働き盛りでがんになる――。あなたは想像したことがあるだろうか。国立がん研究センターの統計によると、2016年にがんと診断された約100万人中、20歳から64歳の就労世代は約26万人。全体の約3割だ。
だが、治療しながら働く人の声を聞く機会は少ない。仕事や生活上でどんな悩みがあり、どう対処しているのか。自分や家族、友人ががんになった際に一連の情報は役に立つはずだ。がん経験者が運営する、一般社団法人がんと働く応援団の協力を得て取材した。
小杉英朗(32)さんは、がんの摘出手術を2度経験したが、発症前よりも笑顔が増えたという。その理由をたどりたい。
「お子さんはいますか?」
2018年、小杉さんは29歳で精巣がんと診断された。精巣とは左右の睾丸(こうがん)のこと。20代から40代に多いと言われるがんだ。
このときは左の精巣がんで摘出手術を受けた。術後にステージ1で進行するタイプではないとわかり、抗がん剤治療もいらなかった。
「爆笑問題の田中裕二さんや、ネプチューンの堀内健さんも同じがんで、お2人とも切除後に仕事に復帰していらっしゃるので、私も早期発見だし、大丈夫かなと思いました」(小杉さん)
アフラック生命保険という、がん保険で創業した会社で働いていたこともプラスに働いた。2人に1人ががんになり、早期発見なら治る確率が高いことは知っていたからだ。担当医からも精巣がんは治りやすく、抗がん剤も効きやすいと言われた。
ところが、2019年に右の精巣を触ると、前年と同じコリコリした固さがあった。痛みも少し出てきた頃に、右も精巣がんと診断された。
「お子さんはいますか?」
担当医は小杉さんにそう尋ねてきた。左の精巣は摘出済みで、右も摘出するとなれば、自分の精子での妊娠は望めない。実は、小杉さんは2回目のがんがわかる前から不妊治療を始めていた。
「3回目の体外受精で妻の妊娠がわかったのが、右の精巣がんが見つかる3カ月ほど前でした。私の精子を妻の子宮で体内受精させるのを省き、体外受精でうまくいったんです。もしも3回目も失敗した後にがんが見つかっていたら、4回目の挑戦を諦めていたかもしれません」(小杉さん)
彼は「(妻の妊娠は)奇跡的なタイミング」と、口元をほころばせながら話す。2度のがん発症は不運だが、2度目の摘出手術前の妊娠は幸運だった。
約2カ月間の抗がん剤治療がスタート
2019年12月末、2回目の手術後に進行性のがんでステージ3と判明。2020年1月末、ほかの部位への転移を防ぐために、約2カ月間の抗がん剤治療が始まる。小杉さんが若いぶん、抗がん剤を集中的に大量投与する方法がとられた。
「副作用はまず吐き気がひどかったです。乗り物酔いの2倍は強いやつという感じです。でも、入院当初からの約2カ月間はコロナ感染が広がる前で、妊娠中の妻が何度も面会に来てくれました。胎児のエコー映像を見せてもらうと、ピンク色のミニ恐竜みたいでね、その成長を励みに吐き気も我慢できました」
もう1つの副作用が脱毛。だが、抗がん剤治療を終えたら必ず生えてくると、担当医から事前説明を受けていた。そのせいか実際に抜け出すと、小杉さんは自分でも不思議なほど気分が高揚した。
「ランナーズハイをまねると、もう“脱毛ズハイ”状態でしたね。自分が自分じゃないみたいで、スマホのカメラで何枚も撮影しては、病室から友達や家族に送信していたら、全員からドン引きされました。『全然笑えないよ』って」
一見実直そうな彼だが、このエピソードから、あけっぴろげな性格でもあることがわかる。2度の手術と不妊治療を経験した今、小杉さんはこう話す。
「私と同じ病気で、子どもをつくる予定がある方は、早めに不妊治療に取り組んでいる病院での受診をお勧めします。その診察自体を受けるのが嫌だという方もいらっしゃるかもしれませんが、後悔しないためにも、できることはやっておいたほうがいいと思います。……偉そうなことを言ってすみません」
色白な顔の小杉さんはそう言うと、小さく頭を下げた。
治療入院を話す自分の言葉が震えていた驚き
青森支社時代に発症した1回目は、がん摘出も含めて1週間で退院。だから支社長への報告だけで済ませた。2回目は進行性がんで摘出後に約2カ月間の抗がん剤治療が必要となり、黙って休むわけにはいかなかった。
2020年1月中旬、東京本社での課内定例会議。小杉さんは会議の終盤に抗がん剤治療で1月末から2カ月ほど休むことを同僚に伝えていた。いざ話し出すと、自分の声が予想以上に震えていて少し驚いたという。
「もっと淡々と話せるはずだと思っていたんですが、実際にはものすごく緊張しました。声の震えは止まらないし、そのうち涙腺も熱くなり、なぜか涙も少しにじんできたりして……」
かろうじて話し終えると、その場はしんみりと静まり返った。
「それも想定外でした。『えっ、大丈夫?』とか、『そうだったんだ!』って、もっとワサワサした感じになるかなと思っていたのに、しーんとしちゃって……。当日の午後も業務関連の話を普通にしていましたし」(小杉さん)
腫れ物に触るような感じに彼の孤独感は募っていた。
がん保険を扱い、病気への理解が進んでいる企業でさえ、職場でのカミングアウトは難しい。前回記事の大登さんの「将来はがんを普通に公表できる社会になってほしいですね」という言葉が、改めて思い出される。
