分たちでやっていました。それによる激務で、みんな疲れていたんです。でも“疲れても頑張る、大変でもやりきる”っていうのを15年続けて、“勤続疲労”みたいなものがあったから、そういうところだったんですよね……」

――なぜ、昨年7月の公演が最後だった?

北海道公演7か所っていうのは俺たちの大きい夢で、そこに向かってモチベーションも上がっていたし力が入っていたから、急にコロナの影響で4公演が中止になって、何かがポキッと折れたというか。それに、中止が決まった時点では100万円以上の赤字になる計算だったから、どうするんだ、と……。

 それでも俺が“今度で最後になると思うけど、みんな力を貸してくれ”と言ったら、その言葉をなんとかエネルギーに変えてくれたって感じだったかな。それが去年の4月くらいの話なんだけど、あのころ、先が見えなさ過ぎて……」

暴走族時代の宇梶剛士

――資金繰りが厳しかった?

そもそも俺たちは、儲けるために公演をやっているわけじゃなくって。例えば、かかる予算が500万円だとしたら、それを全公演の売り上げでまかなう予定だった。それが半分になったから、2分の1の売り上げですべてをまかなうのは大変じゃない。お金を作ろうと車を売ったりもしたんだけど、結果的にお客さんがたくさん来てくれて赤字にはならなかった

 話を続けるほど、悲しい表情になっていく宇梶。

「最初、週刊誌って聞いて何のことかと(笑)。でも、劇団のことだって言うから、また少し悲しくなっちゃった。泣きながら別れるくらい、すごくいい仲間だったからね」

 そう言うと、車で走り去っていったのだった。

 劇団パトスパックは解散しても、その名前と劇団員たちの思いは残り続ける――。