「ずっと借金がある女だと思われているのが、すごく嫌で……。それで自己破産をして。絶対コロナで私よりももっと大変な思いをしている方もいると思います。本当は払わなければいけないものをなしにしてしまったこととか、責任もこれから感じなきゃいけないし、反省もしなきゃいけない」
『ハロー!プロジェクト』通称“ハロプロ”。『モーニング娘。』を筆頭に、主につんく♂がプロデュースを手がけ、特に'90年代から'00年代にかけてヒットチャートに数多く名を連ねたアイドルたちだ。
現在の主な収入源はTシャツ
そのなかに'99年に『第2回モーニング娘。&平家みちよ妹分オーディション』に合格した4名で結成されたグループがある。『メロン記念日』。'00年にデビュー、'10年に解散した。メンバーの1人が、結成当時17歳だった大谷雅恵だ。彼女の現状が冒頭の弁だ─。
「解散後は、翌日に事務所を退社しました。私はフリーで活動していくということを発表して。その後、8年くらいはさまざまなバイトをしながら、歌手とかいろんな活動をしていました」(大谷雅恵、以下同)
少なくとも月に1度はライブに出演してきたが、コロナによってなくなってしまう。
「コロナで時間ができたことで、歌以外に自分にできることはないかと探し、昔からモノ作りが好きだったので、片っ端から手をつけました」
大谷はウェブサイトにて、自身でタイダイ染めしたTシャツなどを販売している。
「今の主な収入源はタイダイのTシャツになります。それ以外にも彫刻や陶芸をやったり。絵画もいろんなタイプの絵に挑戦しています。自分が好きなものってなんだろうってすごくさかのぼって考えてみたら、やっぱり美術が好きだったんですね」
冒頭にあるように、大谷は借金を抱え、結果自己破産に至っている。借金の理由とは。
「きっかけは引っ越すときのローンでした。当時東京から離れていたのですが、仕事を増やすには……と思い、東京に戻ったんです。最初は借金は40万〜50万円ですね」
その後、借金は積もる。
自己破産の道を選んだ理由
「性格上、何かを始めようとするとき、まず形から入るというか、道具からそろえなきゃって考えちゃうんです。最終的な借金額は生活保護を申請した'20年ごろに450万〜500万円の間くらい。自分でもあまり把握できていない感じだったのですが……」
コロナ以前は活動は順調だったという。
「動画配信はコロナの前から始めていて、結果的に月に50万円くらいの収入になっていました。それで生計が立てられていたので、これは返せるぞという時期がしばらくあったんですよ。そのときは本当にありがたくて、毎日7時間くらい配信していました。内容はしゃべって歌って、みたいな感じです」
月50万円という悪くない収入を得ていたが……。
「配信で食べられるようになったら使うお金も増えていって、でも“返せる、返せる”って思ってた。そしたらコロナが……。コロナになってグンと配信を始める人が増えました。もともとやっていた私のような配信者はライバルが増えたんです。ランキング形式のイベントに急にケタ違いの配信者が集まってきて、入賞することが難しくなりました。それでイベントに出なくなったら、月収が10万、15万円とかになって、生活がやっと、みたいな」
このころ、一時帰省して借金のことを家族に告白。
「だけど親が助けられるような金額じゃないし、自分でも結構追い詰められたんです。何か方法はないかなと考えたら、生活保護とか自己破産の道を選ぶしかないのかと思って自分で調べ始めました。弁護士さんも探して。それで決めました」
結果、彼女は生活保護を受けることとなる。
「'20年の末から生活保護を半年受けて、自己破産の申請も始めました。精神的にも安定してきて、また動画配信とバイトを始めたので」
生活保護と同時に申請した自己破産は、今年の1月に成立した。動画配信などで収入は持ち直して生活保護から抜けたが、自己破産の理由とは。
「もう本当に生きていけるだけの生活費しか稼げていなかったので……。以前の50万円という月収に戻るのは無理だという感覚もあって。早くしないと、もっと大変なことになる。どんどん増えていっちゃうし、1回ゼロにしなきゃいけないと思いました」
以前は物がないと安心できず、配信の際も常に新しい服を着ていないと飽きられるのではという強迫観念めいたものに駆られたが、自己破産以降、身の回りにあった物の多くは整理した。借金の理由として道具からそろえることを挙げたが、ほかにもあって……。
いつか個展をニューヨークで
「昔は衣装を用意していただいて、よいものを着て、メイクさんにすごくきれいにしてもらった状態で、自信を持ってテレビや雑誌に出させていただいていました。それがフリーになって自分でやっていかなきゃと思ったら、これも必要かな、あれも必要かなって考えてしまって、借金が増えていきました。たくさんお金がかかるけど、自分の力で返していけるっていう自信はどこかにあって、でもまさかこんなコロナ時代が来るとは思っておらず……」
生活保護の申請では役所の担当者の優しさに触れた。
「当時、私は所持金が4000円くらいしかなくて。申請して受給が決まるまで2週間あるんですね。それで福祉課に“貸し付け”という形で、受給が決まったらそこから引かれるのですが、お金をお借りしました。
あとはアルファ米という水で戻せるお米をいただいて。そのときに泣いちゃって……。このような状況にしてしまった自分が情けないのと、でもこうなっちゃったから、もうしょうがないというのもありますし、助けてくれる場所があるという安心感とかで、もう本当に……」
今後の活動についてはどのような展望が?
「コロナがある以上は、まだ前みたいにライブをたくさんするというのは無理かもしれないんですけど、音楽活動をいちばんに考えていきたいというのは変わりません。それができるようになるまでは、本当に自分がやりたいこと、もっと自分の可能性を伸ばしていけるものをやりたいです。
それはやっぱりタイダイ染めとか絵なので、個展をやりたいと思っています。ライブもできて、自分が作ったものも展示したり。そうなるとお金もかかるので、クラウドファンディングなどでできたら。大きな夢として個展はニューヨークでいつかやってみたいです! なので、まず日本でぜひ個展を開きたいですね」