当日何かの折に1対1になると、同僚から「ビックリしたよ」などと、普段どおりに声をかけられて少し安心した。会議の席では周りもどんな言葉をかけていいのか、戸惑っていたことに小杉さんも気づけたからだ。
3月末に退院。4月中旬に職場復帰のつもりだったが、コロナ禍による全社規模でのリモートワークが本格化。自宅での仕事再開となったのも幸運だった。
5月、小杉さんは自身の治療経験をオンラインで約30分間、エンドユーザーと接する代理店スタッフなど約100人に話す機会を得た。小杉さんが発案したものだ。
入院先にネット環境がなくてポケットWi-Fiをレンタルしたことや、患者として感じたことなどを中心に話すと、反響は大きかった。事後アンケートには「同僚の体験談として、お客様にもしっかりと伝えていきます」などと好意的な感想が多数寄せられ、やってよかったと思えたという。
「体験談を話すことは、入院中から考えていました。がん保険がなぜ必要なのかを伝える仕事をしている以上、2度も経験したことを社内に伝えなきゃいけないなって。カッコよく言うと使命感みたいなものですね」
終始穏やかに受け答えしてくれていた彼はこのとき、きっぱりと言い切った。
その後、小杉さんは、社内のがん経験者コミュニティーにも参加。ほかの人たちの話を聞く中で、病気の受け止め方は十人十色だと痛感させられる。
両立支援は制度整備と職場環境づくりが大切
アフラック社内のがんを経験した社員コミュニティー「All Ribbons」は、2017年12月設立。2021年12月末時点で、30代から50代の男女22名が参加している。
コロナ禍拡大以降は、オンラインで毎月活動中。人財戦略部と連携して活動していて、本人の希望を尊重して匿名性の確保や、秘密保持が保証されている。
2021年6月にAll Ribbonsに参加した小杉さんは、ほかの経験者と話すことで、自身の視野も広がったと話す。
「たとえば、他社のがん経験者コミュニティーとの交流にも積極的な人もいれば、社内だけでいいという人もいます。私は気軽に『がんだったんだって?』と声をかけてほしいタイプですが、職場では病気の話には触れてほしくないという人もいます。改めてすごく繊細で、個人差が大きいテーマなんだと学びました」
All Ribbonsのメンバーの声は、治療と仕事の両立支援の制度づくりにも反映されてきた。「取得できる休暇日数が足りなくなれば、会社を辞めなければいけない不安がある」という声などを受け、がん治療のための特別休暇「リボンズ休暇」(日数無制限)ができた。
放射線治療など短時間の治療には、1時間単位の年次有給休暇やフレックスタイム制度も活用可能。在宅勤務なども含めて一連の制度はがんに限らず、どの社員も利用できる。
がん経験者にとっての在宅勤務は、体力面の配慮だけにとどまらない。
「抗がん剤治療の副作用による脱毛などの見た目の変化や、術後の傷をかばいながらの通勤は、精神面でもストレスフルになることもあります」(同社人財戦略部健康推進室)
2人に1人がなる病気だから、「お互い様」の職場環境づくりも大切だ。部下からがんだと伝えられた際の対応を学ぶ、ロールプレイ研修には400名以上の同社管理職が参加。上司の第一声が「(休まれると)困るな」か、「(復帰を)待ってるよ」では、当事者が受ける印象は違ってくるためだ。
自宅最寄り駅の見慣れた光景にも感謝できた
小杉さんの話に戻すと、2回の手術を経た今は、ごくありふれた日常に感謝する気持ちが強まったという。
「病院のベッドから見ていた天井や、タイル貼りのトイレはもう2度と見たくないです。いちばん苦手だったのが病院食で、隣の人がトレイにカトラリーを当てて、むやみに立てる音でも吐きそうになりました。それぐらい嫌でした」
腫瘍内科医の押川勝太郎さんによると、抗がん剤の副作用である吐き気は、食べたり、飲み込んだりする際にとくにひどくなるという。
「それが繰り返されると、梅干しの話をすると現物がなくてもつばが出るのと同じことが起こります。配膳台車が通る音や、食器の音に反応して食事が想起され、条件反射で吐き気の記憶がよみがえってくるからです」
2回目の摘出後は体調も安定していて、定期検診だけを続けている。また、業務上のトラブルや社内外の人間関係などがあっても、必要以上に気に病むことが減った。生きて働けているだけでありがたい、という気持ちが強いからだ。
「1歳7カ月になる娘と妻と私が健康であれば、もうそれだけでじゅうぶんです。退院後に自宅の最寄り駅に降りたときには、見慣れた景色にさえ思わず手を合わせたくなりました。あのときの『これ以上いったい何を望むんだ?』という気持ちは、これからも大切にしていきたいと思います」(小杉さん)
失ってみないと気づけないことがある。だが、本当に気づけたときに笑顔はもっと身近なものになる。
(監修:押川勝太郎・腫瘍内科医師)
荒川 龍(あらかわ りゅう)Ryu Arakawa
ルポライター
1963年、大阪府生まれ。『PRESIDENT Online』『潮』『AERA』などで執筆中。著書『レンタルお姉さん』(東洋経済新報社)は2007年にNHKドラマ『スロースタート』の原案となった。ほかの著書に『自分を生きる働き方』(学芸出版社刊)『抱きしめて看取る理由』(ワニブックスPLUS新書)などがある。