「天国のいろいろな神様にイタズラしているんだろうなって」。そう上島竜兵さんが笑うと、肥後克広さんも、「あるいはどこかのスタジオで女性タレントとイチャついていると思う」と続ける。“志村けんが亡くなった”。その実感はないという。
ダチョウ倶楽部(上島竜兵、肥後克広、寺門ジモン)は、2002年秋から『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)の正式レギュラーとして登場。さらには、2006年から始まる志村さんが主催し主演を務める舞台演劇『志村魂』の一員として、全公演に出演し続けた。志村コントの名バイプレーヤー。だからこそ、「志村さんがいない=コントがなくなる」と喪失感を隠さない。
「細部にまでこだわるセットや徹底したカメラ割り。自分でメイクをして、かつらを付ける。志村さんにしかできないコントと、その世界観がなくなってしまったことがショックですよね」(肥後さん)
「コント収録や舞台の稽古がないスケジュールを見ると、『あ、志村さんはもういないんだ』って思いますね」(上島さん)
長年、傍らでコントと向き合う志村さんを見続けてきたふたりは、「いろいろなことを教えてもらった」と振り返る。
「志村さんは、『アイーン』や『だっふんだ』をギャグだと思っていなかった。だから、『ギャグをやってください』と言われることを嫌った。ギャグではなくて、コントのストーリー上、必然的なネタだと」(肥後さん)
「面白いことを狙ってするのと緻密に面白いものを作り上げていくのは違うんですよね。だから、『ギャグはやるものじゃない』と言っていた。面白いことを狙いにいってギャグばかりする僕には理解できなかった(笑)」(上島さん)
肥後が見つけた“ひとみばあさん”との絡み方
肥後さんは、志村さん扮する名物キャラ“ひとみばあさん”の店の客役など、コントにおける大きな役割を担うことも少なくなかった。
「最初はどうやって“ひとみばあさん”と絡めばいいのかわからなかった。大きな声を出したり、つっこんでみたりしたけど、どれもハマらない。あるとき、あの特異なキャラクターにただ巻き込まれる被害者として振る舞えば、成立することに気がつきました。
何かされて、『うるさいババア!』と怒鳴るのではなくて『ちょっと何やってんのよおばあちゃん』って。被害者はただ被害者のままという流れも、志村さんが作り上げたひとつだと思います。だからいかりやさんは、最終的に『だめだこりゃ』なんですよね」(肥後さん)
コントに加え、私生活でも薫陶を受けた。とりわけ、上島さんは「俺の彼女か」と志村さんから言われるほど、行動を共にした。
「僕が学ばせてもらったのは芸というより、酒の飲み方とかクラブの女性との付き合い方(笑)。やりたくもないのに、志村さんの号令でホステスさんと同伴までして。クラブに着くと、『初同伴おめでとうございます』ってママたちから祝福されて、なんなんだよコレ!って」(上島さん)
「上島さんはお酒の席でよく志村さんからダメ出しされていたよね。『お前は、くるりんぱとか顔の周りでチラチラやるせこいギャグばかりだよな』とか。言いすぎたと思ったのか、志村さんはトイレに行くときに『ごめんな』って。でも、上島さんは志村さんがトイレに入るのを見て、『あんただってアイーンとか顔じゃねーか』って」(肥後さん)
「ちょっとそれ言わないでよ(笑)」(上島さん)
期待される“志村イズム”の継承
素顔の志村けんさんを知るふたり。2021年12月に放送された『志村けんとドリフの大爆笑物語』(フジテレビ系)に話が及ぶと、同ドラマに出演した肥後さんは、「志村さんを演じた山田裕貴君の雰囲気が、志村さんに似ていて驚いた」と教える。
「楽屋の志村さんは、本当に物静かでナイーブな雰囲気があるんですよ。山田君は緊張していたからかもしれないけど、考え込むような雰囲気がそっくりだった。若いときの志村さんって、こんな感じだったんじゃないのかと思えたほど」(肥後さん)
寵愛を受けたダチョウ倶楽部。一ファンとしては、志村イズムを継承してほしいところもあるが─。
「いやいや僕らじゃないでしょう(笑)。無理ですよ。志村さんから学んだことを、軽いアドバイスとして若い芸人たちに伝えていくことはできるかもしれないけど、あまりに偉大すぎて」(肥後さん)
「バカ殿とか変なおじさんとか、同じネタばかりやっているのに、あれだけ人を魅了して、何度も爆笑をとれる人は、もう出てこないでしょうね。俺たちも『ヤー!』とか同じことばっかりやってるけど、雲泥の差ですから(笑)」(上島さん)
取材・文/我妻弘崇